下ビルマのモールメンにいた頃、私は大勢の人たちから憎まれていた――生涯でただ一度、憎悪に足るだけの要職に就くことになったわけだ。町の分署の警官だった私に、無目的で狭量な反欧州的感情はひどく辛かった。彼らに暴動を起こすまでの根性はなかったが、ヨーロッパ人女性が一人でバザールを通りがかろうものなら、たぶんドレスに蒟醤(*1)を噛んだ唾を吐きかけられることになっただろう。警官たる私は明白なターゲットで、やっても大丈夫そうな場合はいつでも苛められていた。はしっこいビルマ人がサッカー場で私を蹴躓かせ、審判(これもまたビルマ人)があらぬ方を見ていた時、群衆は胸糞悪い哄笑でこれを歓迎した。それが一度きりではなかったのだ。私の後を難の及ばぬ距離だけ離れて侮蔑のヤジが付きまとい、そこいら中にいる若者連の黄色い嘲り顔がいたく神経に障るようになった。中でも最悪だったのが仏教の若い僧たちだ。町にはそんなのが何千人