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philosophyに関するgyobbit333のブックマーク (38)

  • CURATOR | 千葉大学学術成果リポジトリ

    稿は、ドイツ政治思想家フリードリッヒ・ゲンツ(1764-1832)が雑誌『歴史日報(Historisches Journal)』の1800年12月号に掲載した論文「永遠平和について(Über den ewigen Frieden)」の翻訳である。ゲンツは、この論文において、まずこれまで永遠平和を実現するために考えられてきた普遍国家(Universalstaat)と同時代の哲学者フィヒテによって提唱された閉鎖商業国家(der geschloßne Handelsstaat)、そして二種類の国家間の同盟に基づく連邦制の構想を検討し、いずれに対しても最終的には否定的な評価を下す。これに対して逆にゲンツがこの論文で欧州の国家間に一定の平和状態をもたらす構想として評価したのが、当時否定的な評価を受けつつあった勢力均衡策であった。そしてゲンツは最後に人間性の進歩に対する楽観的な視点を戒め、フランス

    gyobbit333
    gyobbit333 2020/11/12
    【翻訳】フリードリッヒ・ゲンツ「永遠平和について」(1800年)
  • カリ・ユガ - Wikipedia

    カリ・ユガ(サンスクリット語: कलियुग、男性の悪魔カリの時代、悪徳の時代とも呼ばれる)は、インド哲学において循環すると考えられている4つのユガのうち、最後の段階である。他の3つはサティヤ・ユガ(英語版)、トレーター・ユガ(英語版)、そしてドヴァーパラ・ユガ(英語版)である。スーリヤ・シッダーンタ(英語版)による、ヒンドゥー暦や仏滅紀元といった紀年法の基礎となっている天文学の論文によれば、カリ・ユガはユリウス暦では紀元前3102年2月18日午前0時より[1]、グレゴリオ暦を過去に適応すれば紀元前3102年1月23日より始まった。また、この日付はクリシュナが地球を離れ、自身の住処へ帰った日であると多くのヒンドゥー教徒によって考えられている。ヒンドゥー経典を解釈する者のほとんどは、この世界は現在、カリ・ユガの中にあると考えている。スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ[2]やパラマハンサ・ヨガナン

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  • FGO第2部新章の舞台はインド! 神話学者の沖田先生に気になるところを訊いてみた「ユガ・クシェートラって何?」 | テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス

    FGO第2部新章の舞台はインド! 神話学者の沖田先生に気になるところを訊いてみた「ユガ・クシェートラって何?」 大人気ソーシャルゲームFGO』の新章の舞台はインド!「創世滅亡輪廻 ユガ・クシェートラ 黒き最後の神」というタイトルからは、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』との関連が予想されています。 そこで、『マハーバーラタの神話学』などのインド神話に関する著作や連載で知られる神話学者の沖田瑞穂先生にインタビュー。FGOユーザーでもある沖田先生から「ユガ・クシェートラって何?」「マハーバーラタでのアルジュナとクリシュナの関わりは?」などなど、気になるところをまるっと伺いました! そもそも「ユガ・クシェートラ」という言葉は登場しない! ▲『FGO』の新章の舞台はインドだ! ――まもなく配信されるFGO第2部の第4章の異聞帯の舞台はインドで『創世滅亡輪廻 ユガ・クシェートラ 黒き最後の神』

    FGO第2部新章の舞台はインド! 神話学者の沖田先生に気になるところを訊いてみた「ユガ・クシェートラって何?」 | テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス
  • Cogito ergo sum

  • Overview - Katherine Squier

  • 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 | WIRED VISION

    前の記事 紙飛行機で宇宙をめざす戸田拓夫氏 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 2009年9月 7日 Chris Lee(Arstechnica) サルバドール・ダリの彫刻『時のプロフィール』、画像はWikimedia Commons 学術論文を読んでいると、時々、これを掲載した編集者たちは「ソーカルされて」いるのではないかという疑問にかられることがある。つまり、いかにも科学的な言葉を並べたニセ論文にだまされているのではないか、という意味だ(「ソーカルされる」なんて言葉はないって? なら是非ともそういう言葉を作るべきだ)。 [ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal)が起こした事件数学・科学用語を権威付けとしてやたらと使用する、フランス現代思想系の人文評論家たちを批判するために、数式や科学用語をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著

  • 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部:ハムスター速報 2ろぐ

    一部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html >>1がスレ離脱するとこからの続きです。 かなりレス番いじくりましたが、質問が錯綜していて読みにくい感は否めない。 編集へたくそです、すみません。 554 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 21:33:26.89 ID:Ecteuiyz0 よし、俺頑張った。四時間半戦った。 おまいらありがとう。 らぶやん読むぜ。あとサリンジャー読むぜ。 乙乙。 557 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 21:34:52.33 ID:5I3c2dnfO >>554 乙です 569 :ドラドリの弟子@東大生:2007/07/25(水) 21:38:42.36 ID:7zlqpWAV0 デリダによるストロース批判を

  • ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia

    ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 - 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。 概説[編集] 1879年にフランスのビヨムに生まれる。父親は梅毒に侵され全盲状態であった。両親は無宗教であったが、人の意志で1914年にカトリックに入信。敬虔なクリスチャンとして過ごす。その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。その後フリードリヒ・ニーチェの読書体験を通して1920年代の始めまでには無神論者となった。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化

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  • クオリア - Wikipedia

    この項目では、「感覚質」と呼ばれる主観的な感覚について説明しています。その他のクオリアについては「クオリア (曖昧さ回避)」をご覧ください。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年10月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年10月) 正確性に疑問が呈されています。(2020年10月) 出典検索?: "クオリア" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL この画像を見る者の網膜には波長 630-760 nm の成分の際立つ光が十分な密度で届くはずであり、このときいわゆる「赤色」に対応するクオリアを体験するであろう。[注 1] クオリア(英語: qua

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  • シモーヌ・ヴェイユ - Wikipedia

    シモーヌ・ヴェイユ シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)(Simone Weil, 1909年2月3日 - 1943年8月24日): フランスの哲学者。『重力と恩寵』が有名。 シモーヌ・ヴェイユ (政治家)(Simone Veil, 1927年7月13日 - 2017年6月30日): フランスの政治家。同国保健相や欧州議会議長などを歴任。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。

  • 武士道 - Wikipedia

    鎌倉時代、日において武家政権が格的に始動し、武士の地位が確立する。また時を同じくして、禅宗が中国からもたらされ、武士階級に大きな影響を与える。ここで「弓馬の道」(兵〈つわもの〉の道)と呼ばれる、武士道の起源とも言うべき生活規範が成立した(これは、西洋における騎士道が成立した時期と重なる)。そして室町時代から戦国時代にかけては、室町文化を根底として、武士を中心とする各種様式が花開いた。武芸においては剣術の兵法三大源流が興り、芸能では能楽・茶道などが武士教養となり発展した。ここまでの一連の時代の中では未だ「武士道」と呼ばれる言葉は存在しなかったものの、公家やそのほか社会階級とは全く異なった、武士特有の価値観(美意識)・道徳観が存在していたことは確かであった。 武士が守る道徳的規範を示す言葉として「弓馬の道」があり、主従関係、礼節、武勇、廉恥、質実を尊ぶことが美徳された[2]。 「武士道」

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  • 騎士道 - Wikipedia

    岐路に立つ騎士(ヴィクトル・ヴァスネツォフ画、1878) 16世紀ごろの西洋鎧と馬鎧 メトロポリタン美術館展示品 騎士の叙任(エドモンド・レイトン画、1901) 騎士道(きしどう、英: Chivalry)は、ヨーロッパで成立した騎士階級の行動規範。 概要[編集] 騎士道とは主に中世ヨーロッパの騎士階級に浸透していた情緒、風習、法や習慣を総称する単語[1]であり、騎士たる者が従うべき規範である。騎士道はキリストの戦士の行動規範として中世盛期に生まれ、その後徐々に民の模範としての規範に姿を変えながら、近世まで西欧国家のほぼ全てに存在した[2]。 騎士道は近代以降も英国紳士の行動規範や、西欧の社交術などに大きな影響を与えた。騎士道に由来するマナーの例としてレディーファーストが挙げられる[注釈 1]。 騎士道の教えの核心とされたのは、中世盛期においては「神への献身・異教徒との戦い・弱者の守護」であ

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  • 悪の起源 - Wikipedia

    項では、人間社会における「悪」、様々な宗教における「罪」の概念の起源に関する諸説を紹介する。 諸説[編集] ソクラテスを初めとするギリシャの哲学者たちは、事を単純化して、悪の起源は、人間の無知にあると考えた。 ゾロアスター教により代表されるペルシアの二元論では、「善」と「悪」は、永遠に対峙する2つのものであって、しばしば、「善」は霊の世界、「悪」は物質の世界と結びつけられている。この二元論はグノーシス主義を介して、広くギリシャ・ローマ世界に影響を与えた。 肉体そのものを悪と考え、禁欲主義を主張したストア派の哲学、この世を悪として隠遁生活を唱導したキリスト教の修道院主義などにその感化をみる。 キリスト教の立場からは、人間社会における「悪の起源」は、『創世記』3章に記されているような、アダムとイヴの創造主である神に対する不服従の結果として、人間生活に闖入してきた原理であると説く。犯罪あるいは

  • 性善説と性悪説 - Wikipedia

    性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)は、「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする説と「悪の性質をもつ」とする説。 古代中国の儒家の『孟子』と『荀子』の説に由来する。日では明治時代に西村茂樹や井上哲次郎が哲学・倫理学の問題として再解釈した[1][2][3]。そこから派生して、現代の日では様々な文脈や意味合いで使われる。 項では、世碩の性有善有悪説、告子の性無善無悪説、王充や韓愈の性三品説(せいさんぴんせつ、せいさんぽんせつ)[4]といった、関連する他の説についても述べる。 解説[編集] 現代の日では、性善説は「人はみな善人である」という楽観主義、性悪説は「人はみな悪人である」という悲観主義、といった意味合いで広く使われる[5][6][7][8]。しかし来は、楽観主義や悲観主義ではなく[5][6][7]、どちらも「教育の重要性」を主張するための説だった[7](詳細後述)。

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  • 幸福論 - Wikipedia

    この項目では、考察・論究について説明しています。その他の「幸福論」と題する作品については「幸福論 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 幸福論(こうふくろん、Eudaemonics)とは幸福ひいては人生そのものについての考察・論究のことをいう。 今日「三大幸福論」と言えば、ヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)による3つの幸福論を指す[1]。 主な幸福論の特徴[編集] アリストテレス 『ニコマコス倫理学』 幸福とは快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または人間の霊魂の固有の形相である理性を発展させることであるとして、幸福主義をとなえた。 エピクテトス 『語録』 己の力の及ぶものと及ばないものを識別し、自己抑制をもって生きることを説く。 スピノザ 『エチカ』 物事を永遠の相のもとで見ることが幸福(神に対する知的愛)への道であ

  • ミシェル・フーコー - Wikipedia

    政治、規律訓練の制度・施設(規律訓練型権力)、談話分析、ディスクールの形成、装置Dispositif、エピステーメー、系譜学、統治性、ヘテロトピア、限界の体験、知と権力、パノプティシズム(監視社会、パノプティコン)、主体化 ミシェル・フーコー(Michel Foucault 発音例、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者、思想史家、作家、政治活動家、文芸評論家。 フーコーの理論は、主に権力と知識の関係、そしてそれらが社会制度を通じた社会統制の形としてどのように使われるかを論じている。構造主義者やポストモダニストと呼ばれることが多いが、フーコーはこれらのレッテルを拒否している[1]。フーコーの思想は、特にコミュニケーション学、人類学、心理学、社会学、犯罪学、カルチュラル・スタディーズ、文学理論、フェミニズム、マルクス主義、批判理論などの研究者に影響を与えてい

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  • カール・グスタフ・ユング - Wikipedia

    カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。 生涯[編集] 幼少期[編集] 1875年、スイス、トゥールガウ州ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント(改革派)牧師の家(ドイツ系)に生まれる[1]。父パウル・ユングは教会牧師であった[2]。母方の祖父も優れた神学者であり、父パウルの師匠でもあった[2]。一方,父方の祖父カール・ユング(ユングと同姓同名)はすぐれた医師であり、ユングの母校バーゼル大学の学長も勤めた[2]。この祖父には、ゲーテの私生児だと言う伝説があった[3]。ユングは、医学と宗教学を家族的背景に持っている[2]。 少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭する。「生涯忘れられ

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  • ジークムント・フロイト - Wikipedia

    フロイトによる構造論 1886年(30歳)、ウィーンへ帰り、シャルコーから学んだ催眠によるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移した。治療経験を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。これを毎日施すことによって患者はすべてを思い出すことができるとフロイトは考え、この治療法を精神分析(独: Psychoanalyse)と名づけた。 1889年、フロイトは催眠カタルシスか催眠暗示療法どちらをとるか迷っていたため、催眠暗示で名高いフランスのナンシーに数週間滞在した。この滞在で治療者としての手と、個々に合わせた治療という技法、催眠暗示の長所短所について意見を聞いた。 帰国した彼は、以前から交流のあった催眠カタルシスの先輩ヨーゼフ・ブロイアーと共同研究を始めた。同時に3年ほどそれを治療にも用いて、臨床での結果を研究材料に使った。しかしほどなく

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  • ジャン=ポール・サルトル - Wikipedia

    受賞理由:アイデアが豊富で、自由の精神と真実の探求に満ちた作品は広範囲にわたる影響を及ぼしたため(受賞辞退) ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(仏: Jean-Paul Charles Aymard Sartre [ʒɑ̃pɔl ʃaʁl ɛmaːʁ saʁtʁ]、1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁のはシモーヌ・ド・ボーヴォワール。右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。自らの意志でノーベル賞を辞退した最初の人物である。 実存哲学の代表者。『存在と無』などの思想を、小説『嘔吐』、戯曲『出口なし』などで表現した。 生涯[編集] サルトルは1905年、フランスの首都であるパリの16区に生まれた。生後15ヶ月で、海軍将校であった父親が熱病に倒れて逝去したため、母方の祖父であるドイツ系フ

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  • セーレン・キェルケゴール - Wikipedia

    セーレン・オービュ・キェルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard デンマーク語発音: [ˈsɶːɐn o:'by ˈkiɐ̯ɡəɡɒːˀ] ( 音声ファイル)、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家[1]。今日では一般に実存主義の創始者、ないしはその先駆けと評価されている。 キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。 表記と仮名[編集] 日語では、「セーレン・オービエ・キェルケゴール(キルケゴール)」との表記が通用しているが、デンマーク語の原音に近いカタカナ表記は「セーアン・オービュ・キアゲゴー」である[2][3]。セーレンと

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