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沖縄に関するislecapeのブックマーク (36)

  • なごなぐ雑記: 言葉を失っていられない

    【言葉を失う】 人はどのようなときに「言葉を失う」のだろうか。私たちが遭遇している、辺野古への新基地建設をめぐる様々な動向に「言葉を失う」という感覚を得ることは、言葉としては適切なのだろうか。 建設に伴う環境問題に関するデタラメな対応然り、日米で言い分が違う基地の運用に関する諸般然り、政治的意思決定のあり方に関する傲岸然り。1996年のSACO合意以降、1997年の名護市民投票の結果を得てなお、基地を押し付け(受け入れ)てくる政治状況に、人々は抗い、環境アセスや様々な局面で「法」や共通のものさしになる「科学」や「事実」に基づき適切かつ粘り強い態度を貫いてきた。10数年に続く長いプロセスを経て、沖縄県民は新基地建設に反対するコモンセンスを自らのものにした今日がある。 それにも関わらず、新基地建設を沖縄に押し付ける日米両政府の合意がある。私は合意そのものに、憤りや様々な感情を覚えるが「言葉を失

  • なごなぐ雑記: 元気です

    拝復 この頃は、自ら何かを発信する気力なく、沈黙を友としています。 なんだかいろんなことが、繰り返しの中にあるような気がして、先に進まないことに対する焦燥感もありますが、私が焦ったところでなんになると小さく笑う日々です。 日国は政権交代してなお、沖縄の位置を変えることはできませんでした。沖縄とて、民主党県連は脳死状態、一部の人々が叫んでいた「自己決定権」と威勢はいいが具体性を欠く言葉はスローガンにすらなりえませんでした。社共と運動団体や諸個人が、知事選に向けて動き始めているようですが、現今の状況の中で県民にいかなるビジョンを示し支持を調達できるかはわかりません。 1997年に名護市民投票を行った際は、大田革新県政ですらが「名護市と国の問題」と逃げていました。あの状況のなかで、市民が示した一票一票をどのように受け止め、どのような未来を切り拓いていくのかが問われていましたし問われ続けています

  • 普天間問題その後と、その片隅で起きていたブクマでの一コマ - あんとに庵◆備忘録

    えっと。ブログさぼり中。 まとまった文章を書く気力が起きないのだ。ツイッターの性だ。 さて菅直人政権に移行してなんとなく頓挫中の普天間基地移設問題。 徳之島訓練移設では、今月21日に民主関係者が島に来るとかなんとかで、密かに進行中な模様です。 ▼http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20100612ddlk46010599000c.html 鳩山由紀夫前首相が辞任を表明した翌日の今月3日。徳之島のある町議に民主国会議員秘書から電話があった。「21日に島に入る。一緒に回ってほしい」 普天間問題はとにかく手順悪過ぎだったうえに、鳩山政権内のコンセンサスがとれなさ過ぎており、それぞれ勝手に動き回ったり、個々の思惑がマスコミにだらだらと流れ、それを元に記事が書かれることで混迷したり、つまり政権内でのすり合わせが全然出来てなかったのが一つの要因ではあったと思う

    普天間問題その後と、その片隅で起きていたブクマでの一コマ - あんとに庵◆備忘録
  • なごなぐ雑記: 曳かれ者の小唄

    総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日 ) デモクラシーという言葉というか概念というか考え方があり、それにもとづく制度がある。あることになっている。日国民の投票で選ばれた国家議員で、国会の多数派が選び出した総理大臣が役所を動かせないということは、役所を動かしているのは誰なんだ。くだらん陰謀論が跋扈するのは、くだらん現実があるからでしかない。このあまりにものくだらなさは、おそろしいほどである。この国の主権者はidiotなのだろうか。 外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09) こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の

  • なごなぐ雑記: 偶感

    5月28日に日米共同声明が成され、30日社民党が連立政権を離脱した。世の人々は、賛否両論喧しいが、辺野古移設が日米合意され社民党が連立政権に残る選択肢は考えられず、それをまっとうな論のように考えきれる思考/発言はおかしい。 社民党の連立離脱を巡って「政治は妥協の芸術」などという言葉もどこかで見てしまったが、「政治」以前の属国的妥協と国家的差別がなされる現状のなかで、そのような言葉は陳腐な現状追認を粉飾するだけである。もしくは現状の現実的把握が欠如している様を曝け出す。醜悪な裸踊りが至る所で踊られている。 金を得る仕事の休みを利用して偶感を記しておく。 「辺野古移設」について、マスコミのみならず大勢の人々は経緯と事実を知らな過ぎるのではないだろうか。 1996年にSACO合意で普天間返還が決定され、その代替地として97年に日政府により辺野古が名指しされたことに端を発する。97年の名護市民投

    islecape
    islecape 2010/06/01
    「グダグダな国家社会にはグダグダな政治しかないが、私たちがミクロポリティシャンとして、そのグダグダと同化する必要は全くない」ない
  • 福島大臣罷免/非は沖縄切り捨てた側に 政権トップの感覚を疑う - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社説 福島大臣罷免/非は沖縄切り捨てた側に 政権トップの感覚を疑う2010年5月29日  これは異なことを聞く。沖縄の民意を踏みにじった首相が28日夜、民意を大切にするよう進言してきた閣僚の1人を罷免した。どういう了見だろうか。県民はとても納得できまい。  日米両政府はこの日午前、宜野湾市にある米軍普天間飛行場の移設先を、名護市辺野古崎地区などとする共同声明を発表した。  これを受けた政府方針への署名を社民党党首の福島瑞穂消費者行政担当相が拒んだことから、鳩山由紀夫首相が罷免を決めたというが、おかしいだろう。 非は沖縄を切り捨てた側にあるのであって、首相こそ責任を問われてしかるべきだ。 ■日米声明で決着せず 日米の外務、防衛4閣僚で発表した共同声明は、海兵隊ヘリ基地である普天間飛行場の機能を名護市辺野古崎地区とこれに隣接する水域に移し、1800メートルの滑走路を建設する内容だ。鹿児島

  • 何故オキナワでインティファーダが起こらないんだ?

    を始めて訪問したアラブ人知識人に、よくこう聞かれる。「第二次大戦後、連合軍の占領下に入ったとき、日での反米抵抗運動はどんな感じだったんだ?」 いや、特段大きな抵抗運動はなかったよ、と応えると、相手はとてもびっくりして、そんなはずはない、と、信じてもらえない。米軍との戦争を経験したイラク人は、広島、長崎に原爆を落とされておきながら、どうして反米運動が起きなかったのか、と疑問をぶつけてくる。「イラクで全国的な反米運動が吹き荒れたというのに、戦後の日に抵抗運動がなかったなんてありえない!」 そんな彼らが今の沖縄の状況を見たら、きっとこう質問するだろう。「なぜ沖縄は、こうも長く外国軍の基地を押し付けられながら、パレスチナで起きたようなインティファーダ(民衆暴動)を起こさないのか?」 1987年末に西岸、ガザで起きたインティファーダは、20年間のイスラエル占領、40年間の難民生活にフラストレ

    何故オキナワでインティファーダが起こらないんだ?
    islecape
    islecape 2010/05/27
    記事の本旨とは外れるけど、沖縄に関して本土の人間が「なぜ(抵抗/独立しないんだ)?」というとすればちょっとあまりにも他人事すぎるよなあ。
  • なごなぐ雑記: 軍事植民地沖縄統治のセオリー

    沖縄は1972年以来、日国の一県でありながら日国の一県ではない。沖縄統治の基調は軍事植民地主義であり、それを正当化するロジックは国家安全保障である。 日米安全保障条約には、沖縄に基地を置くという条文はない。旧安保条約の際に、安保条約に基づく在日米軍は大日帝国の敗戦から続く占領軍であったこともあり、不平等条約への反発から反米闘争の高まりの中で米軍基地は縮小され当時日国ではなかった沖縄に移設された。 密約だらけの1972年の沖縄の施政権返還は、沖縄の基地の維持・自由使用と施政権返還は両立するという国防総省と国務省の「琉球特別作業班」の調査レポート(1967)が 出てはじめて動き出した。 沖縄は、日国民の反米(反基地)闘争の高まりの中で米軍基地が退避した米軍統治下の島であり、それらの維持経費等を拠出させるために施政権が日国に返還された日国の一県である。通底しているのは、米軍の島であ

  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

  • http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20100513

  • なごなぐ雑記: アリス・イン・ワンダーランド

    徒然なるままに 鳩山首相が沖縄を訪れた。「訪沖」と表現されるほどには、沖縄は日国に包摂された外地である。 他府県がすべて拒否するので、結局沖縄県内にアメリカ海兵隊の基地を造るというが、沖縄は他府県の人々より大いなる労力をかけて拒否の姿勢を示している。 海兵隊は有事の際(紛争地域にいる)日人救出のためにも役立つみたいなことを日国の外相が発言していたが、見事にスルーされていた。 鳩山首相を攻撃・口撃して、事態が好転するならそれも良しだが、問題は誰が首相になっても変わらない、変えることはできないと思われる「構造」にこそある。 その「構造」は見せかけであり、実態である。舞台に吊るされた紙でできた月は、月ではないが月である。登場人物たちは作者を探さない。 「抑止力」という名の興行に、沖縄は生贄として捧げられている。このサクリファイスは紛争の抑止ではなく、紛争の可能性維持のためになされる。 紛争

  • 「米軍基地徳之島移設断固反対1万人集会」があれほどの人数を集めたことを冷静に考えてみる。 - 凍てつく南島

    奄美群島, 徳之島asahi.com(朝日新聞社):徳之島、三たび大規模集会 1万5千人「基地いらない」 - 政治 沖縄の米軍基地と奄美群島の関係(我が家の場合)先週末、徳之島のオジサンが徳洲会病院で亡くなった。還暦になるかならないかの若さで全身に癌が転移していたらしい。感情を表に出す男たちが多い中で、集まりでも寡黙な想いを胸に秘めているタイプのおじさんだ。僕も末っ子だが、僕とは違うタイプの末っ子だった。民主党の徳之島移転の話が振って湧いたようにメディアに登場してから、身体が疼くようにカーッと熱くなることが何度もありました。2月に「徳之島への米軍普天間飛行場移設が『徳之島自立論』につながる可能性」を書いてから、沖縄の米軍普天間飛行場の徳之島への移設のニュースは治まるように見えながらも、煮え切らない情報が錯綜し、訳のわからないリーク情報や終いには『腹案』なんぞという言葉が聞こえるようになって

  • 国内で政争の具になっているうちは米軍基地問題は絶対に解決しない - Munchener Brucke

    普天間問題は解決できないであろう。なぜなら外交問題を国内の政争の具にしたら負けだからだ。日国内に「アメリカの言うとおりにした方がいい」という世論が一定数あるうちは、アメリカは日に譲歩する意味がない。外交というのは国会の議席数はあまり関係なく、国内の世論が統一できて始めて相手国に交渉できる条件が揃う。国内世論が分裂している状態ではまともな交渉などできる訳はない。 政争の具にしているのは自民党を中心とする野党側かも知れないが、そもそも民主党や社民党は自民党の沖縄政策に対して批判を続けてきて、これを政争の具にしてきた。下野した自民党は意趣返しに今度は鳩山政権を基地問題で追い込もうと政争の具にするのは目に見えていた。そもそも最初からボタンを掛け違えていた 鳩山政権に解決できる道はあったのか? 最初からボタンが掛け違っていたので、最初から解決困難な問題ではあったが、解決する方法がなかった訳ではな

    国内で政争の具になっているうちは米軍基地問題は絶対に解決しない - Munchener Brucke
  • なごなぐ雑記: デフラグメンテーション

    書かなきゃ(考えなきゃ)いけないものがあるのだが、なにも手がつけられず時間だけが過ぎてゆく。現状について思っている断片だけ記しておく。 問題は「移設」ではなく「返還」である。「移設」を問題にしているのは政府でありマスコミである。移設論で民衆は翻弄され分断されるが、とまれ、我々が問題にすべきは「返還」である。沖縄の基地問題の根幹にある土地問題は根深く層を成している。「普天間」は米軍が沖縄の民衆を収容所に隔離しているあいだに、土地を取り上げ作った基地である。問われるべきは「返還」以外にない。 1995年、沖縄の自治体首長が「等しく負担を」と全国に向けて叫ぶ姿は構造を揺るがす強度であった。2010年、沖縄選出の国会議員が「等しく負担を」と移設先を探して全国を奔走する姿は構造を補完する強度である。「等しく負担を」というレトリックは日米安保に対する評価を留保しているが、前者は留保することで問題の根幹

  • なごなぐ雑記: 状況に対する雑感

    誤解を招きそうだが、まったき個人の意見として、あまり整理もせずここに書いておく。 私は、鳩山首相やなんとかいう名前の官房長官の発言に、あまり怒ってはいない。かといって哀れんだり蔑んだりもしていない。 冷静に考えて、私が思うに追い込まれているのは日政府である。米国は地元同意がないプランに対しては交渉のテーブルにもつけない趣旨の発言をしているらしい。かっこつけやがってと思いもするが、日政府のほうが赤子と大人ほどレベルが違いすぎる。沖縄が、シュワブ陸上案や与勝沖埋め立て案で同意する道筋はない。 「少なくとも県外」と発言してきて、何ゆえにこんな出口に出るしか脳がないのか。不思議である。日政府は米国と、日国民が知らされていない決定的な「密約」を米国としているのではないかと疑いたくなるほどである。 「復帰」の際の「5.15メモ」などに明らかな、沖縄の米軍基地の自由使用などの日米合同委員会合意を

  • asahi.com(朝日新聞社):沖縄の「空」ようやく返還 不自然な飛び方、改善の期待 - 社会

    米軍が担っている沖縄上空の航空管制業務が、31日に日に返還される。18日の日米合同委員会で合意した。1972年の沖縄返還後も米軍に管理され続けてきた。那覇空港を発着する民間機にとっては、日の管制官による指示で効率的な飛行が可能になると期待されている。  この空域の管制は「嘉手納ラプコン(レーダー・アプローチ・コントロール)」と呼ばれる。対象空域は嘉手納基地から半径約90キロと久米島の周囲約50キロ。高度は約6100メートルに及ぶ。2000年にようやく返還の方針が示され、5年以上にわたって日人管制官が移管に向けた訓練を重ねてきた。  前原誠司国土交通相は18日の会見で、「日の空を日が主権国家としてコントロールするのは当然」と述べた。まだ返還されていない横田基地(東京都)や岩国基地(山口県)の周辺空域についても「信頼関係に基づいた話し合いが、これから米国と行われていくと期待する」と語

  • なごなぐ雑記: 「普天間移設」という呼称について

    快晴、休日、雑事で多忙中。少し休憩して雑記を記す。 今朝の新報朝刊の見出しにも「普天間移設」という文字が鎮座している。 新聞やメディアで、政治的社会的問題となっている案件について呼称が与えられる。呼称は名であり、名は実体を表象する。私たちは、その呼称を用いて、その案件について何か考えたり話したりする。 私は「普天間移設」という呼称に、不安と不満と、めまいのような感覚を覚えている。 13年前、それは「代替施設」と呼ばれ「海上ヘリポート」と呼ばれた。それから「県民の財産」と県知事に呼ばれ、「軍民共用空港」と呼ばれた。そうして2005年には日沖共同の詭弁(=「県民の財産」「軍民共用空港」)のメッキは日米両政府の決断により剥がれ、海兵隊の空・海・陸の「港」機能を備えた拡大総合基地になった。 そのような経緯を踏まえてなお、この案件を「普天間移設」と呼ぶのは政治的行為である。政府案の中には、「普天間飛

  • なごなぐ雑記:  「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その3)

    多忙ゆえに、報道等情報を追いかけることもできず、ましてや散らかし放題の手持ち資料をひっくり返し整理することもできない。このまま、ゆとりができるまで、なごなぐ雑記の更新を放置しておこうかとも思ったが、とりあえず状況に対する断片的な私見をメモしておくことで、自らの思考の整理に役立てるため(その3)を書いておく。 3月27日に、沖縄大学土曜教養講座で『沖縄論』に関するシンポジウムがある。縁あって参加するので、現在の私の状況では、そこで発言することの内容に集中できるかどうかが関の山である。そのための思考の断片なら、もしかして、なごなぐ雑記になにか書くことができるかもしれない、期待しないでときどき覘いてください。「okidaidoyoukouza.pdf」をダウンロード 【移設】 辺野古への新基地建設計画が、海兵隊普天間飛行場の単なる「移設」でないことは、現行計画の中身や経緯をみれば誰もがわかる。

  • なごなぐ雑記: 「沖縄のこころ」―民衆の社会的連帯の再生

    明日(もう今日だ)の沖縄タイムスの読書欄「今週の平積み」に、『沖縄論』の私の書評が掲載されますので、チャンスがあれば読んでください。新聞社の方がつけてくれた見出し(タイトル)は、私が確認したゲラでは「『沖縄のこころ』実現の提言」となっていました。 編著者である宮憲一先生は『沖縄論』のなかで、「沖縄のこころ」を「現実主義的理想」といいます。我々の世代もそうだし、復帰などを知らない若い世代はもっと「沖縄のこころ」といわれてもピンとこないと思います。世代間のギャップもあるけど、時代の推移も大きいものがあります。 新聞に掲載する書評では字数に限りがあり、書けなかったことを、なんとなく整理もしないまま、今日はここに書いておきます。 「沖縄のこころ」など、単なることばです。「こころ」は人の数ほどそれぞれにあり、うつろいやすく、情緒的抽象的なものだといっていいのだと思います。 『沖縄論』には、「沖縄の

    islecape
    islecape 2010/02/21
    「ある地域の問題」みたいな捉えられかたで、その地域の人が燃え尽きないと何も変わらない(あるいは、変わることすらない)という状況そのものがもうなんとも。温度差ってレベルじゃない。
  • なごなぐ雑記: 「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その1)

    なんだか、報道等に散見する政治家や有識者の発言に、とてもいらついてしまう沖縄の私がいる。自分の健康のために、辺野古新基地建設について、せめてこれぐらいは知っておこうというお話を整理しておく。 【沿革】 《海上ヘリポート》 1996年、SACOにより普天間返還の条件として、1300メートルの滑走路を有する撤去可能な代替施設「海上ヘリポート」建設が日米合意された。SACO文書には建設地は明記されなかったが、名護市キャンプシュワブ沿岸域が建設地とされた。(注1) 1997年、名護市民投票。基地建設反対が過半数超。 1998年、大田沖縄県知事が「海上ヘリポート」建設の受け入れ拒否を表明。 《軍民共用空港》 1999年、稲嶺県知事が軍民共用・15年使用期限等の条件を付けて普天間代替施設の受け入れ表明。県知事からの要請を受けて岸名護市長が条件付受入れ表明。日政府は、沖縄側からの条件を受入れるかたち

    islecape
    islecape 2010/02/05
    「自分の健康のために」そういうことありますよね……