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宮本常一に関するkanototoriのブックマーク (72)

  • 宮本常一と三角寛 - 神保町系オタオタ日記

    常一の日記*1によると、 昭和41年1月31日 アチックへゆく。かえりに渋谷で『木佐木日記』『岡太郎の眼』などを買う。『サンカ物語』も。これは『サンカの社会』よりもおもしろい。私はこれほど1つのものを追いかけたことがない。 とある。『サンカ物語』は、三角寛『山窩物語』(読売新聞社、昭和41年1月)のことと思われる。三角寛『サンカの社会』は朝日新聞社から昭和40年11月刊行。 宮がサンカについて、書いたものとしては、「サンカの終焉」(『山に生きる人びと』(未来社、昭和39年1月)所収)が知られている。宮はそこでは、 なおサンカについては三角寛氏の厖大な研究があるが、私はまだそのことについては何もうかがっていない。 と記している。個人的には、宮には三角サンカについてもっと言及してほしかったが、学者としては深入りしなくて正解であった。 ところで、筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(

    宮本常一と三角寛 - 神保町系オタオタ日記
  • 噂が伝説になる時 - 記憶の彼方へ

    常一は若い頃に肺結核で二度死線を彷徨った体験をもち、生存にぎりぎりの肺活量しかなかったと言われるも、日列島の津々浦々を何かに憑かれたようにひたすら歩き続けた稀有な旅人、前代未聞の記録者だった。1930(昭和5)年、23歳の時、最初の病に倒れ、郷里で1年以上の絶対安静の療養中には、ひたすら『万葉集』を読み、それが後の旅に大変役立ったと語り、こう続ける。 ほんとうの旅は万葉人の心を持つことによって得られるものではないかと思うようになった。(『民俗学の旅』80頁) 病が癒えて、医者に外出を許されてからは、ふところに手帳を入れて人の集まるところへいっては話を聞き、それを書き留めたり、野山をあそびまわるようになったという。そんな頃の興味深いエピソードがある。 病気がよくなると野や山をあそびまわった。草の中に寝ころんで空を流れる白雲を見たり、沖の島の上で夕日を長いあいだ見ていたり、浜へ出て海へ石

    噂が伝説になる時 - 記憶の彼方へ
  • 悼む人々 - 記憶の彼方へ

    イザベラ・バードの日奥地紀行 (平凡社ライブラリー) 今から130年前の1878年(明治11年)に英国人女性イザベラ・バードが日列島を旅した。彼女が歩いて、見て、聞いて、記録した「日」を、それから約100年後の今から約30年前に宮常一が解説した。その「日」は、私にとってほとんど見知らぬ国である。時代が時代なんだから、当たり前だ、と思う一方で、それにしても、その間の変化はあまりにも急激で、それによって得られたものの陰で失われたものの大きさを思うと非常に複雑な気持ちになる。 「イザベラ・バードの『日奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリー 133頁 例えば、この挿絵に描かれたものは一体何だろう? これは、イザベラ・バードが「これほど哀れにも心を打つものを見たことがない」と記録し、宮常一が「とにかく通りかかった人たちの慈悲によって一つの霊が浮かばれるようにという行事なのです。このような

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  • 宮本常一が残した10万枚の写真 - 記憶の彼方へ

    常一 (KAWADE道の手帖) 宮常一はこんな笑顔の素敵なおっさんだった。 日の村という村、島という島を歩き続け、膨大な記録を残したとんでもない民俗学者・宮常一は10万枚余りの写真も残した。宮常一の故郷、瀬戸内海に浮かぶ周防(すおう)大島の東和町に、2004年5月18日、「周防大島文化交流センター」がオープンした。そこには、その10万枚余りの写真が一枚残らず収められているという。昭和35年から昭和56年までの間に各地で撮影された「失われた昭和」を記録した宮常一の10万枚余の写真コレクション! いつか必ず見に行こうと思っている。でも、人生何が起こるか分からない。明日、ポックリ逝くかもしれない。なので、少しでもいいからその雰囲気を味わっておきたいと思って、10万枚余から厳選されたという約200枚が収録されたを買った。素晴らしい。 宮常一の写真に読む失われた昭和 かえすがえす

    宮本常一が残した10万枚の写真 - 記憶の彼方へ
  • 萩博物館発、節分の話題、余話 | 萩博ブログ

    この建物は、駄屋(牛馬舎)として用いられていたようです。 その出入り口梁上に、釘で打ち付けられたこれは何でしょうか。 ご不在だったので、残念ながらこれが何かをお尋ねすることができませんでした。 機織で用いられる「おさ」に似ています。 これは、魔よけと考えられます。 かつて人々は、災いをなすものは、光るもの、トゲのあるもの、たくさんの目があるものなどを苦手とすると考えたようです。 山口県北西部のある地区で、家の開口部にアワビの殻を置くという話しを聞いたことがあります。 ナガモノ(蛇)が入って来ないようにそうする、と説明されました。 やはり、生活文化担当学芸員は、外歩きをせねばと思います。 歩かねば情報を得ることはできません。 歩いて、見て、聞いて、記録する。 そして、それを資料化して次の世代に渡す。 民俗学者の宮常一さんは、生涯かけてそれを実行されました。 2月14日(土)14:00~16

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  • 宮本常一写真図録 第2集――日本人の暮らし 昭和37~39年

    みずのわ出版 拠地 ・ 山口県周防大島の出版社、です ―詳 細― 宮常一写真図録 第2集 ――日人の暮らし 昭和37~39年 宮常一写真図録 第2集 ――日人の暮らし 昭和37~39年 周防大島文化交流センター・ 東京写真月間実行委員会 ((社)日写真協会 ・東京都写真美術館)編著 宮常一 写真 森孝・高橋延明 監修 2009年2月刊 A5判並製172頁 体2300円+税 ISBN978-4-944173-59-4 C0336 装幀 林哲夫 [帯 推薦文より] 足に目がある。目は日を見続けている―― 民俗学者・宮常一は、日全国を旅して9万カット以上という膨大な量の写真を撮影した。歩くこと、撮り続けることからしか何も見えてこない。彼の写真からはそんな強い意志が伝わってくる。 飯沢耕太郎(写真評論家) [内容] 東京写真月間2008(同実行委員会=(社)日写真協会、東

  • やらねばならぬ。 - 周防大島のみかん農家兼業版元 みずのわ出版の告知板

    【写真図録】 「宮常一写真図録第2集――日人の暮らし 昭和37〜39年」(周防大島文化交流センター・東京写真月間実行委員会[(社)日写真協会・東京都写真美術館]編著、森孝・高橋延明監修)の文最終ゲラが出た。午後から2時間くらいかけて2校ゲラとの照合をすませ、翌日午前着ねこ便で執筆者宛に発送する。この週末最終校正、2月3日校了、10日出来、の予定。その合間に別の仕事の割り込みもある。身体が3つくらいほしい。 ■宮常一写真図録第2集、の詳細 http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/zuroku2.html ■第2回宮常一写真講座、の詳細 http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/b-photo4/miyamoto-chirasi1.pdf 【祥月命日】 けふ1月30日は宮常一先生の祥月命日、で

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  • 今日の一冊 「忘れられた日本人」宮本常一 - finalventの日記

    ⇒三枝成彰さんの私の1冊「忘れられた日人」宮常一 | NHK 私の1冊 日の100冊 忘れられた日人 (岩波文庫): 宮 常一 このは日人知識人には単に必読というのはあるのだけど、人によっては何が面白いのかわからないというのはあるだろう。若い人だと、読める人と読めない人の差は大きい。 名著の評価はガチなのだが、微妙な問題は多い。 三枝成彰の話はまあ、悪くない。日人再発見みたいな感じで読まれてもよいだろうし、普通はそう読む。 で、と。 旅する巨人―宮常一と渋沢敬三: 佐野 眞一 このあたりも必読なのだが、ちょっとい足りない。 宮常一が見た日: 佐野 眞一 こちらは「旅する巨人」がきっかけでNHKの市民講座がベース。まあ、概論的。 渋沢家三代 (文春新書): 佐野 眞一 宮常一ではないがこのあたりも、常識の部類かな。ちょっとそういうのは勇み足だが。 で、と。 日文化

  • 広島大学  - 記事詳細

  • 地域ニュース | 中国新聞デジタル

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • http://hagishiri.exblog.jp/9055746/

  • 網野善彦の死: 極東ブログ

    肺癌、享年76歳(参照)。もうそんなお歳だったかと思う。訃報を聞いたとき、心のなかでなにやら、「しまった、しくじった」という思いが湧いた。なにを俺はしくじったのか、と心に問うてみてもよくわからない。奇妙な喪失感がある。 私は網野史観から影響を、当然、受けた。が、畏れ多いが、ライバル視っていう感じか。父親に対する思いのようなものか。 網野史観が1986年「異形の王権」で論壇に可視になったとき、俺はその歴史の光景は知っているぜ。俺だって山野を歩いて自力でその世界をこじ開けてきたぜと思った。幼い嫉妬心のようなものでもあるが、この世界をこじ開けることが、どのように精神に負担をかけるかはそれなりにわかっていた。世人は網野の結果を受け取ったが、私は網野の見えない努力を信じることができた。なお、できれば「異形の王権」は新書版でないほうを薦めたい。絵に意味があるからだ。

  • ニコンサロン

    THE GALLERY ニコンが企画し発信する写真展会場です。ニッコールクラブ会員展、写真団体展などもここで開催します。

    ニコンサロン
  • 「風の人 宮本常一」出来。 - 周防大島のみかん農家兼業版元 みずのわ出版の告知板

    佐田尾信作著「風の人 宮常一」が出来てきた。宮常一の祥月命日、1月30日付刊行。昨日午後お江戸に向かう車中で出来上がったばかりのを著者に手渡し、夕刻国分寺市内で開かれる偲ぶ会に持って行ってもらう。昨年の中国新聞連載に大幅に加筆してまとめたもので、その報告といふこともあり。 私は、偲ぶ会ではなく下請け仕事のためお江戸日帰り出張といふわけで、最終のぞみで新神戸に帰り着く。日帰りは草臥れるが仕方がない。翌日も仕事がある。 副業とも超多忙といふこともあって今年は大島での水仙忌には行かなかった……いや、それ以前に、金輪際水仙忌には行かんと肚を決めた。郷土大学周辺の人々の木村元学芸員問題への対応に納得しとらへんといふ大問題もあり、また、「宮生誕100年」と称した昨年のカラ騒ぎに辟易してしまったこともあり。そんなことより、仕事しいは仕事してなんぼぢゃ。 ほな、何で去年は水仙忌に出たんか。「優

    「風の人 宮本常一」出来。 - 周防大島のみかん農家兼業版元 みずのわ出版の告知板
    kanototori
    kanototori 2008/02/25
    いつのまにか過ぎた生誕100周年
  • off the gallery <見ること>の確かさにむけて:宮本常一と岡本太郎

    photographers’ gallery (tokyo | japan (フォトグラファーズギャラリー)) 写真家が共同運営するギャラリー。メンバー展覧会の他、企画展、イベント、トークショーなどを開催。HPでは写真評論・連載や、書籍の販売も行っています。“photographers’ gallery” is a gallery placed in Shinjuku, Tokyo, Japan. It is run by a group photographers. We have exhibitions of not only our works, but also non-member’s works, lectures, and some events at the gallery. We operate our activities with a broad outlook no

    off the gallery <見ること>の確かさにむけて:宮本常一と岡本太郎
    kanototori
    kanototori 2007/12/27
    「こんな写真しか撮れなかったということは、こんなものしか見ていなかったということの証明であるという宮本の主張。」
  • 地域ニュース | 中国新聞デジタル

    kanototori
    kanototori 2007/10/11
    山口県内7ケ所
  • 広島市立図書館 - お知らせ - 民俗学者 宮本常一の資料展示と講演会

    kanototori
    kanototori 2007/10/03
    せめて写真は見に行かないと
  • http://www.h3.dion.ne.jp/~kamuro/sub51.htm

    「松さん、この間の件だけど、私も主人からショケンシと聞いたし、主人の同級生 だった人にも聞いてみたけど、ショケンシだそうよ」 用件を簡潔にさらっと話す声は宮アサ子さんだった。(1/16 21:00) 実は、佐野眞一さんの著書「宮常一が見た日」の中の、「世間師」の読み方に ついて、宮常一さんの生家がある長崎地区および、生前に宮常一さんがどのよう な呼び方をしていたのかを問い合わせていた。アサコさんからの電話はその返事だっ た。 「世間師」とは、宮常一さんが書いた「東和町誌」では「旅から旅をわたりある く人たちを世間師といった」と説明してある。この部分を引用した佐野眞一さんは著 書の中で「しょけんし」とルビを打っていた。 この件について、離島センターの鈴木勇次さんから問い合わせが入ったのは、昨年 十二月初めの頃だった。 ―――――――― 「佐野先生の山口