はあちゅうの童貞ディスに傷ついた小僧どもよ!ソープに行け!北方先生も言うておるぞ!〜伝説の回答「ソープに行け!」 真剣だった北方謙三さん https://t.co/3zTl4xKSrQ
特定の「童貞」個人を指した「童貞いじり」は立派なセクハラだが、個人がブログ等で童貞という一般的な属性を茶化すのはセクハラじゃねえ!表現の自由の範囲。それとも童貞は人種のように本人努力では変更不可な属性だからヘイトスピーチ扱い?>は… https://t.co/120gM0hmXq
ナンシー・フレイザー(Nancy Fraser)のインタビュー記事(2016)を翻訳しました。原文はここです。 「ケアの危機」とは現在私たちが直面している構造的な問題です。ケアを代表とする家事や子育て、介護などの「社会的再生産」がどんどん民営化・商品化され、私たちの生活が切り縮められている状況のことをいいます。このインタビューでは、その歴史的背景の説明や様々な大事な論点の解説があります。ケアといえば今は子育てや介護という私たち個人が家庭で日々直面する営みが議論されますが、それにとどまらず、公的な教育費の削減や福祉・医療の民営化なども大きな問題です。もちろんアメリカや欧米だけでなく日本も、というより日本は特に深刻に直面している課題です。 要約すると、近代史は、19世紀の自由資本主義→20世紀半ばからの国家統治型資本主義→現在のネオリベラル資本主義、という3段階に分けられます。それぞれの段階で
▼〈アメリカ・シャーロッツビルに白人至上主義者が集結 その背景と経緯、そして今後〉8月14日、ヤフーニュース個人(筆者=明戸隆浩) デモはかつて人民が政府に抵抗する手段だった。いまやデモは人民の分断を象徴する現象になっている。先日アメリカで起きた事件は、その変化を象徴するものだった。 日本でも大きく報道されたように、去る八月一二日に、バージニア州シャーロッツビルでヘイトデモとカウンターデモの衝突が起きた。市議会が南北戦争の英雄像を市内の公園から撤去すると決めたことに抗議するため、白人至上主義者が同市に集結、それに抗議するリベラル側市民も集結し、大規模な衝突となったのである。そのなかで二〇歳の青年が車でカウンターデモに突入、死者まで出てしまった。 社会学者の明戸隆浩が一四日に早くも発表した記事「アメリカ・シャーロッツビルに白人至上主義者が集結 その背景と経緯、そして今後」は、事件の背景と課題
「反差別」という差別が暴走する:在特会と反ヘイト団体の闘い:「メディアと警察に守られながら過激さを競い合うコント」 http://www.asyura2.com/14/senkyo167/msg/788.html 投稿者 あっしら 日時 2014 年 7 月 02 日 17:25:46: Mo7ApAlflbQ6s 在特会と反ヘイト団体の路上パフォーマンスを見聞きすると、偉そうに振る舞いたがるスケベおっさんたちの都議会での野次がかわいく思えてくるから不思議だ。 運動の過激さ自体を非難する気はないが、人権主義の権化のような反ヘイト運動家のなかには左翼的価値観の持ち主が少なくないだろうから、信念をもって過激になるのは不思議ではない。そうじゃなきゃ、人殺しも辞さない革命運動に身を投じることはできない。 ロシアでは、小説・演劇・映画などでも、侮蔑や罵りの表現を使うと罰金を徴収する法律が施行される運
wezz-y.com wezz-y.com 今日は、Wezzyというサイトに掲載された社会学者の平山亮のインタビューについて取り上げようと思う。タイトルからも察せる通り、男性が感じる社会的なプレッシャーや苦痛を問題として取り上げるタイプの「男性学」に対して平山は批判的なのであるが、インタビューを見ていると「男性学」への批判が行き過ぎている箇所や男性が感じるプレッシャー・苦痛についてあまりに無頓着で鈍感なのではないかと思わされる箇所が所々にある。引用しつつ反論したいと思う。 とりあえず、私が最も問題に思ったのは、【2】の3ページ目に掲載された以下の箇所。 ――(註:"男性学"学者の)田中俊之さんは『男がつらいよ』(KADOKAWA)の中で、日本人男性の自殺率の高さを取り上げ、日本の過剰労働を紐づけて「男の生きづらさ」だ、とまとめているように読めました。自殺するほど男は追い詰められているのだと
タイトルは半分釣りですが半分起こりうると予測され、その確実性が高いと思われるためです。 スキーム(仕組み)を説明します まず休眠預金使い放題法を作ります(完了) ここで民間の団体が一つだけ独占して使いたい放題の仕組みができました。 特別養子縁組あっせん法が2016年可決。 続きを読む
米社会の分断を煽って勝利を収めたトランプの余波が訪れ始めていると語るモーリー氏『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソン。 奴隷制には反対していたが、今では存在自体が白人至上主義者のアイコンとなっている、南部連合の軍司令官を務めたロバート・E・リー(リー将軍)について語る。 * * * 19世紀のアメリカ南北戦争は、現在に続く北部=合衆国と、奴隷制存続を訴える南部=連合国が激突した内戦です。あれから約150年たった昨年の米大統領選で、ドナルド・トランプは米社会の“分断”を煽(あお)って勝利を収めましたが、その深刻な余波が訪れ始めています。 当時、南部連合の軍司令官を務めたロバート・E・リーという人物がいます。彼は南北戦争以前には合衆国軍の大佐でしたが、郷里バージニアが合衆国脱退を決めると(奴隷制には反対し
logmi.jp togetter.com anond.hatelabo.jp 今日は以上の記事を読んで思ったことを記しておこうと思う。 世の中には、総論賛成各論反対、みたいなことが多い。どこの記事だったか忘れたが、「男性も無理せず弱みを見せられるようになればいい。無理に男らしさに縛られる必要はない」といった記事が多くの賛同を集めているのを見たことがある。 そして、エマ・ワトソンの演説というのも、大意はそういうことを言っている。男も女も、ジェンダー規範に縛られずに自由に生きてよい。誰もが「らしさ」を押し付けられないような社会にするべきだ、と彼女は言っているのだ。大雑把に言えば「みんな違ってみんないい」だ。 これ自体には特に反論するような点は見当たらない。多様性は尊重されるべきだ。これは一般論として全く正しい。だからこそ多くの人が賞賛しているし、確かにこの演説には耳を傾けるべき価値がある。で
こんにちは、みなさま。今日は斉藤正美さん、山口智美さんをお招きして先日行ったチャットを掲載します。山口さんは『バックラッシュ!』執筆者のお一人で、本書では「『ジェンダーフリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」をお書きいただいております。斉藤さんはその山口さんと一緒にサイト「ジェンダーフリーとフェミズム」を運営したり、ブログで丁寧な議論を展開されいる方です。 それでははりきってどうぞ。 chiki 本日はゲストに、著者の一人である山口智美さん、そして山口さんと「ジェンダーフリーとフェミズム」というHPを運営している斉藤正美さんをお呼びしています。本日の内容は、斎藤さんによる本書の感想と、山口、斉藤からみた日本フェミニズムの吟味が主題になります。というわけで、(1)雑談からゆるやかに斉藤さんの感想、(2)山口論文とジェンダーフリーの問題、(3)日本フェミニズムの問題と変動、って感じのス
この手の論争で対照の存在としての「キモくて金のないオバサン」が論点に上がってこないことがいつも興味深い。選ばれる男、選ばれない男、選ぶ女しか出てこない。選ばせてもらえない女はどこへ行った? <blockquote class="hatena-bookmark-comment"><a class="comment-info" href="http://b.hatena.ne.jp/entry/342585099/comment/miraimemory" data-user-id="miraimemory" data-entry-url="http://b.hatena.ne.jp/entry/miurayoshitaka.hatenablog.com/entry/2017/07/28/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD
Creating the possibilities of humans and society, Like sports. CEO Dai Tamesue 人間と社会の可能性を拓く、 スポーツのように。 タイムというはっきりとした結果が出る競技を追求しながら、人間の限界はどこにあるのだろうかと考え続けてきました。伸び悩んだり、重圧に苦しんだりする中で、限界は自分自身の思い込みが作っているのではないかと、そう思うようになりました。 社会を見渡せばそんな出来事が溢れています。思い込みによって制約がかかり可能性が狭まっている。自分がスポーツと向き合ってきた方法が、人間と社会の可能性を拓く上で活かせるのではないかと思い、会社を始めました。 私は「スポーツとは身体と環境の間で遊ぶこと」だと定義しています。遊びには計画も、義務もありません。面白いから行われる自由な活動です。そんな「遊ぶ」という感覚が
2017.07.12 18:00 ファブリーズMEN「汗臭ッ」CMが男性に向ける暴力性と、受け手側の認識 消臭剤・芳香剤のファブリーズのCMを、「男性蔑視ではないか」と問題視する声がある。 「エレベータートラップ」と題されたそのCMは、エレベーターの中でスーツを着た20代後半と思われる男性ひとりを取り囲む十数名ほどの女性が、男性に顔を近づけて匂いを嗅ぎ「くさっくさっ」「なんか酸っぱい」「焼肉食ったでしょ」「そのあとタバコ吸ったな」「これで得意先に行くんですか」と眉をしかめながら詰問する、というものだ。 先日サントリーが公開した缶ビール『頂』のPR動画「絶頂うまい出張」が、女性蔑視だとして批判が殺到したばかりだが(詳しくは「サントリー『頂』PR動画、宮城の壇蜜お色気観光動画も、「セクシーな女で男を釣る」わかってなさ」を参照)、ファブリーズのCMが注目されるきっかけとなったのも、「『頂』のPR
先日、twitterのタイムラインで共感したくなる文章を発見した。 生殖や性病等についての知識は必要と思うが、行為としての正しいセックスを「教育」するのか。まずは優しく抱き締めてキスするのが、部屋に入るなり服を脱がせるより優れているのか。そんなのは当事者間の問題だし、私は私のプライベートな事柄を勝手に規定されたくないと考える— 鴨島の宗教へようこそ (@kamozi) 2017年7月8日 私のセックス観も、これに近い。性行為がどうあるべきかは、カップルそれぞれが決めれば良いことで、自由なカップルの在り方、自由な性行為のありかたがあって良いはずだ、と私も叫びたくなる。 しかしプライベートな関係は、介入を受け続けてきた。 だが、私達の社会の変化や常識の変化を思い出すと、「性行為はプライベートなカップルのもの」という現代の感覚が、いつまで通用するのか怪しく思えてくる。 かつては、家庭の問題の多く
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