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ブックマーク / davitrice.hatenadiary.jp (4)

  • 「植物は痛みを感じるか? 生物学者に訊いてみた。」 - 道徳的動物日記

    アメリカのVICEというwebページに掲載された、植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏へのインタビュー記事を私訳。 チャモヴィッツ氏の著書は翻訳もされており、植物が痛みを感じるかということや植物への倫理的配慮などの論点は160ー164ページにて触れられている。 www.vice.com 植物は痛みを感じるか?生物学者に訊いてみた。 (訳注: 記事の冒頭では、アメリカの中絶論争と、胎児が痛みを感じるかどうかという議論について軽く触れられている) …しかし、感じることが確実にできる存在とは何なのか、私たちは知っているのだろうか?少なくとも、植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏によると、植物は感じることができるらしい。チャモヴィッツ氏はイスラエルのテル・アビブ大学の生命科学部の学部長で、『植物はそこまで知っている』というを書いている。 私たちは、植物が感じることができるもののなかに痛みが含まれ

    「植物は痛みを感じるか? 生物学者に訊いてみた。」 - 道徳的動物日記
    moerrari
    moerrari 2023/02/07
    植物学者によると、植物は接触や損傷を感じたり気付いたりしているが、そのことを気にしない。植物は人間のような侵害受容器を持っていない(ので「痛み」を感じない)。
  • 労働から逃避したところで幸せになれるの?(読書メモ:『隠された奴隷制』) - 道徳的動物日記

    隠された奴隷制 (集英社新書) 作者:植村邦彦 発売日: 2019/08/23 メディア: Kindleのタイトルはマルクスの『資論』に出てくるキーワードであり、このの内容もマルクス主義的なものだ。 第一章〜第三章では、ロックやモンテスキューからはじまってアダム・スミスやヴォルテールやヘーゲルなどの哲学者たちが「奴隷制(黒人奴隷制)」についてどんなことを言っていたか、というあらましが紹介される。そして、第四章では、マルクスの書いた「隠された奴隷制」とは何を意味していたのか、という詳細が明らかにされる。 第五章や第六章では現代社会の労働や資主義について話が移る。このの結論としては、一見すると自由で自発的に生きている現代の賃労働者たちが働く環境も、けっきょくは「隠された奴隷制」であるに過ぎない、というものだ。 個人的な感想としては、第四章までには思想史的な面白さがあった一方で、第

    moerrari
    moerrari 2020/08/26
    "労働や仕事というものには、やりすぎたら幸せになれないがやらなくても幸せになれない、というジレンマが付きまとう。"
  • 労働・やりがい・疎外・ベーシックインカムなどについての雑感 - 道徳的動物日記

    働くことの哲学 作者: ラーススヴェンセン,Lars Svendsen,小須田健 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店 発売日: 2016/04/07 メディア: 単行 この商品を含むブログ (4件) を見る ここ最近、仕事や労働や賃金、および財産の分配に関する哲学や思想史のを何冊か集中的に読んできた*1。 それらのを読みつつ自分でつらつらと考えてきたことを、軽くここに書いてみよう。 多くので触れられており、私がとりわけ重要に思ったのは、「労働疎外」という概念だ。これはカール・マルクスが使っていたことで有名な用語である。辞書的な定義を引用するとこんな感じだ。 労働疎外(ろうどうそがい)とは - コトバンク 人間の労働は来,自己の主体的・創造的エネルギーを発揮して自然に働きかけ,その工夫と努力が対象化された生産物の他人による享受を通して,人間が共同的な存在であることを確証する営みである

    労働・やりがい・疎外・ベーシックインカムなどについての雑感 - 道徳的動物日記
    moerrari
    moerrari 2019/12/17
    "世の中には「社会に参加しているという実感」や「誇り」なんてものが得られようのない労働で溢れ返っている / 労働というものには人々の知性や感性や気概を奪うという側面が存在している" id:entry:4678725622909064002 関連
  • パターナリズムとしての「勤労の権利」 - 道徳的動物日記

    www.orangeitems.com ↑ 上記の記事でなされている主張を引用しよう。 働かないというのは、社会から切り離されることに等しいと思います。社会で生きていたら誰かの役に立っていないときっと空虚な気持ちになります。住居も保証され何でも買っていい、旅行も行き放題。学校に行くも良し。しかしきっと、世の中の役に立って社会から尊敬されたいという欲が満たされないに違いありません。 この主張は、私が先日に書いた記事で引用した、小浜逸郎による「ベーシックインカムよりもジョブ・ギャランティー」論に相似したものだ*1。 …ただ、思想として見た場合、どちらが優れているかといえば、就労を条件とするJGPのほうが、人間的自由の獲得の条件としてやはり立ち勝っていると言えるでしょう。ベーシックインカムは、かつて救貧のために方法を見出せなかった時代の、富裕層による上からの慈善事業の現代ヴァージョンです。もし誰

    パターナリズムとしての「勤労の権利」 - 道徳的動物日記
    moerrari
    moerrari 2019/12/16
    "「自分は単純労働をする側ではない」…という自己認識を抱きながら「単純労働をする側の人たち」…の人生や幸福について云々するという傲慢さ"は確かに余計なお節介。やり甲斐のない長時間労働など誰もしたくない。
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