【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」(8=前編)】ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」が2年目に突入。今回は全日本プロレス、ノアで活躍した“鉄人”こと小橋建太(53)の登場だ。天龍の全盛期に全日本に入門し、天龍の移籍後は三沢光晴、川田利明、田上明との四天王プロレスで窮地の王道マットを支えた。今では都市伝説化した30年前の「天龍金属バット襲撃事件」の真相を当事者同士が振り返る。 天龍 お元気そうで。 小橋 お久しぶりです。 天龍 ピロリ菌が完治して何よりだったね。今は健康診断の結果で競い合うステージに入ったからな。祝・鉄人復活だよ。 小橋 ありがとうございます。人間ドックで見つかり、1週間薬を飲み続けて完治しました。 ――全日本プロレスの先輩と後輩だ 天龍 一番印象に残っているのは(1988年2月)デビューしたてのころの巡業だね。米3合持って俺の前に現れ
ちょっとコメディタッチになりましたが、 魁勝司こと北沢幹之さんの証言(参照:ローンホークはゴッチ式!?)には、 日本プロレス史における、 道場内での強さに関する資料が、 たくさん詰まっている事がわかりました。 今回は日本プロレスから東京プロレス、 そして新日本プロレスまで添い遂げた、 アントニオ猪木とのエピソードに限定して、 歯に衣着せぬ“北沢節”を拾い集めましょう。 まず最初にカール・ゴッチ教室以前、 道場においての実戦練習は、 誰が中心となって行なわれていたのでしょう? Gスピリッツ Vol.06 より 北沢 「中堅の人はみんな強かったですよ。長沢秀幸さんにしろ、大坪清隆さんにしろ極めるのが巧かったです。大木金太郎さんも強かったですよ。でも、やっぱり猪木さんがズバ抜けてましたね」 「(セメントの技術指導者は)レフェリーの沖識名さんです。あの人はそういうの全部知ってた
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