ミャンマーの軍事クーデターにアートで対抗する人たちの活動を「こちら特報部」は伝えてきた。彼らの映画や絵画が今月、東京都内で相次いで披露される。クーデターから3年余り。現地では混迷が深まっている。当局に目を付けられても創作をやめないのはなぜか。作品公開を前に聞いた。(北川成史) 映画「夜明けへの道」から。クーデターへの抗議を表す3本指を掲げ、デモ行進する市民ら©Thaw Win Kyar Phyu Production
英国のグラフィティアーティスト、バンクシーの壁画の近くに立つ人々。壁画は欧州連合(EU)をテーマにした旗の星の一つを削る職人を描いている=2017年/Daniel Leal/AFP/Getty Images (CNN) 正体不明のストリートアーティスト、バンクシーといえば、匿名性を中心とする神話に彩られた存在だ。だがその本人が、過去のインタビューで実名を明かしていた可能性がある。 2003年に収録されたこのインタビューが、BBCポッドキャストのシリーズ番組「ザ・バンクシー・ストーリー」のボーナスエピソードとして、21日に公開された。 BBCのアート特派員だったナイジェル・レンチさんは、バンクシーの本名が「ロバート・バンクス」なのかと本人に尋ねた。これは当時のインディペンデント紙が報じた名前で、バンクシーの答えは「ロビーです」だった。 レンチさんは10回のシリーズ番組を聴き終えた後、記録とし
『戦争と平和』 (せんそうとへいわ、仏:La Guerre et la Paix) は、画家パブロ・ピカソが描いた絵画作品。1952年制作。フランス南部の町ヴァロリスにあるピカソ美術館蔵。 概要[編集] 『戦争と平和』は、画家パブロ・ピカソが、1948年から1955年まで南フランスのカンヌ近郊にある町ヴァロリスに滞在していた時代に制作した巨大な壁画である。1951年、ピカソ70歳の誕生日を祝福した町の人々に応えて、翌1952年に完成させた [1][2]。 『戦争と平和』は、『戦争』(La Guerre )と『平和』(La Paix )という二つの絵を組み合わせた作品である。二つの絵は、ヴァロリスのピカソ美術館内にある礼拝堂の壁面とアーチ状に曲面を描く天井の全面を使用し、向かい合わせに配置されている。礼拝堂の正面から向かって左側が『戦争』、右側は『平和』となっている [3]。二つの絵は、それ
バンクシーの絵をモチーフにした切手の実物大ポスター。ウクライナの首都キーウの中央郵便局で(2023年2月24日撮影)。(c)Sergei SUPINSKY / AFP 【2月25日 AFP】ロシアによる侵攻開始から1年を迎えたウクライナで24日、英国の覆面ストリートアーティスト、バンクシー(Banksy)が手掛けた、柔道で大人を投げる少年の壁画をモチーフにした切手が発売された。キーウ中心部にある中央郵便局には、買い求める人々が列をつくった。 絵は、ロシア軍の激しい空爆を受けた首都キーウ近郊ボロジャンカ(Borodianka)の壁にバンクシーが残したもの。柔道で黒帯を持つロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領から着想を得たとされ、ウクライナを象徴する少年がロシアを象徴する大人の男性を打ち負かしている。 切手の左下には、「うせろプーチン」の文言が添えられている。(
「40歳くらいの男性が絵を描いているのを見た」 正体不明、神出鬼没のアーティスト、バンクシー。 11月、ウクライナの首都キーウ近郊で新たに7つの作品を制作したことを発表し、世界中のファンを驚かせました。 現地では続々と目撃証言も伝えられています。 ロシアによる攻撃がいまも各地で続く中、なぜバンクシーはウクライナを訪れ、作品を残したのかー。 その足跡をたどりました。 (ウクライナ現地取材班 北井元気) バンクシー、ウクライナに現る キーウ近郊のボロジャンカ 私たちが向かったのは、首都キーウから北西におよそ50キロにある、ボロジャンカ。ロシアによる軍事侵攻の直後から激しい攻撃を受け、多くの犠牲者が出た町の1つです。 一時、占領されていた町は4月に解放されましたが、およそ8か月がたったいまも攻撃の爪痕が至る所に残されています。 がれきの上で、逆立ちをしているような体操着姿の少女。11月、バンクシ
大村知事リコール運動反対に関するQ&A 「表現の不自由展・その後」はどういう企画だったの? Q.「反日の象徴」という意見がありますが? A.『慰安婦』被害の歴史を記憶し、人権のたたかいを継承するモニュメントです。 「平和の少女像 」 は日本軍「慰安婦」被害者の人権と名誉回復を求める韓国の水曜デモ1000回の記念として2011年12月に建てられた追悼碑です。 作者であるキム・ソギョンさん、キム・ウンソンさんはしんぶん赤旗のインタビューに次のように答えています。 「日本の一部の政治家や保守系のメディアは、少女像を『反日の象徴』などといいますが、それは違います。『慰安婦』被害の歴史を記憶し、人権のためにたたかい続けるハルモニ(おばあさん)をたたえ、運動を継承するためのものです。少女像には、ハルモニの苦しく長かった人生や未来への夢など、すべてを込めました。」 Q.天皇の写真を燃やす作品? A.自分
バンクシーに感謝を。ポップアップ展「Thank You BANKSY」がパレスチナ・ベツレヘムで開催自ら作品をオークションに出品し、その収益をベツレヘムの病院に寄付したバンクシー。その支援に感謝するため、パレスチナ・ベツレヘムの中心部にポップアップ展覧会「Thank You BANKSY」が行われた。 「Tours with Yamen」のFacebookより 7月に自ら作品をオークションに出品し、約3億円の収益をベツレヘムの病院に寄付したバンクシー。その支援に感謝するため、パレスチナ・ベツレヘムの中心部にポップアップ展覧会「Thank You BANKSY」が行われた。 本展は、パレスチナのツアーガイドであるヤメン・エラベルがコーディネートしたもので、バンクシーの作品写真を約20点展示。エラベルは本展の記録映像で、「バンクシーはいつも私たちを驚かせてくれる。今度は私たちが彼を驚かせる番だ
美術の世界には、「サイトスペシフィック(Site-Specific)」という言葉があります。これはざっくり言うと、作品が、ある特定の場所に存在することを前提として制作されていることを指す言葉です。 要は、その場所にあるからこそ成立するアート。その場所や空間がもつ景観、歴史、フィールドの特性を踏まえ、それらの前提条件に立脚して製作されたアートの様態、とでも言いましょうか。となればもう、バンクシーとは切っても切り離せない部分です。 百聞は一見にしかずと言いますか、例えばこの、駐車禁止を表す黄色の二重線を壁に「延長させた」作品なんか典型的ですね。どう考えても美術館に収まるはずがないヤツです。仮にこの建物をぶち壊して、バンクシーが描き足した部分をそっくりそのまま切り取り、美術館に展示したとしたらどうでしょう。何のこっちゃですね。この作品のユーモアは、あくまで本物の駐禁ラインから伸びてることで成立し
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