[追記] 酔った勢いで書いた文章が盛り上がってて驚いた. 案の定恨み節ばっかり買ってて,自分が想像した通りの日本人等に届いてるようで安心しました.ありがとう. どうせ日本から書いてんだろと言われてるので. 自分は民間企業に勤める技術者だ. アメリカの南東部の田舎に住んでる.NYやLAみたいな金持ち日本人じゃない. 博士号持ちは日本より遥かに高額な給与が貰えるんでね. コメントにもあるが,確かに金があればどこの国でも生きていきやすいだろうよ. じゃあ一般家庭に生まれて奨学金を借りながら大学院を出ただけの若者が,日本でどう大金を得たらいいんだ? 若いうちの稼ぎを最大化するためにアメリカに来ただけ. メーカーで安定して長く勤めれば幸せになれるなんて言われて理系やってきたが,そんな気微塵もしなかったぞ. 親が資産家なら俺も日本最高ってずっと呑気に言ってたんだろうなあ. まあ確かに,人間関係は家族く
104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球まで食った 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日本に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「食い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのまま食べた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球まで食らいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁
坂本龍一とデヴィッド・ボウイの出会いは1978年12月にまで遡る。 当時2回目の来日公演ツアー中のボウイを、ソロとしてもYellow Magic Orchestra(以下、YMO)としてもデビューしたばかりの坂本龍一がインタビューするという雑誌の企画においてだった。 互いの音楽や日本の文化についてなど、話題は多岐に及んだが、ボウイのほうから三島由紀夫の話を持ち出しているのはおもしろい。言うまでもなく、坂本の父は三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者だった。もちろん、ボウイの知るところではなかったが。 坂本龍一(2017年『ヴェネツィア国際映画祭』) ふたりの再度の出会いの場所は4年後、南の島だった。 ニュージーランド・クック諸島のラロトンガ島。映画『戦場のメリークリスマス』で俳優として共演したのだった。今ではニュージーランド有数のリゾートアイランドとなっている同島だが、当時は大きなホテルは島
ニューヨークで演奏する坂本(左、1998年2月)と大江(右、2016年7月)。80年代から縁が続いた PND RECORDS & MUSIC PUBLISHING INC., EBET ROBERTS/GETTY IMAGES <「教授」が愛車のボルボで迎えに来てくれた思い出から、3時間に及ぶLINEでの会話まで、大江千里が坂本との思い出をつづった> インスタグラムを開くと、よく知っているアメリカのレコード会社の女性とヨーロッパのミュージシャンが哀悼の意を示していた。投稿には1952年1月17日―2023年3月28日とある。嫌な予感がして僕は画面を閉じた。ずっと心の隅で恐れていた。必死で目をそらそうとした。 この日、春の嵐の強い風が吹くニューヨーク・ブルックリンの屋外へスリッパのまま飛び出ると、少し日が長くなった空に白く丸い月が浮かぶ。目の縁がにわかに熱くなり、鼓動が激しくなる。 それは熱
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「Believe in love and peace!」 金曜の昼前。ラジオからおなじみの声が流れてくる。 J-WAVEで1988年の開局時から看板ナビゲーターとして活躍するジョン・カビラだ。 今年7月、優秀な放送番組や出演者をたたえる「ギャラクシー賞」でカビラがナビゲーターを務めた特別番組がラジオ部門大賞を受賞した。 内容は、戦後の沖縄でアナウンサー第1号となった父・川平朝清(かびら・ちょうせい)さんへのインタビュー。 親子で向き合った時間を振り返り、カビラはこう言う。 「『数奇な人生』という表現が軽いくらいの父の人生。個人史をひもとくことで、おのずと時代背景が聴こえてくる」 国破れて山河なし ジョン・カビラは3兄弟の長男で、実業家として活躍する次男の謙慈は米国在住、末の弟は言わずと知れた俳優の川平慈英だ。 父の朝清さんによれば「ジョンは小さい頃から穏やかで礼儀正しい、謙慈は自己主張がで
2021年5月4日、アジア系およびラテン系アメリカ人の女性4人からなるパンク・バンド、リンダ・リンダズがロサンゼルスの公共図書館でライブを行った。数週間後、そのライブ動画がSNSで大きな話題となる。 そこで演奏された、ティーンエイジャーの彼女達が人種差別と性差別に「No!」を突き付けた「Racist, Sexist Boy」はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロやザ・ルーツのクエストラヴも大絶賛。一躍「時の人」となった彼女達を音楽業界が放っておくはずもなく、早くも5月末にはパンクの名門、Epitaphとの契約締結が発表されたのだった。 あれから約1年。バンド・メンバーのルシア&ミラ姉妹の父親であるカルロス・デ・ラ・ガルサ(スカ・パンク・バンドとして有名なリール・ビッグ・フィッシュの元メンバーで、グラミー賞受賞経験もある音楽プロデューサー!)がプロデュースした1stアルバム『Gr
心と体の性が一致しないトランスジェンダーであることを公表していたサッカー女子の元日本代表で現在は米国のプロチームで活躍する横山久美選手が23日、結婚を発表したとの報道があった。なぜ横山選手は米国で結婚する道を選んだのか。 「現状を知って頂きたい」横山選手は23日、自身のインスタグラムにお相手のなみさんと結婚許可証を持つ写真を投稿。「私事ですがアメリカで入籍したことを報告させて頂きます。もちろん日本では無効ですが、少しでも発展していくことを願っていますし、たくさんの方々に日本の現状を知って頂きたいと思い報告しました。そしてこれからもより一層身を引き締めて頑張るので応援よろしくお願いします」と日本語でコメントを添えた。 横山選手は今年6月、同じく女子サッカー日本代表選手として活躍した永里優季選手のYouTubeチャンネルに出演し、トランスジェンダーであることをカミングアウト(自発的に公表するこ
自身のインスタグラムに掲載した、パートナーとともに結婚証明書を手にするサッカー女子の元日本代表、横山久美選手(左) 心と体の性が一致しないトランスジェンダーであることを公表しているサッカー女子の元日本代表、横山久美選手(28)が24日までに、米国で結婚したと自身のインスタグラムで明らかにした。横山選手は、米プロリーグNWSLスピリットに所属している。 横山選手は、パートナーとともに結婚証明書を手にした写真を掲載し「もちろん日本では無効ですが、少しでも発展していくことを願っていますし、たくさんの方々に日本の現状を知っていただきたいと思い報告しました」と記した。同性婚は米国など約30の国・地域で認められている。 横山選手は2019年女子W杯の日本代表。(共同)
ケンドリック・ラマ-。1人のアメリカ人ラッパーの言葉が、いま、世界を動かし、社会から疎外された人々を1つにつなげている。暴力や差別がなくならない混とんとした現代に生きる苦悩を表現してきた彼の歌詞は、世界中の若者の共感を集め、最新アルバムは、優れたジャーナリズムに贈られるアメリカのピュリツァー賞の音楽部門を受賞した。その彼が、ピュリツァー賞受賞後としては海外メディアで初めて、NHKの独占インタビューに応じた。ケンドリック・ラマ-が語る社会を変える“音楽の力”、そして日本へのメッセージとは。(聞き手/科学・文化部記者 斉藤直哉) ことしの「フジロックフェスティバル」に出演するため、5年ぶりに来日したケンドリック・ラマ-。 「取材に応じる」と返事が来たのは、インタビューした日の前日。どんな人物かと緊張して待っていた私たちの前に現れたのは、もの静かで知的な雰囲気の青年だった。 ピュリツァー賞の受賞
An older white woman and younger black man in a wheelchair. They are smiling and hugging. Together, we can create a more accepting world. Explore our site to find actions you can take to create a more inclusive world and join the fight for equality and justice, whether it’s by learning about racial justice, participating in meaningful conversations, or acting more inclusively every day.
日本社会に暮らし、日本企業に勤めていると、20代後半を過ぎて結婚をしていない人間に対するプレッシャーがとても強いと感じる。特に、女性でこのプレッシャーを感じたことのない人なんていないんじゃないだろうか。 私個人としては、結婚願望はあるものの、仕事も趣味もとても楽しいので、結婚したいと思える人がいつかいればしたいかな~くらいのスタンスだ。それでも日本にいた頃は、親や会社や社会からの「早く結婚しろプレッシャー(さらに言えば、結婚できないのは人格に問題があるからだという謎の決めつけ)」を浴びすぎて辟易していた。 周りでも「海外に比べて日本はこういったプレッシャーが強いから生きづらい」といったような意見をよく聞いた。海外は個人主義だから個人の決定が尊重されるけれど、日本は集団主義というか集団の構成員に同質性を求めるから皆と同じようにしなければいけなくて、社会から結婚することを押し付けられているとい
数日前にダライ・ラマの寄稿記事がニューヨーク・タイムズ紙に載っていて、それがとても示唆深い内容だったので記事の一部を翻訳して紹介できればと思います。興味を持たれた方はぜひこちらのリンク先で全文を読んでみてください。 Dalai Lama: Behind Our Anxiety, the Fear of Being Unneeded / The New York Times アメリカ、イギリス、そしてヨーロッパ大陸のいたるところで、人々は政治的フラストレーションや未来についての不安に身もだえしている。難民や移民はこれらの安全で豊かな国々で暮らす機会を要求するが、元々そうした約束の土地に住んでいた人々からは、少しずつ絶望に近づいていくように見える自分たち自身の未来についての大いなる不安の声が聴こえてくる。 なぜだろう? ある興味深い研究から人々がどのように生きていくかということについての小さな
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