思想とテロに関するsatoshiqueのブックマーク (8)

  • 鈴木邦男の正体は「右」か「左」か~「反米」「反共」「愛国」のあわいを生きた言論人 - 石川智也|論座アーカイブ

    鈴木邦男の正体は「右」か「左」か~「反米」「反共」「愛国」のあわいを生きた言論人 ほとばしる情念の魅力と危険を熟知しつつ、テロを防ぐ「対話の効用」をあえて選んだ 石川智也 朝日新聞記者 右派を代表する論客として知られた鈴木邦男(稿では敬称を略させていただく)の訃報が流れたのは1月27日だった。 以来1週間、その死を惜しむ声は左派護憲リベラルからばかり挙がり、右翼から届く声は、控えめに言っても冷ややかなものが多かった。 「脱右翼」したリベラル言論人? 右派にありがちな「言論より行動」を否定し、テロを支持しない姿勢を鮮明にしていた。表現の自由を訴え、「愛国心の強制はいけない」と教育法改正に反対し、「自由のない自主憲法より自由のある占領憲法を」と言い続け、呼ばれるのはいつも護憲派の集会……。 朝日新聞や週刊金曜日にも、好々爺然とした表情の写真とともに自由主義擁護のご意見番として度々登場した

    鈴木邦男の正体は「右」か「左」か~「反米」「反共」「愛国」のあわいを生きた言論人 - 石川智也|論座アーカイブ
    satoshique
    satoshique 2023/02/09
    思想と政治は似て非なるもの。思想的に相反していても政治的に連帯することはできるし、その逆もある。いずれにしても個人と言葉が大切。死ぬときはみんなひとり。
  • 「革命」夢のあとさき、元メンバー「自分勝手だった。罪深い」 あさま山荘事件50年:中日新聞Web

    過激派武装グループ「連合赤軍」メンバーによる「あさま山荘事件」から50年。銃撃戦が繰り広げられ、警察が巨大な鉄球で山荘の壁を破壊した未曽有の事件は生中継され、多くの国民がテレビにくぎ付けになった。元メンバー加藤倫教(みちのり)さん(69)=愛知県刈谷市=と、元長野県警機動隊の箱山好猷(よしのり)さん(86)=同県上田市=が当時を振り返った。 (山田雄之、今坂直暉)

    「革命」夢のあとさき、元メンバー「自分勝手だった。罪深い」 あさま山荘事件50年:中日新聞Web
    satoshique
    satoshique 2022/03/11
    元連合赤軍、加藤倫教:「政府に反対することイコール過激派、と見る風潮を世の中に生んでしまった。自分たちは罪深いなと思う」
  • 政策提言 | [牧島かれん]公式サイト 衆議院議員 神奈川17区

    危機に備える国づくり 多発する自然災害に強い街づくりの観点で、山・川・海に囲まれた地元の強靭化を進めます。 復旧・復興には、国と自治体との連携が不可欠です。迅速に対応します。 幅広い想定をもとに、サイバーや宇宙空間を含めたテロ対策を講じ、人材育成も強化します。 G7諸国とも連携し、ディスインフォメーション(偽情報)対策を急ぎます。 子どもの命を守る 虐待によって子どもの命が奪われることがあってはなりません。児童相談所の人員強化、専門職の配置、引っ越しや検診の未受診からリスクを早期発見できるデータ共有システム構築など、引き続き取り組みます。 どのような状況にあっても学びを継続できるよう教育DXも進め、教員の負担軽減につなげます。 国際社会に目を向ければ、児童婚や児童労働の被害に遭っている子どもたちがたくさんいます。ODAや国際連携を通じ国際母子、保健、教育の分野でも日の貢献度を高めていき

    政策提言 | [牧島かれん]公式サイト 衆議院議員 神奈川17区
    satoshique
    satoshique 2020/12/07
    へー、何気にけっこうリベラルじゃん。「稲田派」みたいな感じか。戦前の右翼が実は社会主義に影響されていたことを思う。天皇制の是非以外において。
  • 没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース

    作家の三島由紀夫が、自衛隊駐屯地の一角を占拠してクーデターを呼びかけ、その後、自ら命を絶った事件から、25日で50年です。 自衛隊を治安出動させ、政府に憲法改正を認めさせようとした三島。事件の3年前、三島と接触を重ねていた、ある自衛官がいました。 のちに陸上自衛隊のトップ・陸上幕僚長を務めた冨澤暉さんです。 三島とどんなやり取りがあったのか、話を聞きました。 (聞き手:政経・国際番組部 宮川徹志 社会部 南井遼太郎) (記者) 三島由紀夫と出会ったのは、何がきっかけだったのでしょうか。 (冨澤さん) その前に、きょう、ちょうどここに持ってきたものがあります。僕が三島に会った証拠品っていうのはないんだけれども、三島の書簡集というのがあるんですよ。 ここにね、昭和42年5月11日の封書が義理の父の藤原岩市のところに来ているんですよ。 ここに何が書いてあるかというと「前略その後御無沙汰してをりま

    没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース
    satoshique
    satoshique 2020/11/26
    インテリうんぬんのくだりは、橋下徹がよく揶揄して言う「自称インテリ」を思い出す。ルサンチマンなのよね。
  • アフガン少女、両親殺害したタリバン戦闘員2人を射殺

    アフガニスタン首都カブール(2019年8月3日撮影、資料写真)。(c)WAKIL KOHSAR / AFP 【7月21日 AFP】アフガニスタンで、旧支配勢力タリバン(Taliban)戦闘員らに両親を殺害された少女が、戦闘員2人を射殺し、複数人を負傷させた。当局が明らかにした。 事件は先週、中部ゴール(Ghor)州のある村に住む10代の少女、カマル・グル(Qamar Gul)さんの自宅に、戦闘員らが押し入った際に起きた。 地元警察署長はAFPの取材に対し、戦闘員らは村長であるグルさんの父親を捜していたと明かした。 戦闘員らは、少女の両親が政府を支持しているとして家から引きずり出し、母親が抵抗すると、2人を家のそばで殺害したという。 同警察署長は、「家の中にいたグルさんは家族が所有していた自動小銃AK47を手に取り、まず両親を殺したタリバン戦闘員2人を射殺し、さらに数人を負傷させた」と話した

    アフガン少女、両親殺害したタリバン戦闘員2人を射殺
    satoshique
    satoshique 2020/07/22
    「近代」という概念はヒトのロマンティックな感情、あるいは暴力をアートに昇華することによって生まれるんだと思う。
  • 【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】信じて生きる山の民

    比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。我々の灌漑(かんがい)計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。 ●忠誠集める英雄 ゴレークはそうした村の一つで、人口約5千人、耕地面積は200ヘクタールに満たない。これまで、日の非政府組織(NGO)である日国際ボランティアセンターが診療所を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。PMS(平和医療団・日)としては、計画の完成に当たり、このような例を拾い上げ、計画地域全体に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。 同村はジャララバード市内から半日、クナール川対岸の

    【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】信じて生きる山の民
  • 【塩崎悠輝】イスラーム世界の若者は「テロ」で何を実現したいのか?

    2016/7/19 今月1日、バングラデシュの首都ダッカの飲店で、日人7人を含む20人がイスラム過激派に殺害されるテロ事件が発生し、大きな衝撃を与えた。様々な国に仕事やレジャーで行くハードルが低くなった今、テロによる被害は日人にとって他人事ではなくなった。 その後も、14日にフランス南部のニースで、花火の見物客の中にトラックが突っ込み多数の死傷者が出るなど、世界各地でテロ事件が相次いでいる。 過激派と直接の関係を持つだけでなく、その思想に共鳴した個人やグループのテロに対する危惧の声も高まるなか、私たちはこの現状についてどのように考えればよいのだろうか。 今回は、NewsPicksのピッカーとしてもコメントしており、日人ムスリムでもある日学術振興会特別研究員の塩崎悠輝氏による寄稿を掲載する。 1977年生まれ。国際基督教大学卒業後、マレーシア国際イスラーム大学で修士課程修了、同志社

    【塩崎悠輝】イスラーム世界の若者は「テロ」で何を実現したいのか?
  • 【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)

    11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。 ■  ■ 寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41

    【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)
    satoshique
    satoshique 2015/11/25
    本文読んでないけど。三島も今日の少子高齢化とか、孤独死や介護心中が頻発するような状況は予想できていないだろう。もはや彼の自決という行動すらも「古典文学」として消費される時代なんや。
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