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  • 売れないロックバンド【はっぴいえんど】なぜ日本の音楽史において重要な存在なのか?

    のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったはっぴいえんど はっぴいえんどが、日のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったことは間違いない。けれどその活動時期も実質的には3年間あるかどうかだったし、リアルタイムで彼らを評価したのもごく一部の音楽ファンにすぎない。いわば知る人ぞ知るバンドだった。むしろ解散後のメンバーたちの活躍に伴って、はっぴいえんどは “伝説のバンド” として知名度を獲得していった側面もあったと思う。 この度、はっぴいえんどのオリジナルアルバム3作品(『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』)が貴重な未発表音源を新たに収録し、CDとアナログ盤でリイシューされることになった。この機会にはっぴいえんどが日音楽歴史に果たした役割を考えるために、彼らが活動した時代を振り返ってみたい。 世界的に見ても独特の音楽ムーブメン

    売れないロックバンド【はっぴいえんど】なぜ日本の音楽史において重要な存在なのか?
  • 【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで

    ヒッピーのような長髪、坂龍一との出会い 坂龍一の功績についてはすでにさまざまな形で語られているし、それに関して付け加えたいことも無い。それに、これからも彼が残してきた作品に触れることができるのだから彼の音との対話は続けられる…。そう思うしかないな、というのが正直な気持ちだ。 坂龍一は、確かに類まれな才能の持ち主だと思う。しかしそれと同時に、彼のような音楽家が登場したことも、日の70年代以降の音楽シーンの “空気” を象徴していたのではないかとも感じられるのだ。 坂龍一を知ったのは1974、5年のこと。当時、僕はオープンしたばかりの荻窪ロフトでブッキングを手伝っていたので、かなりの頻度でロフトに通っていた。そこで客として来ていた坂龍一と会っているのだ。 ヒッピーのような長髪でいつもラフな黒っぽい服に身を包んでいた彼は、ライブ後のミュージシャンと音楽の話をしたり、一緒に飲んだりして

    【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで
  • カタリベ一覧 | Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ

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  • 坂本龍一「B-2ユニット」極限状態の1980年に制作された “神領域” のアルバム

    リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.39 坂龍一 / B-2 UNIT龍一が、どんなに忙しくてもどうしてもつくりたかったソロアルバム 以前、大貫妙子の『ROMANTIQUE』について書いた時にもちょっと触れましたが、坂龍一 “教授” の1980年は(その前後もそうなんですが)、信じられないくらいの過密スケジュールでした。列記してみます。 1979年 12月19日、“Yellow Magic Orchestra” の最初のワールドツアー「TRANS ATLANTIC TOUR」 最終日(東京・中野サンプラザ) 1980年 2月1日、YMOライブアルバム『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』リリース 3月21日→4月15日、YMO最初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」 3月25日、Phew1stシングル「終曲(フィナーレ)/うらはら」リ

    坂本龍一「B-2ユニット」極限状態の1980年に制作された “神領域” のアルバム
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