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WWWAタッグ選手権(王者)山田敏代 豊田真奈美vs(挑戦者)アジャ・コング 井上京子戦の試合後に王座を防衛した山田&豊田の前にFMWの土屋恵理子&前泊よしかが乱入してリングサイドで挑戦状を渡そうとしたことで館内は騒然となった。 対抗戦が行われるまでの女子プロレスは1968年に旗揚げした全日本女子プロレスが独占しており、ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティーペアが爆発的な人気を呼び、ビューティーペアが引退して女子プロレスは下火になるも、今度はライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュギャルズがビューティーペア以上の爆発的な人気を呼ぶと、フジテレビで放送されていた全日本女子プロレス中継も30分枠ながらもゴールデンタイムで放送され、1985年8月22日に開催された日本武道館大会では初の特番も組まれるなど、女子を中心に圧倒的な支持率を獲得していた。 1988年に長与、1989年に飛鳥が引退したことで女
ついていくのがやっと。それでも嬉しかった そんな時に、アクトレスガールズがプロレス団体としての活動をやめると聞かされた。実際、今年からはプロレスの技と形式を使ったエンターテイメント・パフォーマンスの公演(大会ではなく)を行なっている。プロレスを頑張りたいのに、私はプロレスラーではなくなってしまうのか。同年デビューの月山和香と途方に暮れるしかなかった。 「2人で“これからどうしよう……”っていう感じでした。先が全然見えない、真っ暗な状態で。私たちはまだ下っ端で、実力もないし業界の右も左も分からない。なのに試合の経験も積むことができなくて」 結局、アクトレスガールズは今年から“団体に残る”選手たちと“プロレス界に残る”選手たちに分かれた。事実上の団体分裂。桜井と月山はそれより先、昨年夏の段階で動いた。団体を離れ、選んだのは業界最大の女子団体スターダム。桜井が参戦するようになると、少し後に月山も
昨年出演した映像作品「MAZEKOZEアイランドツアー」でこびとプロレスの対戦をしたプリティ太田選手(左)とミスター・ブッタマン選手(一般社団法人Get in touch提供) 全日本女子プロレスの前座などで興行が行われていた低身長症で体が小さなレスラーによる「こびとプロレス」を再生するため、新たな団体「椿(つばき)ReINGz(リングズ)」が28日、東京都大田区で旗揚げ興行を開催する。ここ20年ほど、国内でレスラーとして活動してきたのは2人だけ。特徴のある体を見せることに、かつては批判もあったというが、価値観の多様化を背景に新たな地平を拓けるか―。(神谷円香) 低身長症 身長が平均値より大幅に低くなる症状をいう。国立成育医療研究センターによると、ホルモンの異常などさまざまな要因があるが、原因がはっきりしない特発性が多い。病気によっては相対的に頭が大きく手足が短くなる特徴がある。幼児期まで
本人にとっては普通でも、周りから見ると特殊だということがある。スターダムの女子プロレスラー、桜井まいにとっては学歴、出身校がそれだ。 昨年夏からスターダムに参戦するようになった桜井。2月に所属ユニット「コズミック・エンジェルズ」を脱退、ライバルユニット「Donna del Mondo(DDM)」に移ってファンを驚かせた。 中学、高校は品川女子学院。大学はフェリス女学院大学国際交流学部へ。プロレスラーとしてはかなり異色の経歴で(実はフェリス出身は他にもいるのだが)、おそらく一般メディアで紹介される際にはずっと“フェリス卒の女子レスラー”という肩書きがついて回るだろう。俗っぽくいうと「そんなお嬢様がプロレスやってんの?」ということだ。
「僕はもうボロボロです」。2002年4月。女子プロレスの「爆笑王」がリングを去った。テンカウントゴングを自身の耳で聞いた最後の小人レスラー、角掛留造。テレビの討論番組は彼に「差別と闘う男」というレッテルを貼ろうとしたが……。 差別と闘うはずが「仕事ください」などとわけのわからないことを言った男 1995年12月10日。角掛留造は後楽園ホールの通路でタバコを吸っていた。黒い全身タイツ。6本の細い節足がつけられ、背中に赤い紙が貼られていた。 その夜の彼のリングネームは「セアカゴケグモ留造」。 ヌード写真集を出したばかりの井上貴子が通りかかり声をかけた。 「何やってんの?これ、何よ?」 「わかんねえよ。俺にも」 かくして角掛留造の荒井注を彷彿とさせる「いい顔」に磨きがかかっていくのであった。 試合前。今井良晴(ながはる)リングアナウンサーのコール。 「『朝まで生テレビ』に出演。差別と闘うはずが“
格闘技 プロレス 「アンチの存在も面白さ」大人になったスターライト・キッドが語るヒールの充実感と“マスクウーマンの野望”《新成人特別グラビア》
1980年代までお茶の間で愛されていた「こびとプロレス」。その再生を目指すプロジェクトから生まれた新団体『椿ReINGz(ツバキリングズ)』の設立の記者会見が7日、都内で開催された。 【写真】その他の写真を見る 現在日本で活動している「こびとプロレス」のプロレスラーは、プリティ太田とミスター・ブッタマンの2人だけとなった。そんな中、「こびとプロレス再生プロジェクト実行委員会」が有志メンバーで結成。8月22日から10月15日まで行われたクラウドファンディング『存続の危機を救え!こびとプロレス再生プロジェクトへご支援を!』は、目標額250万円に対して477万8000 円の支援金を集め、こびとプロレス専用のリングを購入することに成功した。 そして、つばきHOLDINGSがプロジェクトの運営主体となり、大田区に日本初のこびとプロレス専用の道場を開設、新団体『椿ReINGz(ツバキリングズ)』を設立
ネトウヨのデマをただす #ネトウヨデマ対抗テンプレにもどる 「小人プロレス(ミゼットプロレス)は人権団体がつぶした」は定期的にネットにでてきます。たとえば、画像のツイートが3600RTになるくらい。 日本のミゼットプロレスの歴史はwikiにまとまっていますが、ほかの資料や個人的な記憶を使って補足します。 ja.wikipedia.org (追記 2021/3/25 もっと詳しい記事ができました。こちらを参照してください。 washburn1975.hatenablog.com 日本のミゼットプロレスの始まりは1960年代初頭 ミゼットプロレスは、男子プロレス、女子プロレスとは異なるルートで日本に入ってきて、興行に加わりました。 1960年(昭和35年)08月26日に公開された「小人のプロレス」のニュース映画。 www.chunichieigasha.co.jp www.youtube.co
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