著者:平野恵嗣 2017年6月 岩波書店 1954年8月1日、『熊本日日新聞』は「水俣市の漁業集落で猫が狂ったようにキリキリ舞って死んでしまう」との記事を載せた。それから2年後の1956年5月1日、チッソ附属病院が水俣保健所に「脳疾患症状患者発生」を報告した。水俣病発生の公式確認である。 本書は、水俣病の経過をフォローするジャーナリストが患者、チッソの圧力に屈しなかった医者、学者から見聞きして、彼らが一過性で終わることなく、どのように真実と向き合おうとしたことをまとめたものである。 ここで取り上げられた人々の水俣へのアプローチの動機はさまざまである。「水俣を撮って写真家になりたかった」桑原史成は半世紀以上「傍観者」として関わった。とはいえ、1962年にチッソ附属病院で宇井純ともに「ネコ400号実験」と呼ばれる細川病院長作成の記録を撮影、入手していた。松岡洋之助は一個人として被害者支援に徹し