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ブックマーク / next49.hatenadiary.jp (4)

  • 「自分の考えがない」という人は考えたことを言語化していないだけかもしれない - 発声練習

    『自然な疑問』を持つように訓練するにはにいただいた以下のコメントを読んで思ったのが「自分の考えがない」という人は考えたことを言語化していないだけかもしれないということ。 三十路になりいまだに思考力がなくてブログ作って鍛えようかと思ってたんですが、ブログ拝見して色々思うことがありました。 wikiなど答え探せばある状態なので悪い意味で答えがあります。 なので答えが出ない事でもやり始めたらいいと思うのでそれで力を身に付けてみます この記事読めて良かったです。 (『自然な疑問』を持つように訓練するにはのコメントより) 「Wikipediaなどで答えを探す」に対比して「思考力」という言葉を使っているので、自分の知っていることと自分の価値基準に基づき、結論を論理的に導く能力という意味で「思考力」という言葉を使っているのだと思う。この意味での思考力をつけるのに必要なのは3つの要素。 思考する際のフレー

    「自分の考えがない」という人は考えたことを言語化していないだけかもしれない - 発声練習
    spacefrontier
    spacefrontier 2015/01/06
    追記2にある「自分をアップデートしていく」という考え方、好きだな。/ 気持ち悪く思う人も居るかもしれないけど、自分の数年前の過去のブコメをタイムラインで眺めるのが好き。
  • 「風邪ですか?」が1日10回、年365日、50年尋ねられ続ける件 - 発声練習

    推測はできる。でも、心中お察しできない。どのくらい苦痛なのかは当事者でなければ、やはりわからないだろう。 尋ねる方にしてみれば、単なるコミュニケーションのきっかけだったり、素朴な疑問だったり、ただただ間を埋めるためのものだったりする。実際のところほぼ意味はない。でも、尋ねられる方は違う。だんだんと答えるのが億劫になり、「何度同じことを言わせるんだ」という感覚を超え、徐々に反射的動作になっていく。反射的動作になっていく過程で、心の動きの何かしらの部分がマヒしていく。場合によっては、その受け答えから不愉快な事態に発展した経験があれば、答えること自体に忌避感を募らせていく。 職業として尋ねられる立場にいる場合、尋ねる人にとっては「最初(そして、ほとんどの場合は最後の)一回」であるということを認識し続けることがとても重要になってくる。役所や銀行などの窓口でひどい目にあったという一般人の良くある体験

    「風邪ですか?」が1日10回、年365日、50年尋ねられ続ける件 - 発声練習
    spacefrontier
    spacefrontier 2014/06/10
    自分の場合は名前かな。キラキラではないけど難読の部類。/ 「マイノリティ側ほど尋ねられる側に」にはっと。多様性が小さいのはこういうところでひずみが。みんなマイノリティの方がいい。
  • 「Japanese only」は日本語だけという意味で長く使われていた - 発声練習

    Webで10年近く前に「Japanese only」は「日語だけ」という意味でなく「日人以外お断り」の意味になっていますよと指摘され、「Written in Japanese」や「Japanese version only」などが常識化したということを合わせて書いた方が良かったと思う。Webで「Japanese only」と書いていた人の多くが、「せっかく訪れてくれたけど日語だけです。ごめんね。」という気持ちを込めて使っている人たちがほとんどだった。つまり、差別の意図がなかった。単に英語が苦手だっただけ。 (追記)なので、差別の意図なき「Japanese only」には代替策提示すれば解決ではないかと思う。逆に代替策を提示できないならば、非日人話者に対するコミュニケーションコストを支払えない店に「差別はダメだ」と言っても何の意味もないと思う。 朝日新聞:「ジャパニーズオンリー」店に

    「Japanese only」は日本語だけという意味で長く使われていた - 発声練習
    spacefrontier
    spacefrontier 2014/04/28
    まぁ、サッカー場でゴル裏入口に"Japanese Only"と掲げられていて「日本語だけ」と理解する人はいないし。 / 店の入り口に"White Only"と掲げられていたら白人専用以外の解釈不可。"Japanese Only"もそこから連想されてしまう。
  • 死ぬまでに身につけたい技術:他のものを貶めないで褒める - 発声練習

    自分が良い、素晴らしい、感動したというものを見つけた時、誰かと共有したくなるのは、よくあること。でも、これは結構難しい。特に不特定多数にこれを行うとき、たいていはトラブルになる。なぜかといえば、何かを褒めるときに別の何かに比べてどれくらい良いのかを説明することが多いため。 Aを褒めるときに、Bと比較して、AがBよりも良いという方法で褒めるのは、Bを良いと思っている人にとって愉快な状態ではない。なので、Bを良いと思っている人は、愉快でないから、BはAと比べて負けていない、むしろ、Bの方が良いということを主張することになる。そうすると、Aを良いと思っている人は面白くない。そして、喧嘩になる。もともとは、単にAが素晴らしいと相手に伝えたいだけなのに、いつのまにかAとBのどちらが良いのかという話にすり替わってしまう。 みんな経験的に「何かを褒めるときに別の何かに比べてどれくらい良いのかを説明する」

    死ぬまでに身につけたい技術:他のものを貶めないで褒める - 発声練習
    spacefrontier
    spacefrontier 2013/01/13
    小さい頃読んだ星野富弘さんの詩に似たような指摘があった。人は花をほめるときにまるで造花のようだと褒め、造花をほめるときにまるで本物のようだと褒める、と。
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