タグ

議論とはらぺこに関するt-murachiのブックマーク (14)

  • 「世界はだんだんよくなっている 」がジャーナリズム批判としてはダメな理由: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    世界はだんだんよくなっている ↑のブックマークコメント t-murachi 社会形成, 歴史, 思考, hoge, 下らん, 時間の無駄, メタブもあるでよ 中身のないポジティブ論に賛同はできないな。今こうしている間にも、失業者は着実に増えている。悲観、無力感への処方箋は解決策と試行であるべきであって、無関係な代替概念を持ちだして納得させる事じゃない。 2010/01/25 リンク先記事については同意し、あるいは励みになったとする意見が多数見受けられた。そのこと自体は悪いことではないと思う。各自の個人的な人生において励みになる概念が少なからず存在することは、悪いことではない。 おいら個人の人生としては、現状、メディアが喧伝する閉塞感の中において、割と幸せなものだと自覚している。なので例えば生活に窮する状況に追い込まれている方々 (working poor 然り、失業者然り) や、旧来的・現

  • たかだか事務処理の不便の話を一般化したところで詮無き話: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    ハンコ・元号・縦書きをやめよう - 池田信夫 blog ハンコ・元号・縦書きをやめたくない歴史的な理由[絵文録ことのは]2008/12/17 後者は前者の記事に対する文化面での反論として秀逸だと思ったんだけど、その割にあんまり注目されてないっぽいのでリンクしてみた。 でもこれって、所詮は事務処理の不便にまつわる話でしかないのよね。だから池田氏もわざわざガラパゴスや北朝鮮を蔑視するような書き方しなくても、「事務処理上不便なのでそういうシーンではサイン・西暦・横書きで統一しましょうよ」、でとどめときゃよかったんじゃないの? とか思った。 一プログラマーとしても、そういう意味ではありがたい提言なのよ。サインならタブレットで可能だし (電子印鑑ってあるけど単なるビットマップだし…って最近のはそうでもないのか?)、西暦で統一されれば時刻管理は確かに楽だし (っていうか年号変わるたびにプログラム作り直

    t-murachi
    t-murachi 2008/12/17
    なんか今日は gdgd 。仕事しよう…。
  • レッテルに対する差別と、特定の精神性に対する侮蔑とを区別しよう。そして再び「オタク」論: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    先日のブログ記事に対して、はてブでいくらかのコメントを頂きました。多くは冷静かつ聡明なご指摘でした。思えば先日の記事は冷静さを非常に欠いた、感情的というか感傷的というかそんな感じのものでした。めちゃめちゃ反省至極です。 で、そんな中で、しかし一つだけ、ある程度予想はしていたのですがやっぱり気になるコメントを頂きました。 lakehill 非モテ, これはひどい 「オタクやロリコンと同様、完治すべき「心の病」であると結論づけざるを得ない」>これはひどい。オタクやロリコンは病気ではなく趣味趣向の一種。 これはもう完全においらの言葉の使い方が悪いが故に生じた誤解で、これについては弁面が必要だと感じました。見苦しい言い訳ですが書かせていただきたいと思います。 「心の病」は言葉の綾 「心の病」という言葉についてまず説明する必要があると思います。一般的には、この言葉はうつ病などの精神疾患を指して使われ

    t-murachi
    t-murachi 2008/07/31
    そしてオタクにもリア充にもなりきれないおいら。
  • blogosphere は「新しい知識人」の代替となりうるか?: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    全体性を知らないエキスパートからは「善意のマッドサイエンティスト」が多数生まれます。自分が開発したものが社会的文脈が変わったときにどう機能し得るかに鈍感なエキスパートが、条件次第では社会に否定的な帰結をもたらす技術をどんどん開発していきます。 バイオの領域でもIT(情報通信)の領域でも、人間であることと人間でないこととの境界線を脅かすような研究が進みつつあります。そうした社会であればこそ、社会的全体性を参照できるような知識人、私の言葉でいえば「新しい知識人」が必要となるわけです。 新しい知識人は、大衆を導くというかつての課題とは違った課題に取り組む存在です。エキスパートが社会的全体性を弁えないがゆえに「暴走」してしまう可能性を、事前に抑止するような役割を果たす存在です。そうした存在がこれからますます要求されるべきです。 欧米のノーベル賞級の学者の多くは、大衆向けで分かりやすいものの、極めて

    t-murachi
    t-murachi 2007/12/24
    恐れ多くも TB 飛ばしてみた。
  • 民主主義と匿名実名論: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    匿名ウェブの終焉 (池田信夫 blog さま) 賛成できる部分と、できない部分があります。賛成できる部分とは、匿名性の過度の尊重がネット上での言論の敷居を上げてしまっている可能性の指摘です (←こう書いておけば、この記事に対して匿名でいちゃもんをつける連中の行動が、おいらにとっては「してやったり」になるw)。匿名性の需要が衰退していく可能性についても、否定はできないという程度には賛成です。賛成できない部分とは、現状の社会風潮における匿名性の需要を過小評価している点と、Wikipedia 上の記事の質がものによっては低い理由を匿名性に見出している点です。 Wikipedia の記事の質が低い理由 Wikipedia は、民主的な集合知を期待することを前提としたシステムです。これは、例えば誰かが誤った内容 (勘違い、嘘、または出展の伴わないあやふやな情報) を書き込んだとしても、その記事を閲覧

    t-murachi
    t-murachi 2007/12/16
    (Aug 8, 2008)をを、今読み返してみたら IPv6 をめっさ誤解した記事になってる。これは酷いw
  • 女子社会考: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    理系の女の子の取扱説明書 (毛の生えたようなもの さま) 軽く。 「男子のほうが女子よりも理論的」は誤解 経験的にもそうなんだけど、そうじゃなくても例えば徳光さんやみのもんたが理論的な思考の持ち主であるとは到底思えないのよね。 「理系のほうが文系よりも理論的」は誤解 これはさすがに言いすぎか(笑)。でも英語や古文や日史や世界史がどうしても苦手で理系に進む奴は結構いたし、数学的思考なんてちっとも身につかないけど公式覚えるのは得意で問題は解けちゃうってのも結構いた気もするなぁ。学校での教え方・教わり方の問題、ってのもある気はする。 個人的にはこの傾向の差異は文系・理系よりも文科系・体育会系のほうが色濃く出ていた気がする。まぁ理論的にスポーツできる奴の方が伸びるんだけどな。。。 「理論的に考える=真剣にものを考える」?? んで、思い至ったのがこういうこと。もちろんこれは正しくないんだけど、誤解

  • 議論の意義: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    久々にコメント欄が盛り上がった今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。先の議論が多くの人々にとって、意義のあるものであったことを、切に願うばかりであります。 おいらは議論の意義とは、知の共有であると思っております。もちろん、正解のない議論というものも間違いなく存在しますし、必ずしも結論を出さなければならないというわけでもありません。かといって、既に結論が出されている物事に対して、議論があってはならないとも思わないし、結論が出たらそれで必ず議論を閉じなければならないとも思わないわけです。 情報技術者が Winny などのファイル管理不能なファイル共有プログラムに対して取るべき見解については、共通認識が既に出来上がっていると言って良いと思います。それについては、「議論の余地はない」と言っても差し支えないでしょう。でも、「議論があってはならない」わけではありません。綿密に議論を通さなければ、そ

    t-murachi
    t-murachi 2007/03/15
    議論の意義とは、知の共有である。あ、ちなみに、「議論」と「会議」は別物だよ。
  • 自分ではよく分からないことについても書いてみる勇気: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    わかることから書き始めてわからなくなるまで書く (アンカテ(Uncategorizable Blog) さま) わからないところから書き始めてわかるところまで書く (結城浩のはてな日記 さま) おいらは自分がどっちのスタンスで書いているのかすらよくワカランです (^_^;;; 。 ただ、いずれにせよ、自分ではイマイチよく分かっていないことについても、敢えて踏み込んで書いてみる、ってのは、それなりに有益な行為だと思う。それがブログみたいな「議論の場」として使える場所なら尚更。 議論がなければ、そもそも知ることすらできないわけで。。。

    t-murachi
    t-murachi 2007/03/15
    でも分からないことなのに分かっているフリをして書くのはダメよ>ヲレ
  • 実名公開時代: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    当はプログラムの構想があってそれ作るつもりでいたんだけど、朝寝しちゃったのと日中出かけてたのとブログ巡回で時間つぶし過ぎちゃったおかげでなーんにもできんかった。仕方がないから戯言でも書いてみるテスト。 日語版Wikipedia と匿名性 (Rauru Blog さま) 2ちゃんねる化するウィキペディア (池田信夫 blog さま) ja.wikipedia の品質が悪いのは日固有の匿名文化のせいじゃね? という話。発言に対する責任をうやむやにできることで、何を書いてもヘーキ的な精神的安堵がいい加減な情報を発信することを加速しているっちゅーワケだわね。 池田氏の記事からリンクされていた以下の記事も紹介。 日のネットはなぜかくも匿名志向が強いのか (歌田明弘の『地球村の事件簿』 さま) まずおいらのことについて書いておこうと思う。おいらはこのブログでは名を明かしていないが、ある程度ネ

  • ブロゴスフィア的社会参加: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    Web2.0時代にふさわしい政治への参加の仕方 (CNET Japan) 具体的には、私のもう一つのブログのエントリー、「『天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない』バトン」を見ていただきたい。 今回の経済財政諮問会議で「天下りのあっ旋を全面的に禁止しよう」というすばらしい提案が御手洗会長らから出されたのだが、当然のように官僚からの抵抗が強いうえに、閣僚までが反対しているため、ここはブログを使って「国民の意思を明確に知らせるよう」というのがこのエントリーの目指すところである。 今回の試みは、実験でもあるが同時に「ブログの活用のしかた」の提案でもある。「せっかくブログという新しいツールを得たのだから、それを使って自分の意見を述べ、もっと積極的に政治に参加しましょう、関心を持ちましょう」という提案である。まさに、「Web2.0時代にふさわしい政治への参加の仕方」の提案である。 「

  • 感情表明は議論の入口である。: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    トラックバック返し、簡潔に。 『2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ』について (しっぽのブログ さま) これはあまり同意できない。 善悪が絶対的指標にならないのは非常に同意できるけど、自分が○○が嫌いである、という主張は反証可能性において、著しく議論のルールを侵している。 例えば「私はAさんが嫌いだと思います!」という主張について、他の人がいかにAさんのすばらしさを挙げてやっても「でも私はAさんが嫌いなんで」で、終わりになっちゃうよね。 感情や個人思想を原点に議論を展開するのは、絶対に反論されない防御を敷くもので、最初から議論の土台にあがっていないのと一緒。 神の有無の議論中に「でも私は信じている」と言い出すのと同じく不毛。 インテリジェントデザイン理論の人も同じようなこと(世界観の違いである、とか)を言う。 それにも関わらず、まるで議論のように話を展開するのであれば、結局、絶対的な正義

  • hidew さん、もう一度確認させてください。: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    衒学趣味 pedantry (Voice of Stone さま) Winny の文脈でリテラシーを語って欲しくはない (国民宿舎はらぺこ 大浴場) hidew さん、念のため、今回の経緯と、あなたの理解を確認させてください。 経緯について 公金 10 億円を批判する記事において、「コンピュータ・リテラシーの向上を優先すべき」とした記述に対し、高木氏から「両方やらなきゃダメだ」といった主旨の厳しい指摘が寄せられました。それが事の発端。 それに対して、反論記事を掲載するも、コメント欄にてイマイチ噛み合わないやり取りが続けられていました。 おいらは元々 Winny のセキュリティー的な観点における問題点に関する議論よりも、金子氏に下された判決がソフトウェア開発者に与える心理的影響の方に興味を抱いていた為、当初は題とはあまり関係のない横道に逸れた議論を展開していたのですが、貴ブログにおけるコメ

  • 匿名有名考 - 議論の意義に照らして: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    匿名は善か悪か (ITpro) むしろ記者は,名の通った有名人が発言することによって,それまで活発だった議論が一気に止まってしまう,といった“署名のデメリット”に対して危惧を抱いた。これは読み手としても書き手としても不幸なことである。そして,匿名にすることによってコンテンツと人格を切り離せば,人格にヒモ付いた権威などの先入観を排除した純粋なコンテンツとコンテンツのバトル(闘い)ができる---という確信を持った。署名文化の浸透は,発言者の人格と発言内容をセットでしか考えられなくなる状況を生む恐れがあるのだ。 どうしても、既にわかりきっているはずのことについて引っ掻き回すだけのディベートゲームに、価値を見出せないのよね。議題を例示するならば、「納豆は体にいいか悪いか」、みたいな。「ばい菌使って腐らせた豆が体にいいわけ無いじゃないか」みたいなことをわざと言ってみせたりして議論を盛り上げたりするわ

  • 万人にリテラシーを求めるのは無理がある: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

    閲覧者はそのバックグラウンドに惑わされずに発言内容を吟味する必要がある。 (どんなに意味のある事を言っても、発言者のバックグラウンドによって吟味されずに全否定されること、最近特に目に付く) (中略) 匿名だからと言って発言を無下に扱うのも、 権威だからと言って発言を特別に扱うのも、 どっちも良くわないわなぁ。 議題が社会的なものである場合、権威であるが故に、自己の主張に不利になるような情報を包み隠して発言を行ってしまう可能性はあると思う。その点に対して不安を煽ったり個人攻撃に走ったりすることが建設的であるとは思えないけれども、一定の距離を保って (つまり、すべてを鵜呑みにはしないように) 発言内容を受け入れる必要はあると思う。 内容を吟味しようにも、発言内容の正当性についてどのような角度で疑問を抱き、何を調べてその根拠を掴めばよいのか、といった作業が、誰でもできるわけではない。例えば情報セ

  • 1