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ブックマーク / note.com/daitamesue (24)

  • 自己肯定感の整理|DaiTamesue為末大

    ご質問が多いのでこちらで整理してみます。 学術的には自己肯定感の定義は統一されているのでしょうから、研究などで使われる場合にはその定義に従うとして、私が自己肯定感の根源や土台と言っているものの定義をお話しします。 生物は生まれ育つ環境に適応します。正確に言えば持ち合わせた特徴が環境に適応的だった場合生存確率が上がるということです。人間は動物の中で唯一と言っていいほど圧倒的に長い年月、未成熟なか弱い子供時代があります。そこには環境を見極めゆっくりと適応しようとする人間ならではの生存戦略があります。特徴が出来上がって生まれてくるのではなくある程度余白を持って生まれてきて、生まれてから環境を見極めて適応しているわけです。この局面で、どの環境に適応すべきか、世界に対しての自分の見方や態度を決める、言わば世界とはどういうところなのかという根のモデルを獲得すると私は考えています。 この生まれて育つ最

    自己肯定感の整理|DaiTamesue為末大
  • 素直な人とイエスマンは何が違うのか|DaiTamesue為末大

    素直であることと、ただのイエスマンの違いがわからないという質問がありました。 これは確かに微妙なところで、素直さはただの従順さになりえます。また教える側も、実際には相手を従順にさせコントロールする為に素直になれと言っていることもあるかもしれません。では、違いはどこにあるのでしょうか。 私は、素直であるということは行いながら感じているということだとしています。一方ただのイエスマンは無感覚、または感覚を抑え込んでいます。 例えばインタビューがわかりやすいでしょう。事前に質問を幾つか用意して、当日相手にそれを質問します。相手が返答し、それを受けてまた質問をします。 イエスマン的な行為はインタビュー中は準備された質問をすることに意識を向け、帰り道は質問がちゃんとできたかどうかだけをチェックします。 素直な人間も質問に意識を向けるが、同時に相手が答えていることも感じ取っています。そして疑問が湧いたり

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  • 触れてはいけない人|DaiTamesue為末大

    触れてはいけない人がいる。目の前の人間に勝つかどうかが全ての比較の人生を生きている。 自分が他者より劣っていると感じる事が嫌で、他人を褒める事ができない。褒めることはあるが他人を褒められるぐらい余裕がある自分を見せたくて褒めている。 何にでも張り合い、ただそこにいることができない。よく皮肉を言っている。素直になれない。笑った時、少し顔が引きつる。 こういう人は敵か味方しかいない世界を生きている。会った途端、こちらを値踏みしている。 気に入られれば褒められるが、少しでも外れると今度は攻撃されるようになる。 いくら打ち解けようとしても彼らのプライドを傷つけないように話す事に疲れてしまう。 気を使い始めて空気が出来上がるとなんだか家来のようになってしまう。彼らの地雷を踏まないようにしながら話すのは疲れる。そして一度でも怒らせるとずっとその事を覚えている。 彼らもまた苦しんでいるのだろうと思う。自

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  • 業の深い人は、なぜ自己理解が深いのか。|DaiTamesue為末大

    長文ファンの皆様おはようございます。 「自分を知る」というメタ認知能力は、生きていく上でとても重要なものだと思います。 興味深いことに依存症を経験した方で、回復のプログラムを受けた人はこのメタ認知能力が高まることが知られています。それができなければ自分を止められないのがいちばんの理由だとは思いますが、自分がなぜ依存していったのかを他者や自己との対話を通じて理解していくからだろうと思います。 依存症以外でも、人生で 「思うようにならない自己」 が激しいほどメタ認知能力が高まると思っています。それに悩まされ、かつ冷静な時との差異が大きくなり、故にその落差に着目するからではないかと考えています。 しかし、仮に自己が激しくとも、問題を起こさなければ、差異に気が付きません。そして問題は、人の自己認識に他なりません。人がこれは問題であると気づくイベントが重要です。 依存症が発覚した後は、まさにこの

    業の深い人は、なぜ自己理解が深いのか。|DaiTamesue為末大
  • 再配分と根性論|DaiTamesue為末大

    長文ファンの皆様おはようございます。年末ですから当に長文です。今年一番気になったことは「社会の配分システム」でした。 スポーツには根性論というものがありますが、これを定義すると「リソースの制限を考えない思考体系」だと言えます。 典型例は「365日限界までやれば絶対勝てる。根性を出せ」のようなものです。 根性論の特徴には二つあります。 ①必要な要素の積み上げから限界を考える。限界からリソース配分を考えるのではない。 ②限界は思い込みである。限界を突破することで人は成長する。 ②に関してはあながち間違えていません。確かに限界だと思っているところまでやると人は成長することが多いです。だから根性論はやる気のある人もない人も一定の段階まで成長させる力を持っています。 しかし、根性論の問題点は限界が曖昧になることです。「必要なものは必要」と、大事そうなものを際限なくどんどん積み上げていってしまうので

    再配分と根性論|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2024/01/12
    "解決策の提示とは「自分たちの窮状を嘆くだけではなく、全体の再配分バランスを考えた継続可能な案」でなければなりません"
  • 早熟型の世界|DaiTamesue為末大

    早熟型(若い時に成績を出し、その後伸び悩んだ選手)の世界はあまり語られません。体験した人が少なく、体験していない人は実感を持って想像するのが難しいからかもしれません。 私は早熟型でした。15歳の時の身長体重が、ほぼ今と変わりません。中学生の時、100mと200mで中学日一になり、200mと三種競技Bでは中学新記録(昔はこんな種目があったんです!)、あと400m、走り幅跳び、三種競技Aで当時の中学ランキングで日一でした。 当時は自分が天才だからと思っていましたが、その後伸びなくなります。典型的な早熟型だったのだろうと思います。 早熟型の世界は理解されにくいです。何しろ体験した人が少ない。また体験した人が語っても、あいつは天狗になった、努力不足だったで片付けられることも少なくありません。指導者ですら、その人の成長時期の問題か、人の努力不足かは見極められません。自分でもどちらかわかりません

    早熟型の世界|DaiTamesue為末大
  • 幸福の三大要素|DaiTamesue為末大

    長文ファンの皆様おはようございます。 私は幸福の三代要素を 「没頭」 「つながり」 「意味」 だと考えています。 伝統宗教と呼ばれるものはこれらの要素を兼ね備えているのでは、という仮説を持っています。教えの中核というより、日常の生活様式の中に心の平穏を保つ要素があったのではないでしょうか。 まず「没頭」です。どの宗教にも祈りや、坐禅などの瞑想が存在します。瞑想の定義はいろいろあるようですが「注意を集中すると苦しみが和らぐ」だと私は考えおり、草木をいじる、絵を描く、走る、も似た効能を持っていると感じます。 つながりはコミュニティです。信者の集まりはコミュニティでもあると思います。 私はつながりは「どこか共通点がある」が大事だと思っています。全部ではなくてよくて一部分です。多様性は社会において大事な要素ですが、心の平穏に関しては似た何かを持った人との交流が大事だと考えています。 どの宗教も人生

    幸福の三大要素|DaiTamesue為末大
  • 承認欲求の扱い方|DaiTamesue為末大

    承認欲求と呼ばれますが、世の中から注目を集めることは心地よいことです。またsnsを主な活動の場としているとそれがビジネスにも直結します。 しかし、他者の注目は移ろいやすく、少し前まで当たっていたスポットライトがいつの間にかずれていってしまうことも少なくありません。 注目される経験を一度でもしたことがある人は、多くの場合快感を覚えます。恍惚感とも言えるかもしれません。一度その感覚を覚えると、注目を求めてしまうようになります。 しかし、注目を求めてそこに合わせにいくとどうしても「わざとらしさ」や「あざとさ」または「芝居がかった空気」が伴います。愛されようとした人が愛されず、自分らしく生きている人が愛されるという切なさは社会の中に散見されます。注目を求めるほど自分を見失ってしまいます。 私もそうでしたが比較的人生の早い段階で注目を浴びた人は、人生が崩れがちになります。それは大人が寄ってきては去っ

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  • The changing world orderについて|DaiTamesue為末大

    最近レイダリオの「国家の興亡」を読んで感銘を受けました。このでは覇権国家(基軸通貨を持つ国)の寿命は100-300年程度で、だいたい三つの段階を経て衰退していくと書かれています。 国家は端的に言えば「自衛する、富を生み出し再配分するシステム」と言えるのではないでしょうか。このシステムがどのように興隆し、衰退していくかを少し説明してみます。 興隆期 ・教育が国民に広く行き渡り、勤勉さや倫理観が培われ、不正が減り、新しい技術が生み出される。 ・世界市場で力をつけ、たくさんの富を稼ぎ出す。 ・急激な格差が生まれるが、再配分システムがうまく機能して格差是正が行われる。 ・世界金融センターができる。 絶頂期前半 ・最も豊かな時代。 ・世界とビジネスをするので強い軍事が防衛のために発達する。 ・科学技術などで他を圧倒する。 絶頂期後半 ・国民の賃金が高くなり、賃金が安い国に仕事が奪われるようになる。

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  • 自由と厳しさ|DaiTamesue為末大

    私たちには自由な選択肢がある。好きな会社や仕事を選ぶことができ、好きな相手と結婚することができ、好きな場所で暮らすことができる。持っている資産の範囲で自由な生活をすることができる。完全ではないけれど随分と自由の範囲は増えた。 明るい一方で、やるせなさも顕在化した。会社も、結婚相手も自由に選ぶことができる。しかし自分が選ぶ一方で相手も選んでいる。会社に選ばれなければ仕事はない。誰かに選ばれなければ結婚もできない。自分が自由であるということは、相手も自由であるということで、つまり自由な社会では、競争に勝った人しか自由を活かせない。 好きなことをして暮らせる人が、みんな好きなことをして暮らそうと言う。しかし好きなことをして暮らすことが許される程度には能力と価値がなければならない。能力が足りない人には、狭まった選択肢の中でしか選択できない。 自由は素晴らしいが、一方でその恩恵を受けるためには選ばれ

    自由と厳しさ|DaiTamesue為末大
  • 自立心|DaiTamesue為末大

    現代の日の課題を集約すると、日人の「自立心の無さ」から来ているのではないでしょうか。そもそも日人の気質だというご意見もありますが、幕末や戦後など急激に社会を変革した人々がいた時期があったことを考えると、条件さえ揃えば自立心は生まれ得るのだと私は考えています。ではどうすれば自立心は生まれるのか、またそもそも自立心とは何かを考えてみたいと思います。 自立心の定義を私は「自らの頭で考え、自らでリスクを取り、自らの意志と力で人生を切り拓くこと」だとしています。実はもう一つの定義もありますがそれは後ほど。自立心はまず自分の身を自分で守るということが前提になります。混沌とした時代では、みんなと同じ行動をしていても身が守れません。そうした局面では、自分の頭で考えて、勇気を持ってリスクを取り、決定し行動することが大事です。しかし、こんなことはいきなりできるわけではなく、練習が必要だと思います。 自立

    自立心|DaiTamesue為末大
  • 誰もが良かれと思ってやっている|DaiTamesue為末大

    どんな相手であっても行動や言動の意図を理解しようと思うなら「誰もが良かれと思ってやっている」という前提に立つことが大切だと思います。これは誰かとトラブルの最中にいる人にとっては瞬間に拒絶したくなる考えでもあります。どう考えても「あんなことをする人が良かれと思ってやっているとは到底思えない」からです。 まず「良かれ」というのは必ず対象を必要とします。私たちは「良い社会を作ろう」と、日常的には対象を指定せず使ったりしますが、そんな場合でも何か対象を無意識にイメージしています。人類にとっていいことは地球にとっていいことかどうかわかりませんし、自国に良いことは他国にいいことかどうかわかりません。ですから「良かれ」には「何にとって」がとても大切です。 もう一つ大事な点は何を持って良いとするかは、その人がその時に考えていることで決まるということです。例えば自らを傷つけようと考えている人は外部からはどう

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  • 権力者の20歳の時の文章|DaiTamesue為末大

    以前、佐藤優さんに伺った話では、KGBの担当者は自分の担当国に対しまず最初に何をするかというと相手国のトップや実質的に力を持っている人間の20歳周辺の時に書いた論文か文章を読み漁るのだそうです。なぜならば、「人間の根源的な価値観はこの時期以降、生涯変わらない」としているからだそうです。 どのような形態の組織であれ最終的に何かは決定されます。決定が誰によって、いつ、いかなる会議でなされるかはとても重要です。営業でも予算の決定権者を徹底的に観察するのと同じだと思います。全く完全に自由な人間はいませんから、その人間が何に縛られていて、何を気にしているかも大きく影響します。ただ、どれだけ合理性を追求しても、それでも人間には価値観というものがありこれはなくせません。ある意味で人間は自らの価値観の奴隷でもありますし、それが自分らしく生きるということでもあります。 戦略も交渉も全て「相手はどのような人間

    権力者の20歳の時の文章|DaiTamesue為末大
  • 自分を信じる力は獲得可能か|DaiTamesue為末大

    昨日は「自分を信じる力」について書きました。疑問として浮かぶのは以下の点です。 ①自分を信じる力は誰にでも獲得可能か ②自分を信じる力は生涯継続されるものか ③自分を信じる力が得られる条件とは何か 私は「自分を信じる力」の定義を「データや他者の意見より自分で考えた結論や直感を優先すること」としています。私は思い込みの強さと相関があると考えました。 思い込みの強さの背景には生得的な性質があると言われています。私は自閉傾向であったり、ビッグファイブで言われる協調性の低さと関係していると考えています。これらは生得的なものなので「自分を信じる力」の半分以上は生まれた時点で決まっていると考えています。たくさんの成功したアスリートや、起業家のストーリーを読むと幼少期に周囲とトラブルを起こした例がたくさん出てきます。協調性がなく、自分の意見を頑として譲らないなどです。つまり信じようとしているというよりも

    自分を信じる力は獲得可能か|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2022/02/18
    "世間を知らず脳も未成熟な10-20代で信じる力は最も大きく以下減少する傾向にある"
  • 哲学的であること、考えすぎていること|DaiTamesue為末大

    哲学的であるということと、考えすぎているということの境目はどこにあるのでしょうか。前者は深くなっていきますが、後者はこじれていきます。哲学的であれば何かを理解するために考えますが、考え過ぎていれば悩むために考えます。決めようとせず考え続けることに心地よさを覚えるかどうか。疑問に興奮する人間は哲学的です。 考えすぎている人は疑問が投げかけられた時に浮かない表情をします。疑問に対しおもしろいですねという答えは返しません。いや、でもと繰り返します。なぜならば考え過ぎている人は、当の意味では理解することを目指していません。堂々巡りの状態に居続けようとするので、核心をついてはならないのです。 もちろん当に突き抜けるような哲学者は、そこに命をかけざるをえないほどの必然性があるのかもしれません。考えたいというよりも考えざるを得ないといったような。しかしそうであったとしても、その人は少なくとも何かを志

    哲学的であること、考えすぎていること|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2022/02/18
    “柔軟に考えるということは、自分を自在に扱うということで、自在に扱うためには自分と距離を取れなければなりません。健全に考えることは距離の巧みさと関係しています。不健全な人は距離が取れないのです。”
  • 自分を信じる力とは何か|DaiTamesue為末大

    ジョコビッチ選手が「ワクチン接種を強制されるなら今後も試合出場を諦める」とコメントしました。ワクチン接種如何に関しては話の内容がずれるのでここでは触れず、トップアスリートの特性「自分を信じる力_ついて考察してみたいと思います。 トップアスリートになる人は「自分を信じる力」がある人がほとんどです。大事なのは「自分を信じる」ことができたらトップアスリートになれるのではなく、トップアスリートには「自分を信じる」人が多かったという点です。統計的にトップアスリートになれる確率は極めて低く(地球上のバスケット選手は4億人いてNBAプレーヤーは450人なので100万分の1の確率)冷静に考えるならばなれるわけないと思うからです。確率を無視し、なれると信じ続けた人がトップアスリートになっています。 「自分を信じること」とはどういうことでしょうか。それは客観的なデータや、他者のアドバイスよりも、自分なりに考え

    自分を信じる力とは何か|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2022/02/16
    “普通は客観的事実やデータを優先した方がうまくいくことが多いです。なぜアスリートは「自分を信じる力」が重要なのでしょうか。 トップアスリートという存在は科学的には「例外」です。”
  • 仲間か、正しさか|DaiTamesue為末大

    社会を眺めていて、集団に影響している力を乱暴に「仲間と正しさ」の二つに分けることは可能だろうかと考えています。正しさは価値観と言ってもいいかもしれません。 チャーチルは 「同盟国を敵に回すより悪い事態があるとすれば、それはただ一つ同盟国なしで敵と戦う事態だ」 と言いました。私たちは狩猟採集の時代から集団でいることのメリットを享受しており、一定のまとまりを持ったグループであることで身を守ったり、べ物を分け合ったりして生存確率を高めてきました。私たちが国家という枠組みをわざわざ作ってそれを維持しようとしているのも(農耕が始まり蓄財、分配できるようになったことがきっかけかもしれませんが)その方が生存確率が高いからです。 一方で仲間でいることを維持しようとすればするほど、集団として体を成すには、それなりに集団としての意思が統一されていなければなりません。群れでまとまるということは、そもそも個人の

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  • 我慢しない|DaiTamesue為末大

    私は日社会が良くなるためには ・我慢しない ・リスクを取る ・好奇心を伸ばす の三つが重要だと考えています。逆に言えば今の日の生きづらさの背景には、我慢しすぎて、リスクを取れなくて、好奇心がない、からだと考えています。 我慢しすぎがなぜ良くないのでしょうか。幼少期「将来困るから」「人の迷惑になるから」という理由で我慢を強いられることが多くあります。このようなモデルで育てられそれを自分に取り込むと、我慢していない人を見て「将来困る」「人の迷惑になる」と考えるようになりますし、そのように指摘するようにもなります。過去には誰かが自分を抑圧したのかもしれませんが、いつしか自分の内側に取り込み、自らを自らで抑圧するようになり、他者を抑圧するようにもなっています。我慢してきた人は「当はこう生きたかったのに生きられなかった」という抑圧感を抱えています。 ただ我慢しなければいいという話ではありません

    我慢しない|DaiTamesue為末大
  • リスクを取ること Deportare Letterより|DaiTamesue為末大

    個人の成長を眺めていて、人生の前半は努力の影響が大きいと感じますが、人生の後半はリスクが取ることの影響が大きいと感じます。努力できることとリスクが取れることは違う能力です。旅に例えてみると、努力とはゴールが見え地図も見えている中で辿り着くために必死で歩を進めることです。一方でリスクを取るとはゴールは見えていても地図がない中で陸路か海路かを選ぶということです。いくら速く長時間移動できるようになっても海路か陸路かを選択する度胸とセンスは身につきません。 リスクを取る能力を高めるには、リスクを取る機会を増やすしかありません。驚くほど忍耐強くて努力家の人が、決断ができないということは十分に起こり得ます。 リスクを取るとは、突き詰めれば決めることです。だから決める経験をしないとリスクはいつまで経っても取れるようになりません。一方で生きていれば人は何かを決めてはいます。ではどのような状態で決めることが

    リスクを取ること Deportare Letterより|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2022/01/05
    "リスクを取ったことになる意思決定の状況 ①よくわからない ②失うものがある ③皆の賛同が得られない"
  • 活動的であることで忘れようとしているもの|DaiTamesue為末大

    若い時は社会的にアクティブだった人間に久しぶりに会うと、になっていたり活力が失われていて別人のようになっているということがあります。以前はそういう方と話をして「どうして活動的ではなくなったのか」と考えていたのですが、今は「活動的にならざるを得なかったのはなぜか」と考えるようになりました。 活動的である時は意識も活動も外に向かっています。外の問題を解決し、外での成功を考えています。外に向かって一生懸命になっている時は、意識が内に向かわないで済みます。失恋の苦しみから逃れたいと忙しくする人とよく似ています。その人が人生の前半で活動的でなければならなかったのは、時間ができれば外に向いていた意識が自分に向かってしまうからではないでしょうか。じっとしていると一番厄介で遠ざけていたことが頭に浮かんでしまい向き合ってしまう。こうした人にとっては何かに追われている状態の方が、何もない状態よりも心が休まり

    活動的であることで忘れようとしているもの|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2021/11/29
    “「足るを知る」とは、現状追認とイコールではない。外に問題はあるのでそれを解決するし、成功は大切なので頑張って獲得する一方で、今私は十分幸せであるという状態がある”