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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (7)

  • SNS時代の美術館や博物館の「写真撮影OK」戦略のゆくえ - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com www.yomiuri.co.jp 山幸三・地方創生相の発言は乱暴だし、いろんな創意工夫をしている学芸員さんたちに失礼だとしか言いようがありません。公立の図書館がみんな「TSUTAYA図書館」になってしまって、地元の文化財を紹介するコーナーがカフェスペースになってしまうのが「正しい」ことなのか? しかしながら、いち利用者としては、「TSUTAYA図書館」は入りやすいし遅い時間まで空いているし使い勝手が良い、と感じたのも事実です。 税金を使っているのに、ほとんど人が来ないような「文化財コーナー」に存在意義があるのか。 効率や収益にとらわれて、大事なものを失ってはいけない。 しかしながら、誰にも見てもらえない状況で、何の工夫もせずに赤字を垂れ流すのは、「自分はわかっているつもりの人の自己満足的な文化財保護」だという視点は、けっして間違ってはいないと思います。 ただ

    SNS時代の美術館や博物館の「写真撮影OK」戦略のゆくえ - いつか電池がきれるまで
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    tettu0402 2017/04/18
    「誰かに自慢できるのって、『自分が体験したこと』くらいしかない」これ言うための撮影になってるのはあるよなあ。集客に効果はあるだろうけど、よろしくない環境になってるのもある。悩ましい。
  • 「PVなんてどうでもいいよ」戦略 - いつか電池がきれるまで

    『メディアのリアル』(吉田正樹著・プレジデント社)という、吉田正樹さん(『笑う犬の生活』シリーズ、『夢であえたら』など、数々の伝説的番組を生みだした元フジテレビプロデューサー(現ワタナベエンターテインメント会長))とメディア界の著名人たちとの対談のなかで、サイバーエージェントの藤田晋さんが、こう仰っていました。 それにしてもインターネットというのは、人々の欲望に忠実なメディアだとつくづく思います。人気が出るのは著名人ブログや儲け話、それからエロティックな分野であって、いくら真面目で堅いコンテンツを提供しても、なかなか人が集らない。それがインターネットの現実なのです。 サイバーエージェントでは、コンテンツの評価を基的にPV(ページビュー:Webのアクセス数の単位の一つで、閲覧者のWebブラウザに表示されたWebページの数(『IT用語辞典』より)で行っているそうです。 とにかく、たくさん見

    「PVなんてどうでもいいよ」戦略 - いつか電池がきれるまで
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    tettu0402 2015/05/30
    「誰が読むねんこれwww」の方が読みたい。/ 「PVなんてどうでもいいよ」戦略 - いつか電池がきれるまで
  • もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで

    昔読んだこんな話を、読み返す機会があって。 『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。 (特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん) 米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。 ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前

    もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで
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    tettu0402 2015/02/21
    「現実では『正しさ』を貫けない代償行為」
  • 「いつから僕たちは手を叩きながら笑うようになったのか」 - いつか電池がきれるまで

    映画監督、ノンフィクション作家の森達也さんと、さまざまな世代、立場の人たちとの対話をまとめた『アは「愛国」のア』(森達也著・潮出版社)というを読んでいたら、こんな話がでてきたんですよ。 森達也:数年前に、ゼミの学生たちと飲みに行ったとき、誰かのギャグに対して他の学生たちが、手を叩きながら笑うことに気づきました。拍手ではなくて、柏手のようにして、笑う時に顔の前で手を叩く。僕たちが若い頃にはなかった習慣です。いつこんな作法が始まったのだろうと不思議だったけれど。 D:言われたらそうですね。でも当たり前のように手を叩いていました。 森:もしかしたら世界的な傾向なのだろうかと思ったこともあった。でも去年。ヨーロッパで学生たちを観察する機会があったけれど、笑うときに手を叩くことはなかった。日だけかもしれない。そこから推察すると、テレビのお笑い番組の影響なんだと思う。関根勤さんなんかが典型だけど、

    「いつから僕たちは手を叩きながら笑うようになったのか」 - いつか電池がきれるまで
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    tettu0402 2014/10/15
    いつの間にか、そういうポーズの意味が整形されたように思う。どこかというと難しいのだけれども。
  • 最近ちょっと、池上彰さんのことが、わからなくなっている。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ - Nothing Ventured, Nothing Gained. 僕は池上彰さんの著書をたくさん読んでいますし、池上さんというジャーナリストがいてくれるおかげで、いろんなことを知ることができて、感謝しています。 ただ、最近ちょっと、池上さんについて、「わからなくなっている」ところがあって。 この参考リンクの記事では、舛添さんが「池上さんは細川支持なのではないか?」と判断し、質問を避けようとしたのではないか、と書かれているのですが、僕はちょっと意外な気がしたのです。 舛添さんは、池上さんのどこを、あるいは何をみて、「細川寄り」だと考えていたのか? 僕の疑問は以下のとおりです。 池上さんは、さまざまな政治家に対して、視聴者の視点で「疑問」に斬り込んでいってくれますが、池上さん自身の政治的な信条というのは、どこにあるのだ

    最近ちょっと、池上彰さんのことが、わからなくなっている。 - いつか電池がきれるまで
    tettu0402
    tettu0402 2014/02/12
    池上さんはいわゆる新聞的な「アジェンダ設定」みたいな機能は持たないけど、何かを主張することがジャーナリストの主要要件ではないと思う。
  • 村上春樹さんの短編小説の「屈辱的表現」について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:村上春樹氏:小説に「屈辱的表現」 町議ら文春に質問状へ - 毎日新聞 「屈辱的表現」って…… と思いながら、この記事を読んでみたのです。 作家の村上春樹氏が月刊誌「文芸春秋」の昨年12月号に発表した短編小説で、北海道中頓別(なかとんべつ)町ではたばこのポイ捨てが「普通のこと」と表現したのは事実に反するとして、同町議らが文芸春秋に真意を尋ねる質問状を近く送ることを決めた。町議は「町にとって屈辱的な内容。見過ごせない」と話している。 この小説は「ドライブ・マイ・カー」。俳優の主人公が、専属運転手で中頓別町出身の24歳の女性「渡利みさき」と亡くなったの思い出などを車中で語り合う。みさきは同町について「一年の半分近く道路は凍結しています」と紹介。みさきが火のついたたばこを運転席の窓から捨てた際、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との記載があ

    村上春樹さんの短編小説の「屈辱的表現」について - いつか電池がきれるまで
  • 「選択疲れの時代」に求められていること - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:一度は読んでおきたいおすすめ小説100選 - 自由日記 上記の記事、かなり話題になっていました。 「100冊」の内容については、賛同する人あり、批判する人ありで、まあ、それはそれでしょうがないかな、という感じではあるのですが、僕がこのリストを見て感じたのは「このリストを作って更新するの、大変だっただろうなあ」という、「書く側としての感慨」みたいなものでした。 あと、やっぱり「100冊はちょっと多いんじゃないかな」とも。 もちろん、こういうのって、ターゲットがあるはずなんですよ。 「書店にはほとんど行かないけれど、これから年末年始にかけて、何か読んでみたい。どんながあるのかなあ?」 そういう人たちには、まず、このリストから、面白そうなものを1冊手にとってみる、と良いのではないかと。 しかしながら、「100冊のなかから、1冊を選ぶ」っていうのは、それはそれでけっこう大変ではありま

    「選択疲れの時代」に求められていること - いつか電池がきれるまで
    tettu0402
    tettu0402 2013/12/15
    [『いま、僕が求めているのは「この中から選んでね」じゃなくて、「この本を読んでほしい!」だということです』。何でもかんでも選択できないよね。選択も取捨選択。
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