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finalventとlifeに関するwatapocoのブックマーク (4)

  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
  • 酒というのはただ飲むから酒というのもあるが…… - finalventの日記

    ⇒南無の日記 酒は美味いから、絶対、やめん! わからないでもないが。 私はそういう生き方ができなかった(でもけっこうめちゃくちゃか)。 自分で言うのもなんだが、酒でも女でも賭け事でも私は身を持ち崩さない。どっかで醒めていてただ世界を測量している。それが耐えられなくてさらにのめり込む人もいるのもわかるが、なぜか自分の身体も運命もそれをついには許されなかった、とはいえ、そう長い人生でもないのだろうが。 「酒は美味い」と言える人のために酒があるのだろうと思う。そのような酒を私は知ることなくこの人生を終えるのだと思う。同じことは女についても言える。 私にとっては、世界には旨い酒と不味い酒がある。ある程度主観幻想で言うのだが、それが冷酷にわかる人間は酒に向かない(同じことは女についても言えるかもしれない)。 代わりになにが欠落しているか。 たぶん、愛情のようなものだろう。 子供のころからそうだが、い

    酒というのはただ飲むから酒というのもあるが…… - finalventの日記
  • もう10年以上も前だがNYに行ってダンスの - finalventの日記

    レッスンを受けようと考えていた。 資料を取り寄せて、フライトのスケジュールを組んで。 しかし、人生には思わぬことが起きるもので略。 なんのだったか。見捨てられた身体とかいうだったか、ダンサーの多くは身体の自然な感覚を持ってない、その補償でダンサーになってしまうという指摘があった。まあ、そうかもしれない。 ヨガについてだったか、ある指導者が、ヨガの上手な人は身体がとろい、と言っていた。それもそうかなと思った。 総じてスポーツ選手の身体を見ていると偽物臭い。(機能性にモルドされているかだろうが。) 身体を語るというか語られた身体が、ある枠組みのなかで価値観を持つとき、それはかなりの割合で、身体の偽装というか、身体の偽物化になるのだろう。 このことはたぶん性行為もそうだろう。 ネットとかとかまその他の媒体でも、性的なテクニックは、というとき、そこで語られる身体は、実は、ただのマネキン。 性

    もう10年以上も前だがNYに行ってダンスの - finalventの日記
    watapoco
    watapoco 2006/07/14
    私にとっては超重要なエントリ。
  • キリスト教、あれこれ - finalventの日記

    信仰とかにはまるで関心がない。 というか、西洋人も日人も、宗教というのを、あるいは神というのを、自己の精神の側のパラメーターでどうなるかのような精神現象と見ているのだな、面白い人々だなという感じがする。まあ、率直に言えばということだが。 聖書を自分なりではあるがよく読んだ。新約聖書は旧約聖書のコンテクストをはずすと意味がなくなる。ので、旧約を自分なりではあるがよく読んだ。読んでわかったことは、神とは、そこから逃げ出したくなるようなものであり、罵倒の対象でもあるようなものだ。ヨナの物語は、人が神から逃げる物語だ。処世とは、そういうものだ。 そしてそれらの物語の核心にあるのは、神が人を選ぶということであり、選ばれた人は神を罵倒してもまったくかまわない、そもそも迷惑なことだという当然の権利のようなものだ。ヨブの物語において神は不当ですらある。理不尽といってもいい。ヨブにはそう抗いたてる権利があ

    キリスト教、あれこれ - finalventの日記
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