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憂鬱だ この記事のみんなの語りたい欲の刺激っぷりには感動した。はてな小町空間に引きずり込め!*1 普段、大手小町をバカにしている人が、もし、この記事について熱く語っていたら、鏡見ろよ!とは思ってしまう。 その流れの記事の一つなんだけど、ネットみのもんた研究家としては気になる事例だったので触れてみる。 増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl この記事では、asami81さんが自分も同じような体験があるからこそ、書いたというのを一番最後の余談で説明している。だから文章の意図として、同じ体験を持つ人としての叱咤激励なのだろう。 しかし、まったく面識がない相手に対して「こっちが憂鬱だ。あほか。こんな人がいつか子の親になってしまう可能性があることを考えただけでも憂鬱」といきなり人格否定をするようなボールを投げて、果たして相手は受け入れてくれるだろうか。 こういった激しい言葉は、信頼
ブログで文を書くけれど、その内容が誰かの気に障ったからと言って削除はしない。*1世の中全ての人に好かれるのは無理だ。私は、出来れば人に嫌われたくないし、好かれたほうが嬉しい。いや、好かれたい方だと思う。誰かを傷つけてまで生きていたくない、とは思っていた。「お前が」「お前の文が嫌いだ」「お前の存在が嫌だ、辛い」と言われると、とても辛い。自分に自信がないから、好かれていないと、そこに居ていいかすぐ不安になっていた。また、どこか行け、と言われたらそうしがちだった。今でもそう言うところは多少ある。今まで、そうやって嫌われたり好かれていないと思ったら、違うところに逃げた。でもそれでは、いつまでたっても、どこまでも逃げなくてはいけない。嫉妬されて身を隠して、間違いを正したら疎まれて、利用されるのが嫌で拒否したら言いふらされる。どこまでも逃げなくてはいけなくなる。どこまでも。へらへら笑うのはもう嫌。好か
<公平と不公平について> このへんのことを書くと、 何かあったんですか、と後でよく訊かれるんだけれど、 「ないです」と、まず、言っておきます。 ずっと長いこと、会ったことのない大勢の人たちと、 会話をし続けていて、 「いつかこういうことを書こうかな」と思っていたことを、 いま、書きはじめてみただけです。 ま、うまく言えるかどうかわからないけれど、 とにかく書きだしてみます。 「全員が満足する結論なんてないよ」とは よく言われることだけれど、 やっぱりできることなら、 みんなが満足しているほうが、 自分にもみんなにも気持がいい。 清らかな瞳で、「この恋が実りますように」と お祈りしている乙女がいたら、 「ああ、うまくいくといいな」と、思ってしまうけれど、 彼女の願いが実現したら、 同じ男性に恋をしている他の乙女だかおばさんだかの願いは、 叶わないということになってしまう。 この寒い今ごろって
個人的な覚書として書こうと思う。 このメモの対象として考えているのは、いきなりはてブのホットエントリにあがって、 そこで地味にやってきたときは考えもしなかったような反応を受けて戸惑ってるような人。 「はてな」なりその他のネットでいろんな「いざこざ」を体験してきてる人は、 自分なりの方法論があると思うけど、そんな方法論はもちあわせてないよ、という人。 「あんたのせいで傷ついた」とかショックをうけたとか、謝れとか、 やめろとか、謝罪しろとか、死ねばいいのにとか、まあその他もろもろの理不尽な反応があって、 「このブログのせいでそんな気持ちになるんだったら申し訳なかった」 とか 「このブログを削除したって別にかまわないしなぁ」とかそんなことを考えてしまう人。 最終的な結論を出すのはブログの持ち主なのだけど、私としては「削除」はしないことを勧める。 基本的には、削除するくらいなら最低一ヶ月は放置する
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
ネットでこの人と友だちになりたい、という発想は持ったことがない。っていうか、長いネット生活だが。 っていうか、自然になる。 で、ここが微妙なんだけど、リアル世界の友人というのは違う友だちというか、友愛というか。 経験的に言うと、男の場合、子供の頃の友だち、青年期の友だち、社会に出てしばらく後の友だちという三層があるかと思う。で、それはそれなりのライフサイクルの必然性や社会の機運みたいのがある。 ネットの場合は、そういうのと違う、け・ど、30代前半くらいまでは、リアル世界と混乱するというかしかたない。 ただ、原則的というのは、「友だちになりたい」というより、硬い言い方だけど、「友愛」を感じるということだと思う。 で、そういうのは普通の展開でいいのだと思う。 ネットというウィンドウ(窓)があればつながっている。それでも消えていく。ある時期親近感を持つ・持たれる、あるいは憎悪を向けられる・忘れさ
図解「ネットとリアルの関係」とmixiの影響 「ネットとリアルの関係」というテーマは実に興味深い。今回は考えてることを言葉だけで説明しきるのが難しい気がしたので、ちょいと図にしてみました。 ネット初期=ほとんどの「リアル隣人」はネットをしていない こちらはネット初期の図(90年代中盤以前ぐらい)。青いのがリアルのネットワークで、オレンジがネット上のネットワークです。 ネットは少数の好き者が利用するソリューションに過ぎず、そこにいる人は何となく「リアルで浮いてる人」が多かったように思う。そりゃ自分のことか。 あと、パワフルすぎてリアル社会内だけでは行動力が有り余っていて、ネットに来てます、という感じの人が少数。リアル人脈の隣人たちがネットをしているという確率は非常に低く、「ネット」と「リアル」の世界(=ネットワーク)の関連性は低かった。 ネット普及期=隣人もネットをしているが、ネットで隣人と
ネット知人は友人にならない - 深く考えないで捨てるように書くという記事を書いた。 これだけを読むと、「つまりネットの人間関係には期待しないということか?」だの「ネットで友達をつくるなんて発想はおめでたいとでもいうのか?」だの「友人にもなれないような相手になんであれこれ心情を吐露できるの?」だの、いらない行間を読むこともできてしまう。 だが、そういう話ではないのだ。むしろ逆。 ネットでは、友人同士だなんだなんて暑苦しいことを言わなくても、心の中をぶっちゃけてもしまえるし、他人の吐露した心情を受け止めることもできるし、共感したり、感心したり、また逆説的だけど、できれば友人にはなりたくないような人の気持ちや発言を真っ正面から読むことすらできる。あるいは、普通なら自分じゃ友人になどなれないようなすごい人の話を読んで、反応することさえもできる。 ネットでは友人だの親しいだの繋がりが深いだの、そうい
はてなブックマークからは毎日のようにいままでは知りようがなかったすばらしい記事やニュースを得ています。こうして日記を書いた後にたくさんのフィードバックをいただいています。コメントのないブックマークでも、その一つ一つがとても嬉しい。そこに人がいる、という感じがします。はてなブックマークを作って良かった、と思います。 一方、はてなブックマークでの厳しい一言で人が傷ついたりしているのを見かけます。誰かがちょっと間違ったということを指摘するのに、バカとかアホとか、そんなことを書く必要は本当にあるんだろうか、自分の思う正しい回答を丁寧に示すだけでよいのではないか、と思います。 人間の感情なので、色々思うことは止めようがない、とも思います。また一方で、それを外にストレートに出さないよう理性を働かせるのもまた、人間のあり方だと思います。 コメントを見て「身から出た錆だ」と思ったこともあるし、僕自身も自覚
予めエチケットペーパーを敷いておくと、これから当方が書くのは一般論、というか特定の対象に絞らないぼんやりした話である。以下にリンクする文章で主に話題になっている(と思われる)人のブログは読んだことがなく、特にコメントする立場にない。 あと今日の画像も Wikimedia Commons より。 本当に忌むべき暴力とは、実は個々の罵倒でも罵倒者でもない。論理立てた批判も議論もせず罵倒を繰り返す者を許容することで、罵倒された人々を二重に罵倒することになる「場」である。そういう「場」を、人間関係のしがらみによって曖昧に維持しようとする人々である。そこにあるどうしようもない想像力のなさ、鈍感さの中に、真の暴力性は孕まれている。 absoluteweb.jp - Amazon のおすすめ 大野左紀子さんの「ネット上の暴力」、並びに加野瀬未友さんの「罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問
ARTIFACT@ハテナ系 - 罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 前回の記事は、大野さんの記事に触発されて書き、まず事例を知って欲しかったため、自分の意見は最小限に抑えていた。自分が考えていたのは「いつも罵倒をしている人と対話できるか?」ということだったが、記事タイトルや内容を見ると、罵倒表現の是非を問うように読めてしまい、言及を見ると実際そのように認識されているようなので、改めて説明し直す。 ※追記 誤解している人がいるようなので強調しておくが、大野さんはMarco11さんに脅迫的言動をされた当事者である。詳細は下記を参照。大野さんの記事はほのめかしであったから、その辺がわからなくてもしょうがないが。 Ohno blog(2007-06-13) - 6/10の追記 ※現在のリンク ネット上の暴力 - Ohnoblog 2 いろいろなエントリやブクマコメントを見て感じ
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