思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
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友人が、物凄く絵が上手いんだけどさ。 でも最初は下手だったんだよね。たいしてうまくない自分より下手だった。 でも急激に成長してる。今はもうホントに上手い。絵で仕事もしてる。 2chのスレでもよくある、「上手い人見て凹んで描けなくなった」とかいうやつ。自分も上手い作家さんとか見たりするとああいう気持ちになったり、年下なのに上手いのとか見るとホントへ込むんだけど、どうやら友人はそういうのが無いっぽい。前その辺語ってて判明した。 「できない」って思わないみたい。なんか。 すごい人見ると、即座に「そうなるにはどうすればいいか」「自分に何を+すればそうなれるか」「そして+する方法は何か」を考えてる。 だからすごい人を見たほうがモチベーションとか上がる。みたい。 目標が目に見えて分かるから寧ろ嬉しいらしい。 年下で上手いとか見ても、考え方が根本から違う。自分は「年下でこんなに上手いとかマジ死ぬwwww
ちょっとご無沙汰しておりました「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな」。梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく」で下記の文章に大変感銘を受けたことをきっかけにスタートしております。 「三十歳から四十五歳」という難しくも大切な時期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。(P194) 今回ですが、梅田望夫さんのウェブブック「生きるための水が湧くような思考」の中で、若者たちの新しい「ロールモデル」(お手本)として見つめ直す必要がある。」と記述されている人物。その名は任天堂代表取締役社長 岩田聡。 当時ソニー「プレイステーション2」の後塵を拝していた任天堂の代表取締役社長に就任後、ニンテンドーDS/DS Lite、Wiiを世に送り出し、瞬く間に任天堂を首位の座に返り咲かせた立役者、岩田聡。現在のその華麗な実績に至るまでの30歳から45歳の道のりは、極めて苦しく険しいものでした。今回は岩田聡さん
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
大学を卒業後、市原は、かいわれ大根の店頭販売をしていた。販売に使うラジカセとかいわれ大根を車に載せて、県内の至るところにあるスーパーを回った。 当時はまだ物めずらしい食材だったかいわれ大根。スーパーの軒先で市原は必死に声を張り上げ、行き交う主婦に声を掛け続けた。22歳の市原は思った。「大学を卒業して、なぜオレはかいわれ大根を売ってるんだ?これが本当にやりたいことなのか」。その日のモチベーションを維持するだけでも大変な毎日だった。 かいわれ大根の仕事は10カ月で辞めた。ただ、振り返れば、この10カ月が自分の「原点」なのだと市原は思う。働く厳しさを知った。仕事とは何か。何度も思いを巡らせた。そして、自分について考えた。誘われるがまま就職を決めてしまった学生の頃とは違う。初めて自分の意志で決断した。だから、思い悩んだこの10カ月間こそが、自分のスタート地点だと思えるのだ。その後、市原は2度の転職
10月に岡山県津山市で開催された「高専プロコン」。本大会に参加した方なら誰でも記憶に残っているほど強烈なインパクトを与えていた俺様系フレグランスの危険なにおいが漂う女性――「団長」こと茨城高専の湯浅優香さん――が明かす激闘の裏側と涙の訳。 突然ですが、皆さんは高等専門学校、いわゆる高専にどういったイメージをお持ちでしょうか? 一昔前ですと、よく言えば理系の知的な、悪く言えばマニアな男性が多く集まる学校、そんな感じに見られがちだった高専ですが、今の高専はまったく違います。学校全体で女子生徒の方が多い高専もあるそうで、「女性で高専」は珍しくない時代といっても過言ではないでしょう。 全国に64校ある高専ですが、団長のわたしは現在、茨城県ひたちなか市にある「茨城工業高等専門学校」(茨城高専)に通っています。「プログラマーになりたい」――そんな思いを中学生のころから持っていたわたしは、「来ないと死刑
2007年10月31日02:05 カテゴリTribute 訃報 - itojunさん そんなばかな。 http://www.hoge.org/~koyama/itojun.txt 萩野純一郎(享年三十七歳)が10月29日、夜に永眠致しましたので慎んでご通知致します。itojun.org2007/10/11: 日本工学院八王子キャンパスでIPv6について講演が決まりました。 (2007/11/22) まだまだこれからだっていうのに。ついこないだ私のblogにもコメントを残してらしたのに。 これまた今は亡きBSD Magazineの秋葉原焼肉夜話で会ったときのことが未だに思い出されます。 「ご冥福をお祈りする」といっても、彼が「冥界」を信じているとはとても思えないし、私もそのようなものは信じていないので、こういった社交辞令的なお悔やみの言葉を述べるのはむしろ不謹慎に思えます。 もう本人には伝わ
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