戦後75年、戦争体験者が減っていくなか、ひとりひとりの心の奥底に刻まれた不都合な記憶を見つめることは、歴史の継承だけではなく、現代社会への問いかけでもある。 長野県飯田市に生まれ育った岩間政金さんは、戦争中、満蒙開拓団として現在の中国東北部に渡った。敗戦後、故郷の村に帰る家はなく、福島県に移り住む。山林を開拓し、畜産で生計をたててきた。しかし、2011年の原発事故で、再び故郷を追われ、避難生活を余儀なくされた。 東京電力福島第一原発の事故から4年を迎えようとする2015年1月。岩間政金さん(当時89歳)は、福島県三春町の仮設住宅で避難生活を続けていた。四畳半二間と、台所に、バス、トイレ。仕事をもつ娘と二人暮らし。一日の多くを、居間で過ごしている。岩間さんが、故郷を離れるのは、これが3度目だった。 長野県飯田市に生まれ育ち、1937年、11歳のとき一家4人で海を渡る。満州国への入植だった。政