Author:碧猫 大都市の片隅でひっそり生活している、人畜無害の温和しい生き物です。本当です。 はてなID; felis_azuri コメント欄の書き込みについての注意事項; 当ブログ運営者、およびそれと友好関係にある参加者に対し、
クィア児童ポルノ禁止法が廃案になりましたが、これは「児童ポルノ禁止法ってダメだよね」という合意形成が出来たわけではなくて、単に政局の問題。そもそも自民党と民主党は単純所持を犯罪化・処罰化することに最終的には同意していたわけで(衆議院解散を見越しての民主党の戦略かもしれないけど、「どうせ解散するし」っていう。)、今後も同じような法案が出てくる可能性はあるし、そのときにどう私たちが動けるかっていうのは考え続けていたほうがいい。ということで、この問題についての情報発信をする Twitter アカウントを作ったよという話をここでしたんですが、もう一度紹介。http://twitter.com/jidouporunoで、既に中の人がボクだってことをバラしている時点で政治的中立性とかは担保しようともしてないってことが分かると思うんですが、むしろ「規制反対」を全面に押し出して行こうと思っています。でもそ
(6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を
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