筆者が初めてこの小説を読んだとき、すぐに頭に思い浮かんできたのは、スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のことだった。 この映画はスパイクの監督としての地位を不動のものにしたばかりか、映画の枠を越えて社会現象ともなったが、『インディアン・キラー』にはこの映画に通じる構造と衝撃があった。 『ドゥ・ザ・ライト・シング』には、黒人街のことを〝猿の惑星〟と呼ぶような人間はいても、致命的な惨事を引き起こす差別意識と行動力を備えた人間は誰もいない。 ところが、耐えがたい猛暑のなかでそれぞれに〝正しい事(ライト・シング)〟をしていると信じている彼らのその正しい事が少しずつ増幅していくと、致命的な差別が存在しないにもかかわらず、 結果だけを見れば、非常に単純で図式的な人種差別という認識で語られてしまうような事件が巻き起こってしまう。そんなふうにしてスパイクは世界に対する覚醒を観客にうながすの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く