タグ

社会と障碍に関するyachimonのブックマーク (5)

  • てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート

    ちょうど一年前、私はてんかん患者の社会的地位についてなぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノートにて記した。 そして今回の事件においては、てんかん患者への運転免許取得規制が格的に議論されようとしている。はっきり言って、私はこの規制に断固反対である。それが事件の被害者を侮蔑した行為であるとののしられてもまったく構わない。というのも、免許規制はてんかん患者にとって単なる「運転ができなくなる」以上の意味を持っており、それは彼らの社会的地位をさらに差別に晒すものであることは間違いないためである。 なお、てんかんと免許の「安全性」については、先のクレーン事故と織り交ぜて語られているhttp://ameblo.jp/moonsun3/entry-11220131531.htmlに詳しい。 「クローズ」——仮面をかぶる生き方 てんかんに限らず、慢性精神疾患やエイズなど告知によっ

    てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート
  • なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート

    先日、栃木県にて、クレーン車が暴走し通学途中の小学生をはね死亡させてしまった事故があった。もちろん加害者を擁護することは出来ない。彼はてんかんを持っていた。そして以前にも「未遂」を起こし、かつ薬の服用を怠ったがためにこの事件は起きてしまった。報道の通り薬を飲み忘れたがゆえにこのような事故が起こってしまったのであれば、これは完全に彼の責任であると私は思う。しかし、多くの人がそれでも思うことは、「では、何故彼はクレーンに乗ることを選択したのか?」ということであろう。この事故に関連し、id:goldhead氏は、俺はたまたま子供を6人轢き殺していないだけ - 関内関外日記において、SASを患っているという観点から記事を書いていえる。その中で、次のような文章が目にとまった。 だから俺は、クレーン車で6人の子供を死なせてしまったやつのことを考えずにはいられない。彼が症状をおさえる薬を飲んでいなかった

    なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート
    yachimon
    yachimon 2012/04/17
    ああ、これはそうですね。
  • 広汎性発達障害と精神鑑定、矯正、社会復帰

    Kaoru MATSUMOTO @kmatsu1129 明らかに死刑っぽい人の時間稼ぎをしているのでは?という印象すらあります。RT @snackkaori: 裁判の精神鑑定って、時として時間がかかりすぎる気がする。 2010-04-15 00:32:16 河合香織 @snackkaori なるほど。ただあきらかに死刑じゃない場合でも時間がかかっていたり。1年くらいは普通なのかな。 RT @kmatsu1129: 明らかに死刑っぽい人の時間稼ぎをしているのでは?という印象すらあります。RT @snackkaori: 精神鑑定って、時として時間がかかりすぎる気がする 2010-04-15 00:38:51 藤井誠二 @seijifujii1965 被告が精神病か否かだけを判断するのが来の精神鑑定ですが、いまは(これからも)重罪事件の場合でかつ事実関係をあまり争わない場合は、精神鑑定の「出し

    広汎性発達障害と精神鑑定、矯正、社会復帰
  • 「障害者」表記について/いち障害者からの雑感

    こんにちは。こんな記事がブックマークを集めてますね。 「障害者」どう表現 吹田市が新しい呼称募集 大阪 http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/091101/osk0911010237002-n1.htm どうやら「障害者」という単語にマイナスイメージがあるので、 それに代わる呼称を一般公募しようという話のようです。 はてなブックマークでは、否定的な意見が大勢のようです。 私は脊椎に先天障害がある、いわゆる障害者です。症状は排尿障害。 障害者になじみがない方の参考になればいいかなと、少し意見を書いてみます。 (もちろん、障害者一般を代表する意見ではありません。) 小学校のころ、学校で知らない女の子二人組に、こう話しかけられたことがあります。 「○○くんって、障害者なの?」 まだ素直だった私はその女の子たちに、自分が二分脊椎という先天障害である

    「障害者」表記について/いち障害者からの雑感
  • ケーサツ権力と精神障害。 - hituziのブログじゃがー

    あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー うえの記事を かいたとき、わたしは ほとんど 頭が まわっていませんでした。かなしくて しかたが なかったのですね。 わたしは、知的障害者の施設で しごとを しています。きのうは当直でした。2時間くらいは ねむりました。けれども、ずっとずっと かんがえごとを していました。決着が ついたのか。結論は でたのか。なにも わかりません。 その夜、ずっと かんがえごとを しながら、ある フレーズが 頭を まわっていました。そのフレーズが、どうしても はなれなかったのです。ただ、そのフレーズを かいてしまっても、どうにも ならないではないかと 感じられたので、かくのは やめたのでした。けれども、きょうは かきます。冷静な いま、かいておきます。 それは、「わたしは ケーサツの テサキだ」ということでした。 こ

    ケーサツ権力と精神障害。 - hituziのブログじゃがー
  • 1