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bookとmovieに関するyachimonのブックマーク (3)

  • お笑い作家としてのウンベルト・エーコ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    お笑い作家としてのウンベルト・エーコ イタリアの哲学者・美学者であり小説家でもあるウンベルト・エーコは日でも比較的よく知られている(最近の2つの長編 Barbelino と The Mysterious Flame of Queen Loana はいまだに翻訳されていないようにみえるけれど)。哲学と歴史の小ネタを惜しみなくつぎ込んだその壮麗な小説世界は、当然なんだか妙に分厚いになって(第一長編と第二長編の邦訳はともに二分冊だった)、しかもいろいろな解説が出ているとなれば活字慣れしていない読者を敬遠させるには十分な気もしますが、あれは当はとても面白いなんですよ。いや、興味深いとかじゃなくて、文字通り笑えるという意味でね。それも知的なウィットとかじゃなくて、どちらかといえば親父ギャグの笑いである。 私にとって『薔薇の名前』は、ある意味で Monty Pythons and the H

    お笑い作家としてのウンベルト・エーコ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
  • 2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」

    映画ファンならずとも、昨年の*1の「日アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ

    2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」
  • 宮崎駿監督を悩ませた、『風の谷のナウシカ』の「3つのラストシーン」 - 活字中毒R。

    仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)より。 【『ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間をっちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います? 「間に合わないものはしようがない」 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろい

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