「震災犠牲者の行動記録」を含む「命の軌跡 ~東日本大震災5年 一連の報道~」(岩手日報社)が、2016年度日本新聞協会賞(編集部門)を受賞しました。 首都大学東京 渡邉英徳研究室(2018年度より東京大学大学院 渡邉英徳研究室)と岩手日報社は共同で、東日本大震災から5年を迎える2016年3月、岩手県における震災犠牲者の「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ「忘れない~震災犠牲者の行動記録」を制作しました。 デジタルアースで閲覧する 2011年3月11日午後2時46分、そして津波襲来時にどこにいたのか、犠牲者の所在を遺族に取材し、データを集めました。 本コンテンツでは、居場所が詳細に判明した犠牲者1326人について、被災地の震災直後の立体的な航空写真・地図と組み合わせ、避難行動を可視化しています。さらに、ご遺族の了解を得た犠牲者687人については、氏名と当
首都大学東京 渡邉英徳研究室と岩手日報社は共同で、東日本大震災から5年を迎える2016年3月、岩手県における震災犠牲者の「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ「忘れない~震災犠牲者の行動記録」を制作しました。 2011年3月11日午後2時46分、そして津波襲来時にどこにいたのか、犠牲者の所在を遺族に取材し、データを集めました。 本コンテンツでは、居場所が詳細に判明した犠牲者1326人について、被災地の震災直後の立体的な航空写真・地図と組み合わせ、避難行動を可視化しています。さらに、ご遺族の了解を得た犠牲者687人については、氏名と当時の行動も閲覧できます。なお、被災直後及び1974-1978年の空中写真レイヤには、国土地理院のタイルデータを利用しています。 岩手日報社は、震災犠牲者一人一人を紙面で紹介するプロジェクト「忘れない」や、災害から命を守るための
東日本大震災。 東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日本中の人に御礼を述べさせていただきます。 本来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親と妻と一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。妻は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅で妻と一緒で
東日本大震災で、南三陸町志津川高校から見た津波の様子をデジカメで撮影いたしました。最後の方で、畑を逃げている人たちは全員助かっています。 追記 9.11テロの際には、報道の流す映像によってPTSDの症状が出た方がいたようです。このようなショッキングな映像を見続けることは心の健康にプラスにはなりません。ご注意ください。 私自身この津波で家を流され、飼っていた猫も失いました。あまりこの動画を見たいとは思いませんので、散々迷った挙句アップロードいたしました。 これを見ることが被災者の気持ちを理解することにつながるとは思いませんが、何が起きてどんな感じだったのかを誰かに知ってもらいたいと思って公開してしまいました。 英訳していただいたので追記します。 This video taken with my digital camera shows the huge tsunami, after th
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