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考古学に関するaltocicadaのブックマーク (2)

  • asahi.com(朝日新聞社):元寇の船、長崎沖で発見 全長20m超、原形とどめる - 社会

    印刷 これまでの調査でも、海底から元寇の遺物とみられるものが多く揚がってきた=1997年、長崎県鷹島沖「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」に描かれた元寇船=「週刊名将の決断 34」(朝日新聞出版)から海底から碇石も引き揚げられている=1997年10月、長崎県鷹島の神崎港  長崎県松浦市の鷹島沖の海底に、13世紀の元寇(げんこう)の沈没船がほぼ原形をとどめた形で埋まっていることが分かった。琉球大法文学部の池田栄史(よしふみ)教授(考古学)らの研究チームが20日、明らかにした。この海域では元寇船のものとみられる船の木材や遺物がこれまでにも引き揚げられているが、船体の構造を保った状態で確認されたのは初めてだ。  池田教授らによると、元寇船は鷹島沖合の水深20〜25メートルの海底にあり、約1メートルの砂に埋まって横たわった状態で見つかった。  船の背骨にあたる重要な部材(竜骨=キール)が幅

  • 【牽牛子塚古墳】日本書紀の記述そのまま「画期的発見だ」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    「斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬する。皇孫大田皇女(みまごおおたのひめみこ)を陵(みささぎ=斉明天皇陵)の前の墓に葬る」。奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の前で発見された越塚御門古墳は、日書紀のこの記述をそのまま裏付けた。大海人皇子(のちの天武天皇)の后になりながら20代で夭折(ようせつ)したとされる悲運のプリンセス、大田皇女。その終(つい)の棲家は、かつて女帝として権勢を振るった祖母・斉明天皇に見守られるかのような場所に築かれていた。 「驚きを通り越して感動した。画期的発見だ」と話すのは、前園実知雄・奈良芸術短大教授(考古学)。「牽牛子塚古墳が斉明天皇陵である可能性は、99・9%から99・99%になった」−。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)も「日書紀のこの時代の記述は、確実な史料に基づいて書かれているとみていい」との見方を示す。 ただし日書紀は、大田皇女の

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