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ブックマーク / suumo.jp (5)

  • 清く正しく美しい街「宝塚」。タカラジェンヌと地元の絆(文・天真みちる) - SUUMOタウン

    著: 天真みちる 桜のはなびら舞い踊る花のみち 銅像写真提供 みきぽん タカラジェンヌを志したのは、三歳のころ。 おばあちゃんに「アンタはタカラジェンヌになりな」と言われ、おばあちゃんの許可さえあれば入れるところだと勘違いした私は「オッケー!」と、軽い気持ちで受験し惨敗。その後1年間ほぼ毎日習い事に勤しみ、なんとか一次試験を突破し、最終試験会場の宝塚音楽学校に来たのが、今から18年前のこと……。 初めて降り立った宝塚駅の印象は、「荘厳」だった。なんか駅の天上高いし、空間広々としてるし、まずもって電車が高級感ある気がするし、改札抜けたら吸い込まれる位置に阪急百貨店あるし……。 阪急百貨店を抜け、駅内アーケードも吹抜けでこれまた天上が高く、屋根があるのに開放感があり、贅沢な空間が広がっている。ありとあらゆるものに目を奪われまっすぐに歩くことが出来ず、改札を出てアーケードを抜けるまでのたった数百

    清く正しく美しい街「宝塚」。タカラジェンヌと地元の絆(文・天真みちる) - SUUMOタウン
  • 20代の終わりと白紙の未来。通過点の街「中津」で人生を取り戻すまで - SUUMOタウン

    著者: 金井塚悠生 小学生のころ、塾に通う途中、1度だけ電車を乗り過ごしたことがある。 地元の阪急池田駅から宝塚大阪梅田行きの電車に乗って、数駅隣にある豊中駅の小さな進学塾に通っていた。ある日、ふと窓の外を見ると見覚えのない景色がながれていく。気づいた時には急行電車の中に閉じ込められていた。電車はいくつもの駅をすっ飛ばして走る。 それまで豊中駅より先に行ったことがなかった僕は、突然知らない街に連れ去られたみたいな気分になった。 結局その後は、終点の大阪梅田駅まで乗ってそのまま同じ電車で引き返して塾に行った気がする。たぶん小テストには間に合わなかった。その時、十三(じゅうそう)と梅田の間に小さく地味な駅がぽつんとある光景が何故か脳裏に焼きついていた。 阪急中津駅。 その駅の名前をちゃんと認識したのはそれから少し先のことだった。無事に中学受験で志望校に合格した僕は、地元の池田から梅田を経由し

    20代の終わりと白紙の未来。通過点の街「中津」で人生を取り戻すまで - SUUMOタウン
    asitanoyamasita
    asitanoyamasita 2021/08/05
    中津はインドカレーを筆頭にエスニック料理の激戦区になってるので個人的にアツい/世界一うまい肉料理と言われるルンダンが食えるお店も中津にあって…(自ブログ宣伝→ https://asitanoyamasita.hateblo.jp/entry/2020/10/11/180412
  • クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 僕がまだ大学生で、生まれ育った大阪に住んでいたころの話である。 インターネットで知り合った東京の友達が、大阪で開催されるオフ会に参加する、と言うので大阪駅まで迎えに行った。「初めて行くので大阪を案内してほしい」とのことで、オフ会の時間まで梅田や難波といった代表的な大阪の街を案内する事にしたのだ。 友達は夜行バスで東京から来たため、朝早い時間に合流した。疲れただろうし、と喫茶店に入って休憩しつつモーニングコーヒーなんかを飲んでいたのだけど、東京から来た友達はのっけからテンションが高かった。 「大阪の人って全員ボケとツッコミをやるんでしょ?」 「おばちゃんがアメちゃんくれるとか」 「知らない人ががんがん話しかけてくるって当?」 などなど。 「大阪人」という人種(?)は全国的にも独特のポジションというか、変なバイアスがかかって見られがちだというのはひとりの大阪人としてヒシヒシと

    クセの強い街「大阪」に生まれて(寄稿・ヨッピーさん) - SUUMOタウン
    asitanoyamasita
    asitanoyamasita 2021/02/25
    『大阪に住んでいれば週末に「どこ遊びに行こうかな~」と思ったときの選択肢はかなり多い』大阪人だけどこれは本当にそう。老後はゆっくり史跡めぐりでも…なんて人は間違いなくカモン大阪
  • ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン

    著者:  みずしな孝之 秋田に縁がなかった僕が「いとしのムーコ」を描いたわけ 秋田に縁のない人生でした。 東京生まれ東京育ちで、親は長野出身。親戚がいるわけでもなく、修学旅行は奈良京都、好きな球団は横浜大洋。「北国へ旅行に行こうか」と思うことはあっても、一気に北海道まで飛んでしまう感じで。東北には興味はあっても、訪れる機会はほぼなかった秋田県。 なのに、みずしな孝之がなぜゆえ秋田を舞台とした漫画「いとしのムーコ」を描くことになったのか。それはもう、うちのアシスタントのフジイのおかげです。 2010年ころ、秋田県・大曲出身のフジイからこんな情報を聞きました。「知り合いに、秋田の山奥のガラス工房でガラス吹き職人をやっている人がいる」「そこで飼っている犬がむちゃくちゃ可愛くて、ミクシィもやってる」と。 「えっ! 犬がミクシィ!?」「なにそれ! 器用! おもしろい!」と、早速興味津々だったのですが

    ミクシィで出会った犬と秋田が、僕の漫画家人生を変えた。(文・みずしな孝之) - SUUMOタウン
    asitanoyamasita
    asitanoyamasita 2021/02/02
    『杉林の中のかわいい工房・吹きガラス職人・飼い主のことが大好きな犬(お鼻つやつや)……。ついでに、キャラの濃い友人。これはいつか漫画にしなければ……!』マジで全てが「いとしのムーコ」そのまんまだったw
  • 髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人・髭男爵の山田ルイ53世さん。 成績優秀で「神童」と呼ばれ、地元・兵庫県で有数の進学校に合格しながらも、中学2年生から引きこもりに。大検を取り大学に通うも中退し、「逃げるように」上京したそうです。 短くない下積みを経て「ルネッサーンス!」のフレーズとワイングラスでの乾杯漫才で大ブレイクしましたが、その後、テレビ仕事は激減し「一発屋」と呼ばれるようになりました。現在は、執筆業で再び注目を浴びている山田さん。そんな激動の東京生活について伺いました。 6年

    髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン
    asitanoyamasita
    asitanoyamasita 2019/03/14
    『東京ほど、余暇を充実させようという圧がスゴい街はないじゃないですか』/東京暮らしの部分は男爵の著書『ヒキコモリ漂流記』に詳しく、面白く、書かれているのでぜひ読んで!(ルネラジ檀家の布教活動)
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