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ブックマーク / nnakasuji.ws.hosei.ac.jp (8)

  • 心理学や社会学が生まれた頃:『UP』掲載の渡辺茂氏のエッセイを読む | 群衆の居場所

    ゴールデンウィークも後半なので、遊びはほどほどにして、たまった勉強を片付けよう。東大出版会の広報誌『UP』の3月号(積ん読過ぎ!)掲載の、渡邉茂「獨逸実験心理学の栄光とハンスの没落」を読んでみた。冒頭でビックリ、「マックス・ウェーバーは変化が感知できる刺激の強さはもともとの刺激の強さと比例することを発見し・・・」。そうか、ウェーバー=フェヒナーの法則はM.ウェーバーの隠れた業績だったのか。んな訳ない。マックスより1世紀近く前の解剖学者エルンスト・ウェーバーです。慶應大名誉教授の渡邉先生はかなりご高齢のようで、また理系の先生にはこうした正確さを軽んじる方が多いので、問題は『UP』の編集者だろう。先便で文化人類学者A.クローバーをクロエバーと書いた岩波新書編集部を腐したが、今度は東大出版会か・・・。いまどきの編集者の仕事っていったい何? もっともエッセイ自体は比較的面白かった。とくに「獨逸実験

    contractio
    contractio 2018/05/08
    誰かにやって欲しいけど社会学史では就職できないのでテニュアの人にやってもらうしかない。「医学や哲学の古い地平から、20世紀の「新しい人間の学」として心理学や社会学が離陸する、その場を追体験したい」
  • 叱り甲斐のない若僧:掛川トミ子先生の思い出 | 群衆の居場所

    昔々、まだ駆け出しの頃、後に『群衆の居場所』の第5章「群衆を呼ぶ声」となる研究を「新聞社焼打」という論題で日社会学会大会で発表した(初出論文としては『年報社会学論集』7,1995)。会場の最前列に眼光鋭い銀髪のオカッパの年配の女性がいて、発表が終わるやいなや、厳しい声で私の勉強不足を叱り、とくに明六社以降の慶応系の新聞人についての理解が足りないという趣旨の批判をされた。その頃の私は指導教官の顔色ばかりうかがっていて、自分の話を何とか住民運動とかコミュニティといった言葉で粉飾しようと躍起になっていた。だから「共同性感覚の階層差」などと、何も言っていないようなつまらない結論をつけていた。そんな私だから、この女性の批判も全くピンとこず、「これから勉強します」的な不誠実な回答をしたように覚えている。 部会が終わると、その女性は私のところにやってきて、「今日はあなたの報告を聞きにきたのよ。私は掛川

    contractio
    contractio 2017/11/22
    この人、ほんまおもろいなw
  • 春の叙勲にビックリ!:勲章の社会学(笑) | 群衆の居場所

    今朝の朝刊の「春の叙勲者」一覧を見てビックリ。ていうか、そんなもん朝っぱらから誰が見るねん。 見田宗介先生が「瑞宝中綬章」を叙勲されていた。見田先生と勲章、シュールレアリズム的違和感があって面白い。でも、ほんとうに違和なら東大教授なんか70年にさっさとやめていただろうから、やはりそちら側の人なんだなと思った。 休暇でアフリカに行ってゾウの行列を見ても、仲間の役者の順位づけに見えた、若い頃の渥美清ではないが、わが師匠は「瑞宝重光章=旧勲二等」、富永健一先生は「旭日中綬章=旧勲三等」、中野卓、森岡清美両先生は「旧勲四等」で、見田先生のは「旧勲四等」相当などと、私はすぐに考えてしまう。先に『作田啓一VS.見田宗介』の書評で、蓮見、富永、見田を二世つながりと書いたが、これで勲章つながりもできた。 もっとも、かつて「紫綬褒章」を受章された吉田民人先生がしみじみと私に言い訳されたように、勲章は欲しがっ

    contractio
    contractio 2017/04/30
    いいはなし。
  • ニューヨーク社会学者とは誰か?:矢澤修次郎先生に続いて | 群衆の居場所

    貧困文化」で有名なオスカー・ルイスを英語版のwikipediaで引くと、名がレフコヴィツと書いてあってびっくり、知らなかった。経歴にはラビの息子とも書いてあるので、デュルケムと同じだ。東欧、たぶんロシアからの移民二世なのだろう。ロシアからの移民二世で社会学者といえば、職場の先輩で、日社会学会の「学会官僚」として二番目にお世話になった(一番目は宮島喬先生)矢澤修次郎先生の『アメリカ知識人の思想―ニューヨーク社会学者の群像』(東大出版会)である。その研究の中心の1つはD.ベルだが、ベルもロシア系ユダヤ人二世で名ボロツキー(タイムボカンみたい)。ルイスは1914年生まれで、ベルは1919年生まれ、どちらもシティ・カレッジからコロンビア大学大学院へ進学した。そのコロンビアにいたのはR.K.マートンで、1910年生まれの彼もロシア系ユダヤ人二世で名シュコルニク。ハーバードでの先生は、ロシ

  • 福武・日高の「正義の帝国」:戦後日本社会学の成立と終焉 | 群衆の居場所

    contractio
    contractio 2017/02/03
    「「帝国」に対抗し得る唯一の勢力としての、新明正道「辺境伯」の存在も忘れられない。皇帝福武の憧れの的であった新明は(新明「総合社会学」から福武「中枢科学」へ)、上手に福武・日高との距離をとり続けた」
  • 修業時代の解けない謎:馬場修一先生の思い出 | 群衆の居場所

    contractio
    contractio 2017/02/03
    「不思議なことに、見知らぬ外国人の子どもが口に含んだ水を私の顔に吹きかけて、私は我に返った。」 面白すぎる。
  • ニーチェの森に迷う:市野川容孝「反ニーチェ」を読む | 群衆の居場所

    『現代思想』10月号は「相模原殺傷事件特集」で、深刻で読み応えのあるものだったが、私はなかでも市野川容孝「反ニーチェ」に考えさせされた。ちょうど先便でチョムスキーのフーコー批判に触れたとき、その源泉はニーチェまで辿れるのではないかと記したが、それと響き合ったからだ。「私の社会学信条」に記したように、中学生の頃読んだニーチェの影響は、こんなにショボい私にさえあるので、あらためてそれを相対化する必要を痛感したのである。 この論文は事件の背景に、ニーチェ的思考というか物語が、私たちの社会意識に巣くっていることがあると指摘し、そのニーチェ的物語のなかではニーチェがニーチェを裏切っているところがあるのだから、ニーチェの言葉でニーチェを超えていくことができるし、それこそが今必要だと主張する。とくに最後の主張が、いわゆる思想家の多元性論(大文字の著者から小文字の著者へ)を克服しているので興味深かった。

    contractio
    contractio 2017/02/03
    いっちー伝説。「ある時私が借りた本に明らかに市野川さんのと分かる書き込みがあったので苦情を言うと、「俺の書き込みのおかげで読みやすくなっただろう」とニヤニヤされた。」
  • 「正義の帝国」の虜囚:吉田民人先生の思い出 | 群衆の居場所

    市野川容孝さんの『社会学』(岩波書店)の冒頭に、彼の師匠である吉田民人先生への熱烈なオマージュが記されている。市野川さんは吉田先生の学問領域を超えていく大きさを称賛していて、それはその通りで私も文句はないのだが、なぜそうだったかについては、ちょっと異論がある。それは再三述べている福武・日高の「正義の帝国」に関わっていると思うのだ。 私は吉田先生が嫌いだった(舩橋先生といい、好き嫌い多過ぎ!)。学部3年生の「社会学原論」(東大だけのヘンな講義)で、私は彼の話のどこが面白いのかさっぱり分からず、居眠りしていた。授業中学生に手を挙げさせるのが好きな吉田先生は、寝ていて手を挙げなかった私をにらんで、「僕の話が分からなかったのかな」と言われた。「つまらなくて寝ていました」とも言いにくい。また卒業式の謝恩会で、私が「僕は人の役に立つとうれしいので、そういう人生を歩みたい」と言ったら、吉田先生は怖い顔で

    contractio
    contractio 2017/02/03
    “社会学部に挫折すると、今度は学術会議で活躍され”/ここに謂う「正義」と「帝国」の意味をそれぞれ教えてくれ。
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