経済学研究・教育のツール集 広島大学経済学部 吹春俊隆 このホーム・ページは以下の目的のために作られました。 (1) 出版計画中の拙著「数値解析型経済分析の新展開」の本文や付録(削除された部分やMathematicaで書かれたプログラムの部分)を読者にインターネットを通じて提供する。 (2) 拙著「Mathematicaによる経済数学入門」(牧野書店)付録を読者に インターネットを通じて提供する。 (3) 広島県内のいくつかの高校で高校生向けに模擬授業を行ったが、その時用いたレジュメやデータを多くの方にインターネットを通じて提供する。 (4) 拙著「コア・テキスト経済学入門」(新世社)付録を読者に インターネットを通じて提供する。 (5) 雑誌に発表した論文や未公刊論文を読者に インターネットを通じて提供する。
広島大学大学教育研究センター「1995年度研究員集会:拡散する大学ーー何が大学を統合するか」 における講演(1995.11.11) 私に与えられたタイトルは「消失する中心ーー学問中心地としての大学の現状」ですが、 これはセンターの方から「こういうテーマで研究員集会を開催するから、何か考えて発表し なさい」ということで承ったものです。なるほど、啓発的なタイトルですので、それに従っ て少し考えてきました。また、私は広島にいるものですから、センターの方々とこれまでに 2度ほど議論の場をもって、今日お配りしたようなレジュメにまとめました。レジュメにし たがって、1、2、3、4、と大きく四つに分けて考えていきたいと思います。 1.「拡散」の諸要因--大学内外の環境変化 大学の沈滞--大学紛争の後遺症 1960年代の終わりから70年代の初めの大学紛争というものがあって、いろんなことが議 論されました。
科学の独立と科学者の誕生 英語のscientist(科学者)という言葉が創られたのは1830年代のことであった。すでにscienceという言葉はあったが、philosophyとほぼ同義語として用いられており、ともに広い意味での知的探求(哲学)とその成果としての知識を意味していた。したがって、自然を対象とした知的探求は哲学の一部としての自然哲学(natural philosophy)であり、例えば、ニュートン(1642-1727)は、自然哲学者(natural philosopher)と呼ばれたのである。しかし、19世紀になると、philosophy(哲学)から、自然を対象とし実験や観察を方法とする固有の学問分野としてのscience(科学)が独立し、科学を探究する専門家としての科学者が誕生したのである。 「科学の独立」と「科学者の誕生」は、教育・研究の場としての大学の発展拡大と時期を同じく
はじめに--客観主義 vs 相対主義 R・J・バーンスタインは、『科学・解釈学・実践--客観主義と相対主義を越えて』で、 哲学、倫理学、人類学、さらには社会学において今世紀になされてきた多くの論争に通底する ものとして「客観主義と相対主義の対立」があると指摘している(1)。バーンスタインが言 うところの「客観主義」とは、 不変にして非歴史的な母型ないし準拠枠といったものが存在し(あるいは存在せねばなら ず)、それを究極的なよりどころにして、合理性・知識・真理・実在・善・正義などの本性を 決定することができるとする、そうした基本的な確信……(2) を支えている考え方であり、一方「相対主義」とは、 合理性・真理・実在・正義・善・規範など、そのいずれであれ、これまで哲学者たちが最 も基本的なものと考えてきた概念をひとたび吟味しはじめると、そうした概念はすべて、つま るところ特定の概念図式・理論的
イアン・ハッキング『偶然を飼いならす』木鐸社,1999年5月,xii+354頁,4500円,ISBN4-8332-2274-4.(原著,Ian Hacking,The Taming of Chance,Cambridge University Press,1990). 20世紀の物理学は世界に対する概念を塗り替えた.量子力学を皮切りに「世界は決定論的なものでない」ことが発見されたのである.しかし,実はこの転換に先駆け,「この世界は確かに秩序だっているが普遍的な自然法則に従っているのではない」という考えが19世紀を通じて浸透していったことを見のがしてはならない.その「秩序」とは今日の我々が「統計学的法則」と呼ぶ類いのものであり,広く「偶然」(chance)の作用する現象が対象となる.すなわち,20世紀の発見以前に決定論は「偶然」により侵食されていたのだ.その緩やかな転換の背景には、人間や習
成定・佐野・塚原(共編著)『制度としての科学:科学の社会学(科学見直し叢書 2)』木鐸社、1989年. 「群盲象を撫ず」の弁--序にかえて 成定 薫 科学も科学者も真空の中に置かれているのではない。こんにち、科学研究は科学者集団(scientific community)による集団的営為として存在している。このことは、科学者の育成・誕生のプロセスを考えればよくわかる。科学に関心をもち、科学研究で身を立てようと決意した若者は、大学の理工学系学部や大学院でしかるべき訓練を受け、一定の資格を得て科学者集団の構成員となる。彼あるいは彼女は、この訓練の過程で、また科学者集団の中でのさまざまな経験を通じて、「科学的に重要な問題」とは何かを学ぶ。彼あるいは彼女は、その問題の中から自らの研究テーマを選定し、適正だとされている研究方法によってその解決につとめる。幸いにも期待通りの結果が得られれば(期待が裏切
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