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戦争に関するei-gataroのブックマーク (5)

  • 『この世界の片隅に』の敗戦の日描写の嘘っぽさの理由を坂口安吾が教えてくれた。 - 読む・考える・書く

    『この世界の片隅に』では、いわゆる「玉音放送」で天皇から臣民に対して帝国日の敗北が宣言されたあの日の様子を、次のように描いている。[1] すず以外の北條家の人々(やラジオを聞きに来た近所の人たち)は、実にあっさりと敗戦を受け入れて、まるで何事もなかったかのように日常へと戻っていく。 一方すずは天皇自身の言葉にも納得せず、憤然と外に出て、あの太極旗と慟哭のシーンへとつながっていく。 はっきり言って、すずの態度も、その他の人々のそれも、どちらも嘘くさい。 画像出典:[2] 実際のところ、職業軍人や特権階級ではない一般日人のあの日の心理はどのようなものだったのか。映画会社の嘱託という立場であの日を経験した坂口安吾が、『続堕落論』で次のように書いている。[3] 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日歴史の証するとこを見れば、常に天皇とはかかる

    『この世界の片隅に』の敗戦の日描写の嘘っぽさの理由を坂口安吾が教えてくれた。 - 読む・考える・書く
    ei-gataro
    ei-gataro 2020/11/15
    NHKの朝ドラ「エール」への批判と通じるものがある。
  • 「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺

    沖縄戦での久米島で、米軍から逃れて自死しようとして住民の呼び掛けで一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん=19日、東京都練馬区の自宅 【東京】沖縄戦で島における日軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。同じ久米島出身の政子さん(80)が住民虐殺の歴史を語り継ぐ活動を続けており、一郎さんも参加して語り始めた。紙に体験を語るのは初めてで「一番怖かったのは日兵だった」と振り返る。 沖縄島で捕らわれた仲村渠さんは1945年6月26日、米軍と共に久米島に上陸し、住民に投降を呼び掛けていた。日のポツダム宣言受諾後の8月18日、島にいた日軍の

    「戦争終わったよ」投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺
    ei-gataro
    ei-gataro 2019/06/24
    「一番怖かったのは日本兵だった」
  • 【読書感想】特攻―戦争と日本人 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    特攻――戦争と日人 (中公新書) 作者: 栗原俊雄出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2015/08/24メディア: 新書この商品を含むブログ (2件) を見る Kindle版もあります。 特攻―戦争と日人 特攻 ―戦争と日人 (中公新書) 作者: 栗原俊雄出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2016/02/12メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 内容(「BOOK」データベースより) 第2次世界大戦末期、追いつめられた日陸海軍は、爆弾もろとも敵艦船などに体当たりする特別攻撃=「特攻」を将兵に課した。当初は戦果を上げたが、米軍の迎撃態勢が整うと効果は低下。軍は特攻専用の航空機「桜花」、潜水艇「回天」なども投入する。だが大勢は挽回せず、敗戦までの1年弱の間に航空機だけでも4000人が犠牲となった。書は、日人特異の「戦法」の起源、実態、戦後の語られ方など

    【読書感想】特攻―戦争と日本人 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
    ei-gataro
    ei-gataro 2017/08/16
    これが「無駄死に」や「犬死に」でなくてなんだというのか。
  • 【終戦の日】「日本が失敗するパターン」とは 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く

    ハフポスト日版ニュースエディター 特集「#だからひとりが好き」ディレクター News Editor, HuffPost Japan

    【終戦の日】「日本が失敗するパターン」とは 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く
    ei-gataro
    ei-gataro 2017/08/16
    「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却し、曰く国際主義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくの如き雲をつかむような文字を列べたてて、…」まるで今の時代のことを言ってるような。
  • 「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    例年のウチの学校の東北ツアーのため、8月22日に村を出て、一昨日8日に戻りました。17日間村を空けたわけですが、ツアーそのものは11泊12日です。今年は予算の問題もあって、昨年まで行っていた国境の町丹東をやめて、ハルビン→長春→撫順→瀋陽という、一直線コースで移動は楽でした。その上に「高鉄」という新幹線が開通しているので、瀋陽−ハルビン間がなんと、2時間というスピードです(しかし高い。2等で5000円くらいで、一般庶民は乗れない)。最初に行った頃は、どこまで走っても車窓に延々と拡がるトウモロコシ畑を眺めながら、「あぁこれが赤い夕陽の満州か…」などと、満鉄職員だった父を持つ私には、感無量の思いもあったのですが、もはや昔日の感慨などあっさり吹き飛ばす猛スピードです。 毎年ほぼ同じコースを巡って12年目ですから、改めてご紹介するようなところもないのですが、ただ、リニューアルなった「侵華日軍第七三

    「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」 - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    ei-gataro
    ei-gataro 2015/10/09
    昔読んだ「悪魔の飽食」が脳裏によみがえる。
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