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ブックマーク / www.news-postseven.com (142)

  • 北方謙三氏に従いソープに行きHIV感染の男性「責任とって」|NEWSポストセブン

    かつて若者たちの生きる指標となったハードボイルド人生相談「試みの地平線」。作家・北方謙三氏の強烈なメッセージは、今も男性読者の心に深く刻まれている。63歳になった北方氏を、プロインタビュアー吉田豪氏が深彫りした。 * * * ――抗議をそのまま載せてるのも画期的でしたよ。 北方:でも、「俺はおめえらより金も持ってるし有名だし、そんなに容姿も衰えてないし、女にモテるし、クルーザーも持ってるしイタリア車も持ってる。てめえら、なにも持ってねえだろ。ただひとつ俺が持ってないものがある。若さだ」って言ったときは相当反発来るかと思ったら、あんまり来なかった。そうやって反発買おうと思うと来ないのよ。逆に、反発が来ないと思ったところに来たりしてさ。「ソープに行けって言われたんでソープに行ったらエイズにかかりました。責任取ってくれますか?」って相談がきて、その回答をみんな注目してたらしいんだよ。で、俺は「そ

    北方謙三氏に従いソープに行きHIV感染の男性「責任とって」|NEWSポストセブン
    houyhnhm
    houyhnhm 2011/05/12
    「心は半ズボン」
  • 生娘よりも性体験豊富な娘が嫁として重宝された時代もあった|NEWSポストセブン

    大正時代まで日には「夜這い」の文化があった。夜這いは、男が仕掛けるパターンだけではなく、女性が行なうこともあった。民俗学者の竹田旦氏は『兄弟分の民俗』で、愛知県知多半島にこんな俗謡が存在していたことを紹介している。 「半田・亀崎、女のよばい、男極楽、寝て待ちる」 同様のパターンは相模や信州、丹後でもみられる。森栗茂一氏は『夜這いと近代買春』で、熊県水俣近辺の実態を書いた。ちなみに当地は、「佐敷、水俣、女の夜這い」といわれるほどだった。森栗氏は水俣での女の夜這いを肯定する証言を、『聞書水俣民衆史』(岡達明、松崎次夫編)から抜粋している。要約してみよう。 「村には四つの男宿と三つの女宿があり、年頃の若者が男女別に寝泊まりしていた。しかし、約束すれば男が女宿へ行くばかりか、女子も男のところへ泊まりに行く。朝起きてみれば、あっちの女宿から青年共が起きて来る、こっちの男宿から女子共が起きてくる

    生娘よりも性体験豊富な娘が嫁として重宝された時代もあった|NEWSポストセブン