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ブックマーク / www.city.kashiwara.osaka.jp (2)

  • 1.大和川の歴史 | 大阪府柏原市

    大和川のおいたち はるかな昔から大和川は洪水を繰り返し、とても長い時間をかけて大阪平野がつくられてきました。 2万年前<海がない> 今から2万年くらい前、氷河期の終わり頃で、とても寒く氷が多かったので、海面はかなり低くなっていました。大阪湾や瀬戸内海にも海はなく、大和川や淀川の水を集めた川が、大阪湾から太平洋に流れていたようです。 約5500年前<河内湾ができる> 氷河期の後、少しずつ気温が上昇、氷が溶けて海面も高くなり、5500年前ごろには大阪平野に海ができました。今の東大阪市や八尾市まで海が広がっていたのです。これを「河内湾」と呼んでいます。今の大阪市の中心部がある上町台地が、半島のように北へのびていました。 約2000年前<湾が少しずつ埋まって河内湖に> また気温が下がって海面が低くなり、河内湾には海水が入らなくなりました。そのうえ大和川や淀川がたくさんの土や砂を運んでくるため、何度

    khtokage
    khtokage 2021/04/21
    おおお、めっちゃ詳しい。素晴らしい。
  • 知恵と技術~大和川のつけかえ工事7~ | 大阪府柏原市

    浅香の千両曲がり 柏原からまっすぐ西へと流れているように思う大和川ですが、地図や航空写真などでよく見ると、かなり曲がっていることがわかります。とりわけ、JR阪和線の浅香駅付近では、南へと大きく湾曲しています。この湾曲部分は、「浅香(あさか)の千両曲がり」と呼ばれています。 なぜ千両曲がりと呼ばれるのでしょう。地元の人が、幕府の役人に千両払って自分たちの土地を大和川の計画からはずしてもらったからだといいます。あるいは、川を蛇行させたために千両も余分に費用がかかってしまった。それは狐たちが新川の工事に抗議したからだ、などという伝説も残っています。しかし、これらは不自然に曲がる大和川の流れを見た後の時代の人たちがつくった話です。 では、なぜ浅香付近で大和川は大きく湾曲しているのでしょう。それは、大和川を通すためには、この付近で上町台地を掘り抜かなければならなかったことが原因です。上町台地の地盤は

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