人生と戦争に関するsatoshiqueのブックマーク (15)

  • 日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」 - 琉球新報デジタル

    飯田さん 1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり料強奪をしたりする事態を我慢できず、別の日兵がその日兵を殺害する出来事があった。当時、沖縄で戦闘に参加した元日兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。 45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日海軍兵や周辺住民から「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。 ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹による「悪行を目

    日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」 - 琉球新報デジタル
  • クリストファー・ノーラン×山崎貴の対談映像解禁、渡辺謙ら「オッペンハイマー」にコメント(動画あり)

    一方でノーランは「開発を進めていく先に待ち受けている恐ろしさの片鱗が既に見えている。しかし時代の状況ゆえに行動するしかなかった。その緊張感を観客のみなさんに体験してほしいと思いました」と明かす。「日が返答の映画を作らねばならない」と山崎が口にすると、ノーランが「アンサー映画を作るのであれば山崎監督以上にふさわしい監督は思い浮かびません。ぜひ実現していただけたらと思います。これからも山崎監督の作品を楽しみにしています」と笑顔で応える場面も。そして「ゴジラ-1.0」についてノーランは「とても刺激的で細かいこだわりが感じられ、観るものを引き込む素晴らしい映画だと思いました」と評する。今まで多くの映画をIMAX用の70mmフィルムで撮影してきたことについて語る様子も収められた。 あわせて「オッペンハイマー」を鑑賞した著名人22名によるコメントも解禁。ノーランの監督作「バットマン ビギンズ」「イン

    クリストファー・ノーラン×山崎貴の対談映像解禁、渡辺謙ら「オッペンハイマー」にコメント(動画あり)
  • 坂本龍一はなぜ社会への発信を続けたのか。映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』が伝える教授の言葉とは | AERA dot. (アエラドット)

    映画『坂龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』より (c)TBS なぜ、社会への発信を強めていったのか――。この20年余りの坂龍一の活動をまとめたドキュメンタリー映画が公開される。 【写真】坂龍一さんの別カットはこちら * * * 音楽家・坂龍一がこの世を去り、あっという間に1年が過ぎた。 Yellow Magic Orchestra(YMO)での世界的ブレイク、ソロアーティストとしての活動やプロデュースワーク、映画ラストエンペラー」の劇伴で日人初のアカデミー賞・作曲賞を受賞するなど、その功績は今更言うまでもない。“教授”の音楽はこれからも世界中のリスナーを魅了し、数多くのアーティストに影響を与え続けることになるだろう。 坂は精力的な音楽活動を継続する一方、社会的な問題にもコミットし続けた。2012年の原発反対派の集会に参加した際の「たかが電気のために、この

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  • アウシュビッツ生存者の子がパレスチナのために声をあげるわけ | NHK

    「収容所から解放されたとき、父の体重は32キロでした」 両親がナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」を生き抜いたという、77歳のユダヤ人男性は、50年以上にわたってパレスチナの人たちのために声を上げ続けています。 その原点は建国まもないイスラエルで10歳の時に経験した、ある出来事にありました。 (ロンドン支局記者 松崎 浩子) アウシュビッツから生還した両親 イスラエル出身のユダヤ人、ハイム・ブレシートさん(77)。 イギリスでパレスチナ人との連帯を掲げるユダヤ人団体の共同代表を務めています。 ハイム・ブレシートさん ブレシートさんの両親は、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」の生き残りでした。 600万人を超えるユダヤ人が組織的に殺害され、世界史上、例のない大虐殺とされるホロコースト。ポーランドに住んでいたブレシートさんの両親も1944年、アウシュビッツ

    アウシュビッツ生存者の子がパレスチナのために声をあげるわけ | NHK
  • 会社を辞めて、マンションの頭金を注ぎ込んで…人生崖っぷちになってまで、ウクライナアニメ映画を日本で上映した女性(27)の“ヤバすぎる熱意” | 文春オンライン

    最初はわず嫌いしていた作品をほぼ全財産で買い付け ――『ストールンプリンセス』と出合ったときのことを教えていただけますか? 粉川なつみ(以下、粉川) 初めて作品を知ったのは2021年7月、8月くらいでした。そのときは「王道のストーリーだなー」「既視感のあるビジュアルだなー」と感じて、ちゃんと観ていなかったんです。 『ストールンプリンセス :キーウの王女とルスラン』ポスター ですが、それから半年後くらいにウクライナ侵攻が始まって、私にもなにかできることはないかと焦燥して、製作会社の問い合わせフォームへ「大丈夫?」と連絡したことから、すべてが始まりました。 改めて作品を観てみたんです。そうしたら、わず嫌いしていただけで、アニメーションのクオリティの高さに感動して「これは!」と、当時勤めていた映画配給会社で取り扱いたいと検討したんですが、スケジュールの都合などで難しく……。もともと独立志向だ

    会社を辞めて、マンションの頭金を注ぎ込んで…人生崖っぷちになってまで、ウクライナアニメ映画を日本で上映した女性(27)の“ヤバすぎる熱意” | 文春オンライン
    satoshique
    satoshique 2023/11/29
    この話は知っていた。NHKBS国際報道は地上波とは別の景色だよ。https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2023/08/01/33180.html
  • 8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)

    104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球までった 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのままべた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球までらいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁

    8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)
  • 「やばいよ、やばいよ」モルドバの首相が会いに来た、私に | NHK | News Up

    「やばいよ、やばいよ」 最初に話が来た時の私の気持ちは、リアクション芸人のそれである。 首相が、私に会いに来るというのだ。 それも世界で注目されている国の首相だ。 何で私に?Why me? でもやるしかない、覚悟を決めた。 (ネットワーク報道部 野田麻里子) その国は、小さな国で人口およそ260万人、大きさは九州くらいである。 経済状況もかんばしくない。ヨーロッパの中でも特に厳しいと言われている。 国名を「モルドバ共和国」といい、この小さな国を世界的に有名にしたのは理不尽なできごとからだった。 それがロシアウクライナ侵攻。 モルドバ共和国はウクライナの、西隣に位置している。 それ故に侵攻の影響をすぐ受け、ウクライナから避難する人が一時、30万人近くになった。人口の10分の1以上だ。 比較するのはとても変だが、日に1200万以上の人たちが避難してきたような計算だ。 そうした人たちをモルド

    「やばいよ、やばいよ」モルドバの首相が会いに来た、私に | NHK | News Up
    satoshique
    satoshique 2022/10/29
    政治部や国際部ではないからこそ引き出せた生身の言葉。
  • 大声で、泣いちゃった|ユーリィ・イズムィコ

    Su-25攻撃機が低空で激しい機動を行いながら飛び去っていった。 故郷の千葉県が戦場になったのだ。 そういう夢を見た。『この世界の片隅に』の片渕監督と会談をして、そこで「軍都としての千葉県」といった話をした夜だったから、何故こういう夢になったかは明らかだ。 しかし、悲しかった。 僕は少し込み入った狭い坂道の途中にある駐車場まで車を取りに行って、その途中で自分の生まれて生きた千葉県の空をロシアの攻撃機が飛んでいたから、コンクリートの壁に額をついてオイオイ泣いた。 案外とこういうことかもしれなくて、人間は「県」とか「市」とかまで降りて来ないと戦の惨禍見たいのが実感できないのかもしれないですね。 それにしても僕は故郷を憎んでいるようで、やっぱり戦場になったら泣くんだなぁ。

    大声で、泣いちゃった|ユーリィ・イズムィコ
  • 「島唄」は、“表向きは幼馴染の男女の別れ”の歌。その一語一語の裏に込められた真実とは? 宮沢和史さんインタビュー | ダ・ヴィンチWeb

    2022年5月15日、沖縄が日復帰50年を迎えた。大きな節目の年に、「島唄」の大ヒット以来30年間、沖縄と深く関わり続けてきたミュージシャン、元THE BOOMのボーカル・宮沢和史さんが新刊『沖縄のことを聞かせてください』(双葉社)を上梓した。沖縄について、「島唄」について、じっくりとお話をうかがった。 (取材・文=荒井理恵 撮影=中 惠美子) 誰もが「それぞれの沖縄」を持っている 『沖縄のことを聞かせてください』(宮沢和史/双葉社) ――まずはこのを書かれたきっかけについて教えてください。 宮沢和史さん(以下、宮沢) 今年は沖縄にとって復帰50年というとても大切な年で、個人的にはTHE BOOMの「島唄」を発表して30年の年でもあります。「島唄」はずっと歌い続けてきた現役の曲なので、振り返ることもなく前に進んでいたんですが、この30年、僕自身も沖縄とつかず離れずやってきたわけで、そろ

    「島唄」は、“表向きは幼馴染の男女の別れ”の歌。その一語一語の裏に込められた真実とは? 宮沢和史さんインタビュー | ダ・ヴィンチWeb
    satoshique
    satoshique 2022/05/31
    “ヤマトの人間である自分がここに琉球音階を使うのはありえないと思いましたし、ここでは三線も弾いていません”
  • 父から渡されたバトン ジョン・カビラの「覚悟」とは(琉球新報)

    「Believe in love and peace!」 金曜の昼前。ラジオからおなじみの声が流れてくる。 J-WAVEで1988年の開局時から看板ナビゲーターとして活躍するジョン・カビラだ。 今年7月、優秀な放送番組や出演者をたたえる「ギャラクシー賞」でカビラがナビゲーターを務めた特別番組がラジオ部門大賞を受賞した。 内容は、戦後の沖縄でアナウンサー第1号となった父・川平朝清(かびら・ちょうせい)さんへのインタビュー。 親子で向き合った時間を振り返り、カビラはこう言う。 「『数奇な人生』という表現が軽いくらいの父の人生。個人史をひもとくことで、おのずと時代背景が聴こえてくる」 国破れて山河なし ジョン・カビラは3兄弟の長男で、実業家として活躍する次男の謙慈は米国在住、末の弟は言わずと知れた俳優の川平慈英だ。 父の朝清さんによれば「ジョンは小さい頃から穏やかで礼儀正しい、謙慈は自己主張がで

    父から渡されたバトン ジョン・カビラの「覚悟」とは(琉球新報)
  • あさま山荘事件 “獄中”50年 無期懲役囚を揺さぶった裁判長の言葉 - クローズアップ現代

    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pVB8n9G9Eg/ 1979年3月、日中の注目が法廷に集まった。 社会を震撼させた「あさま山荘事件」の実行犯である「連合赤軍」元幹部に、初めて判決が宣告されるからだ。 元幹部・吉野雅邦(現在73歳)は、同志14人の命を奪った“リンチ殺人”に加担したなどとして、検察官から死刑を求刑されていた。犠牲者の中には、自らの子どもを身ごもったの金子みちよさん(享年23)も含まれた。 その日、裁判長は3時間近くにわたって、とつとつと判決理由を説明した上で、最後に主文を告げた。 結論は「無期懲役」。死刑ではなかった。そして、裁判長は吉野に直接語りかけた。 「被告人は生き続けて、その全存在をかけて罪を償ってほしい」 事件から50年、生きて償うことを課した裁判長の言葉を吉野は

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  • 石戸諭さんに聞く百田尚樹のすごさと日本の保守の言論空間の成り立ち|たかまつなな(時事YouTuber)

    「百田尚樹」という名前を聞いて、どんなイメージを抱きますか。 「『永遠の0』や『海賊とよばれた男』などの小説を読んで感動した」という人もいるでしょう。一方で「ネットでの過激な発言は許せない」「歴史観には同意できない」と批判的に見る人がいるのも事実です。彼の評価はなぜここまで分かれるのか。また、多くの批判があるのにベストセラーを連発できるのはなぜなのか。 この不思議な「現象」の正体を探ろうと挑んだのが、前半のインタビューで「夜の街」と名指しされた新宿・歌舞伎町の感染症対策に迫ったノンフィクションライターの石戸諭(いしど・さとる)さんです。昨年話題となった「ニューズウィーク日版」の特集「百田尚樹現象」に、大幅な加筆をした『ルポ 百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)を刊行しました。5時間半にわたる百田氏への独占インタビューや関係者の証言などから「百田尚樹現象」の質に迫っています

    石戸諭さんに聞く百田尚樹のすごさと日本の保守の言論空間の成り立ち|たかまつなな(時事YouTuber)
    satoshique
    satoshique 2020/09/24
    “『日本国紀』と一緒に『ファクトフルネス』を買っていたりする”
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
  • どの国からも承認されていない国家「アジャリア」に行く

    1982年生まれ。ウィーンに住んでいるのに、わざわざパレスチナやらトルクメニスタンやらに出かけます。 岡田悠さんと「旅のラジオ」更新中。 前の記事:ジョージアの廃墟の町で「スターリン温泉」に入る > 個人サイト ウィーンと私と、旅する子どもたち (上記9枚の写真は、アジャリア観光資源開発庁からの提供) アジャリア『自治』共和国 「アジャリアは、通貨も言語もジョージアと同じです」と、政府職員が私に応えた。 「それって、ほんとうに国と言えるんですか?」 すこし意地悪な質問をぶつけてみると、 「まあ、だから『自治』共和国と名乗っているのです」 どこか飄然とした回答なのであった。 アジャリアの首都バトゥミは、ジョージア国旗の左下の「赤丸」部分(出所:トビリシの古屋で買った歴史の教科書) 街中でアジャリア国旗を見かけたが(写真奥)、数としてはジョージア国旗の方が多かった(写真手前) トルコと隣り合

    どの国からも承認されていない国家「アジャリア」に行く
    satoshique
    satoshique 2019/12/10
    余談の、アメリカ人とイラン人の出会いの話がしみじみいいな。
  • 「一度全てを失って、半分はもう死んだ身」――成功と挫折を経たSUGIZOが今、ボランティアに励む理由 - Yahoo!ニュース

    この秋、SUGIZOは中東を旅した。9月下旬から約2週間かけてイラクとヨルダンの難民キャンプを回り、自身のソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET(C.D.Q.)」や難民キャンプ専用3人組ユニット「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」によるライブを通して、難民たちと交流した。 「お客さんのなかには、ステージに上がってきて、僕の横で写真を撮ろうとする若い子もいました。彼らにはまだエンターテインメントを楽しむ上でのモラルがない。でも、かつて若者が革命を求めていたような60年代から70年代のロックって、ああいう制御不能のエネルギーで盛り上がっていたんだと思います」

    「一度全てを失って、半分はもう死んだ身」――成功と挫折を経たSUGIZOが今、ボランティアに励む理由 - Yahoo!ニュース
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