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2月23日に62歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。昨年には愛娘・愛子さまが成人し、3月には初めての記者会見を予定しているなど、天皇家の存在感は日々高まっている。 新聞などの世論調査では、愛子さまを次期天皇にと期待する人の割合が8割以上にのぼるが、女性天皇・女系天皇についての法的な議論が進んでいる様子はない。なぜ国民の多くが“愛子天皇”を支持しても、日本の制度は変わらないのか。『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)などの著書があるつげのり子氏に話を聞いた。 ◆ 昨年12月1日、愛子さまが20歳のお誕生日を迎えられました。元日の「新年祝賀の儀」で初の公務にも臨まれ、諸外国の大使などに堂々と対応されました。 その凛々しい姿に、「愛子さまを天皇に」と推す世論も強まっているようです。2021年4月の共同通信による意識調査では「女性天皇」に賛成する回答が87%を占めたと報じられました。この高い支持
法廷闘争の末、全国約8万の神社を束ねる“総本山”が断罪された――。 内部告発を理由に懲戒解雇されたのは不当だとして、宗教法人「神社本庁」(渋谷区)の元部長(61)らが処分の無効を訴えた訴訟。東京地裁は3月18日、「懲戒権の行使に客観的な合理性はなく、社会通念上相当性を欠く」と原告の訴えを認める判決を言い渡した。 「神社本庁が15年10月に1億8400万円で売却した職員寮が即日転売され、後に3億円以上に値上がりした疑惑が発端でした。元部長らは同様の案件が複数あり、売却先が同じ不動産業者で随意契約だったことを問題視。『不当に安く売却したのは背任行為に当たる』などとした内部告発の文書を配布したのです。これに対して神社本庁は17年8月、元部長を懲戒解雇し、裁判になっていました」(神社本庁関係者) 元部長(左)は会見で「主張がほぼ全面的に認められた」 ©共同通信社 内部告発で「疑惑の張本人」と名指し
日本の「特殊な人権」 日本人に人権意識は根付いているようで、どうも違うと感じることがある。一方では社会の中に平等意識が強く、自由と平等が確保されているように見える。教育機関や社会でも性別やハンディキャップに関係なく均等な機会の確保が求められている。 他方で、民意を無視した政治があり、力によって一方的に現状が変更されても、国民は欧米のような抵抗運動を起こさない。2015年政府は集団的自衛権の行使をめぐる平和安全法制を、憲法審査会に招致した憲法学者が全員「違憲」としたにもかかわらず、国民の反対を押し切って成立させた。 国民は政府が強引なやり方を行使しても、一旦決められたら反対運動を起こさない。人権は守られているようでありながら、欧米とは意識が違っている。どこが違うのか、なぜ違うのかはっきりしない。これが日本の不思議だ。 実は、「人権」は万国共通の理念と思われがちだが、日本には欧米と異なる人権理
政府は22日から、天皇の「即位の礼」関係の諸儀式を行います。政府は新天皇の即位を「国民こぞって祝う」として22日を休日にしました。さらにこれと一体のものとして11月14日には、皇室祭祀(さいし)である大嘗祭(だいじょうさい)を、27億円もの公費を投じて行おうとしています。一連の儀式には、日本国憲法の国民主権原理、政教分離の原則に抵触する問題点があります。(竹腰将弘) 戦前のままの儀式 即位の礼は5月に即位した天皇が、それから一定の期間をおいて、内外に向けて即位を宣言し、大がかりなお披露目をするというものです。(表1) 「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」(台風の甚大な被害を考慮して延期)「饗宴の儀」は憲法が定める天皇の行為である「国事行為」とされました。 即位を天皇家の祖先神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)やその他の神々に奉告(ほうこく=神に告げること)するという明らかな宗教行事であ
実は俺「騎士」なんだーーウィーンに住んでいても、そんなことを友人に打ち明けられることはめったにありません。聞いてみると彼らが「君主」と仰ぐのは、かつての帝国を統治したハプスブルク家の末えい、現在の当主だといいます。どういうことなのでしょうか。そして騎士団の目指すものは。(ウィーン支局長 小原健右) かつてヨーロッパで隆盛を誇ったハプスブルク家の帝都ウィーン。豪華な宮殿や重厚な教会はその栄華を今に伝えています。 そのウィーンをことし4月、黒いマントを羽織った男たち500人が行進しました。彼らが向かったのは、街の中心部にある教会、シュテファン大聖堂です。 大聖堂ではある儀式が執り行われました。中心にいた人物の名はカール・ハプスブルク=ロートリンゲン。あのハプスブルク家の当主その人です。儀式はハプスブルク家の当主に忠誠を誓い、騎士団の一員として承認を受けるためのものでした。当主の前でひざまづく彼
神武陵にされる前のミサンザイ 「文久の修築」による変貌 改変が繰り返される「神武陵」 広大な森を新たに造成 演出される「神秘」「荘厳」 幕末の下級武士たちがでっち上げたペテン 神武陵にされる前のミサンザイ 式年祭についての記事でも書いたように、現在の「神武天皇陵」は、幕末の文久2(1862)年、恐らく神武の埋葬地ではない「ミサンザイ」に決定された。その後、明治から昭和にかけて、このミサンザイは巨大で荘厳な「天皇陵」に作り変えられていくことになる。 まず、この地が神武陵に比定される前はどうだったか。「文久の修築」前の状態を示す絵図が残っている[1]。 当時のミサンザイは、田圃の中の小さな塚に過ぎない。そこには榎一本と茨のような灌木が一株生えていた[2]。ちなみに、旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない[3]、という。 「文久の修築
「神道」という文字はどう発音されてきたのでしょうか、これがこの本の最初の問いです。 ・「神道」の語はもとは中国で用いられていたのが、そのまま古代日本に導入されたもので、その読みも当初は濁音で「ジンドウ」であった。 ・その意味するところは、「仏教下の神々をさす仏教語」である。 ・この「神道(ジンドウ)」が室町期、14世紀ごろの日本で、清音表記による「シントウ」へと転換したのであって、それは「神」の語の集合名詞から抽象名詞への転換にともなうものであったと考えられる。 これらを明らかにしたのはノルウェー・オスロ大学のマーク・テーウンでした。彼は「神道(シントウ)」は「自然発生的な日本固有の民族的宗教」と考えられてきた(いる?)常識の誤りを指摘したのです。 テーウンが提起した「神道」の読みや語義の問題を踏まえて、日本の宗教全体のなかで神道がどのような位置を占め、どのような役割を担わされたかを追求し
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