世界に衝撃を与えた今月7日のイスラム組織ハマスによるイスラエルへの大規模攻撃。イスラエル軍はパレスチナ・ガザ地区への空爆を強め、ハマス側もイスラエルに対し多数のロケット弾を発射。双方の死者は増え続けています。 いったいなぜ、イスラエルとパレスチナは凄惨(せいさん)な対立の歴史を繰り返してきたのか。エルサレムに駐在するなど、この問題を取材し続けてきた国際部の鴨志田郷デスクがわかりやすく解説します。 この記事はNHKのWEBサイト「大学生とつくる就活応援ニュースゼミ」の中で2021年に公開した「1からわかる!パレスチナ(1)~(3)」をもとに制作しました。 (国際部デスク 鴨志田 郷) パレスチナ問題ってなに? イスラエルとパレスチナとは? 昔から、地中海の一番、東の沿岸にある地域のことを「パレスチナ」と呼んでいました。南にエジプト、東にヨルダンがあって、北にはシリアやレバノンがある場所です。
104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球まで食った 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日本に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「食い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのまま食べた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球まで食らいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁
どうも。 なんか日本で話題になってましたね。 このブログでも7月20日の週あたりから報じていました「バーベンハイマー」。「バービー」と「オッペンハイマー」、この2つの批評的評価の高い映画で、アヴェンジャーズの「エンドゲーム」以来の興行的大成功を得たという話。続編映画しか当たらないハリウッドの状況に一石を投じるすごくポジティヴなものとして世界の映画ファンの間ではかなり好意的な感じで受け止められてました。 ところが こうした原爆を茶化しているのかと思えるミームが出回りまして、これに対してワーナーの「バービー」の公式が「忘れられない夏になる」、あるいはキノコ雲を髪型にして「いかしたスタイリスト」なるレスをやっちゃったんですね。 これが日本人の逆鱗に触れて猛抗議が起きまして、「バービー」の公式が日本人の投稿で荒れまして、日本の公式、さらにアメリカのワーナー本社が謝罪するという事態に出て、 こういう
「Believe in love and peace!」 金曜の昼前。ラジオからおなじみの声が流れてくる。 J-WAVEで1988年の開局時から看板ナビゲーターとして活躍するジョン・カビラだ。 今年7月、優秀な放送番組や出演者をたたえる「ギャラクシー賞」でカビラがナビゲーターを務めた特別番組がラジオ部門大賞を受賞した。 内容は、戦後の沖縄でアナウンサー第1号となった父・川平朝清(かびら・ちょうせい)さんへのインタビュー。 親子で向き合った時間を振り返り、カビラはこう言う。 「『数奇な人生』という表現が軽いくらいの父の人生。個人史をひもとくことで、おのずと時代背景が聴こえてくる」 国破れて山河なし ジョン・カビラは3兄弟の長男で、実業家として活躍する次男の謙慈は米国在住、末の弟は言わずと知れた俳優の川平慈英だ。 父の朝清さんによれば「ジョンは小さい頃から穏やかで礼儀正しい、謙慈は自己主張がで
こんにちは、はじめまして。中東イスラム研究をしている飯山陽と申します。 毎日新聞の「中山泰秀副防衛相のツイッター『炎上』 中東衝突めぐる投稿で」というタイトルの記事を読みました。 僭越ながら申し上げます。 中山副防衛相の発言されたことは、実に合理的であり、正しいと思います。 なぜなら中山副防衛相は紛争当事者について、一方はイスラエルという「国」であり、もう一方はハマスという「テロ組織」であると正しく認識してらっしゃる。そしてイスラエルには国民が存在する以上、当然その国民と国土を防衛する自衛権がある、という国際法上の当然の権利に立脚してらっしゃる。だから、正しいと申し上げたのです。 しかし日本のメディアや言論の場で、このような主張を目にすることはほとんどありません。 なぜならメディアや中東業界、知識人の中では、パレスチナ問題をイスラエルという悪の帝国主義抑圧国家と、パレスチナという抑圧された
突然ですが、モアイ像で知られるイースター島が日本の領土になる可能性があったことをご存じですか。1937年、チリの日本大使館から本国に送られた公電、外交文書が伝える歴史的事実です。 こうした事実は、外交文書が公開されなければ埋もれていたかもしれません。しかし、外交文書はすべてが明らかにされるわけではなく、「極秘」や「秘」といった機密指定で厚いベールに包まれている一面もあります。財務省による決裁文書の改ざんなどで公文書の管理のあり方が問われていますが、外交の分野では、文書の公開の仕方ひとつで歴史が変わりかねない、そんな大きな影響があることが見えてきました。 (政治部 外務省担当記者・辻浩平) イースター島、買いませんか? モアイ像で知られる南米チリのイースター島。世界遺産で知られるこの島が、日本に売却されようとしていたのです。時は1930年代、売却しようとしていたのは、当時のチリ政府です。軍艦
・「負けたけど勝ったんだ論」とは何か 8月15日。72年目の敗戦の日である。戦後の右派、保守派を「支える」あの戦争に対する戦争観の主流に「負けたけど勝ったんだ論」というのがある。これは私が勝手に名付けたものだが、要するにこの「論」とは次のようなものだ。 「太平洋戦争(右派は大東亜戦争と呼ぶ)は、軍事的にはアメリカに敗北した。が、アジア解放という戦争大義は正しいものであり、実際に戦後、欧米の植民地であったアジア各国の独立の切っ掛けを作ったのは日本だったのである。よって日本は戦争には敗れたが、結果的には戦争目的を達成したのだから、これは戦争に勝利したと同じなのである」 というものである。繰り返すように私はこれを「負けたけど勝ったんだ論」と呼ぶ。この理屈は、90年代後半に大ベストセラーになった小林よしのり氏の『戦争論』にも通底して色濃く反映され、その後のネット右翼の世界観にも大きな影響を与えてい
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