前回、愛国心について「上から押し付けても意味がない」と書きましたが、一方で下から沸いてくる「愛国心」ってのはどうなってるんでしょう。先日の議論の中では、ワールドカップの熱狂振りがその例に出されていました。このことについては四年前、香山リカが「ぷちナショナリズム症候群」で語っていましたが、結局彼女は心理学の知識を応用しつつ、若者達の「歴史性」の乖離に着地しています。 非常に面白い本なのですが、歴史性の乖離だけでは、ナショナリズムに進む「可能性」しか開けないような気がします。歴史性が欠如して、安易なナショナリズムに走る道は開けた。しかし道が開けたからと言って、必ずしもその方向に走り出すとは限らない。何かモチベーションというか、走り出すための「蓋然性」みたいなものが必要ではないでしょうか。 先日の議論の場では、他の人と一緒にTV等でワールドカップを見た理由として挙げられたのが「一緒に騒ぎたい」と