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*p_sに関するsetofuumiのブックマーク (8)

  • 適応メモ(適応的引きこもりとかその辺) - シロクマの屑籠

    うつ病になったほうが適応を維持しやすい状況」において、人間はautomaticにうつ病になるorうつ病と同じ状態を呈し得る、という事実は、古くからそれなりに知られていることだったと思う。例えば「神経症性抑うつ」「退却うつ病」などと表現されるような病態は、適応促進的な(例えばビクトリア朝イギリスの婦人達のヒステリー発作のような)神経症症状と同様、個人の適応を歪めつつも促進させる。神経症圏に含まれる病態の少なからぬ割合は、意志や理性に拠らずに発動される適応促進的な(あるいは疾病利得が期待される、と表現したほうがいいのかな)振る舞いだってことは、多分そっちの人は大体わかってることだと思う。もちろん、その適応促進的な病態の多くは、短期的にしか適応を促進させないにしても。 こうしたautomaticかつ「病気によって適応が妨げられるような装いになる」状態が個人の適応をむしろ促進する(または防備する

    適応メモ(適応的引きこもりとかその辺) - シロクマの屑籠
  • 対象ブロガーのベタ視点を徹底的に探る作業(メタ・ネタという防衛も観察対象) - シロクマの屑籠

    自分の心情や葛藤や惨めさや喜びや優越感に直球勝負なベタ視点。だけど、人間が何かを喋ったり書いたりする時、感情や動機が純粋にexpressされることはそう多くはない。特にblog上なんかだと、メタ視点を展開したり、ネタとして娯楽化する手法が頻繁に混入されているわけだし、一般に、文章が完全なるベタ視点orメタ視点orネタ視点だったりすることはあり得ない。程度や用途に応じてこれらの微妙な混交がみられるのが常だとは思う。 とはいえ、実際に個々の人間の感情や動機(恥ずかしいものやみっともないものも含む)を最も反映しやすい部分はベタ視点の成分に違いないわけで、私はそれぞれのテキストからベタ視点を抽出して、どのような心的背景をもとにテキストが制作されたかを忖度するのが大好きだったりする。私達が『客観的なコンピュータ』たり得ない以上、完全なるメタ視点やネタ視点は滅多に存立しないので、ベタ視点の枝は殆ど必ず

    対象ブロガーのベタ視点を徹底的に探る作業(メタ・ネタという防衛も観察対象) - シロクマの屑籠
  • 2006-04-28

    【!警告!】このテキストには、狂気が含まれています【!警告!】 うちの常連さん以外は、絶対読まないほうがいいと思います。物見遊山で読む分にはいいですけどね。 指摘されたくなかったけど指摘された、『あらゆる事象をコミュニケーション能力という概念の枠内で処理』という手法 http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20060424/p1 厄介なテキストがアップされた。それも、うちへのリンクもついているからもう逃げられない。それじゃそろそろ、私の狂気を開陳することにしますか。 私が読んだ限りでは、このリンク先のテキストは、『コミュニケーション能力のニュアンスが特定の善き概念(愛、思いやり、共感etc)に限定されることと、“非モテ”がコミュニケーション能力という言葉によって蹂躙される現在の、関連』に注目していると思う。確かに「コミュニケーションは善であり、その能力もまた善であ

    2006-04-28
  • 2006-04-22

    Œ»�ó‚ÌŠÏŽ@‚P�F�g”ñƒ‚ƒe�h�gƒ‚ƒe‚È‚¢’j�h‚ðŽ©�Ì‚·‚é�l’B‚É‚Ý‚ç‚ê‚鋤’Ê“_(”Ä“K�Š‘®) 20代〜30代男性、オタクの東浩紀さん的分類でいえば第三世代以降のオタク達に該当する年代においては、他者や異文化ニッチに対する能動的働きかけの乏しい諸群がみられる。このテキストでは、そうした諸群の一例として、“自称非モテ”“自称モテない男”を挙げてみる。 この、ネット上しばしば発見できる彼らは、 1.他者は他者でも異性に対して能動的働きかけを持たないor/and持てない 2.あらゆる考察は、自分が何かする選ぶではなく、異性が何かする選ぶという視点 3.モテる男が優秀でモテない男が劣等という価値観から脱却することもなく、自らを劣等と位置づけ葛藤しやすい状況が続いている という特徴を有している。モテない男達は、自分の審美性、趣味、社会的ポ

    2006-04-22
  • 2006-04-21

    最後はこちら。 はてな 私はリンク先のテキストの見解を、否定せざるを得ない。DQNに身体を許す女性達をもって、「彼女達は男を選んでいない」と考えるのは、今少し軽率ではないだろうか。男性を評価する尺度なり基準なりが女性達に無いとすれば、もうちょっと(能動性が欠如した)オタク達も選ばれて良いだろうし、『電車男』がシンデレラストーリーとして消費される可能性も生まれなかった筈だ。また、DQNに若くて思慮の無い女性が群がる構造も謎のままになってしまう。私は、女性達は評価尺度こそ様々ではあっても、男性達を何らかの形で選別していると考える。 恋愛は男のコミュニケーション能力のテストではないし、女は審査員なんかではない、ということは、「だめんず・うぉーかー」読んだらよく分かる。そういうセンサーが全然働いてない女だって結構いるってこと。 その辺のオタクなんて目じゃないくらいに自分の都合しか見えてない、空気読

    2006-04-21
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/22
    4/21
  • 萌えオタ達は女の子の都合や利害に関心が無い。だからこそ萌えメディアの「恋愛」は常に一方向的でしかない。 - シロクマの屑籠

    オタクはしばしば、空気が読めない者として語られることが多いし、実際そういうオタクは結構いたりするのだが、これってやっぱり第三世代以降のオタク達に(マクロレベルでは観察できる)広く薄い傾向なんじゃないかと私は感じている。彼らのなかには他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬 - シロクマの屑籠に書いたような「自分の利害と感情はモニターしていても、他人のソレには無頓着無関心」な者が少なからず混じっている。第三世代以降のオタクには、(他者性が見事に欠落しているが為に)リアル女性とまともな双方向的交際が困難なケースが多い*1。自分の感情と利害しか追わないような男を女性は忌避するし、だからこそ両者の間に色恋沙汰の架け橋が生まれる確率は極めて低い。 代わりに萌えオタ達は、所有/隷属というどちらかだけの都合を押し付けるような関係や、純愛・献身などといったタームによってごまかさ

    萌えオタ達は女の子の都合や利害に関心が無い。だからこそ萌えメディアの「恋愛」は常に一方向的でしかない。 - シロクマの屑籠
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/19
    他人への関心について
  • 愛想笑いしか出来ない人の予後 - シロクマの屑籠

    「愛想笑いしかしない」ではなく「愛想笑いしか出来ない」 愛想笑いしか出来ない人や、お互いに傷つかないような情報量皆無のやりとりに終始する人というのは、他者に影響を与える事が難しい。彼らは確かに悪影響をもたらさないかもしれないが、魅力的な何かをプレゼントすることもない(参考:シロクマの屑籠)。「ただ無害であること」を示して排除されないよう終始するだけの彼らを、弱者として交際リストから除外するのは実にたやすい。弱っちょろくて空気そのものみたいなどうでもいい存在で、わざわざ骨を折って時間をかけて話し合いたいという魅力を探すのが困難な対象。確かに、そんな奴と長時間毛づくろいをしたって、何の刺激もありやしないし、経験値効率(?)もよろしくない。空気人間じゃない人間と交際できるんだったら、そっちに移ったほうがよっぽど色々経験できる。 しかし、親密になりたいと思う魅力が皆無な彼らなんだけど、彼らにはそれ

    愛想笑いしか出来ない人の予後 - シロクマの屑籠
  • ポストモダン的状況下でライバル達に差をつける記号は何? - シロクマの屑籠

    音楽は、楽しむためのものであると同時に、他人に対して自分自身の価値を表明する記号としても機能し得る。以下のテキストは、それを再確認させてくれるものだった。 http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/03/post_4658.html しかしなぁ。こういう「センス競争」として消費する音楽っていうのは、完全に「ファッション」であり、「モテ志向」だよなぁ。自分が楽しむことよりも、「他者からどう見られるか」を重視しているという意味で。 うん、Masaoさんの言うとおりだと思う。音楽もまた、他の文化的な営み同様、ファッションとしての記号性を帯びてしまう事を避けられない。コミュニケーションに際して、相手の価値観・文化傾向からみて好ましい音楽を提示出来るならば、より好ましい評価を獲得できるかもしれない。逆に、彼らが文化的に全く認めない音楽を提示すること

    ポストモダン的状況下でライバル達に差をつける記号は何? - シロクマの屑籠
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