イングランドでSNSのインフルエンサーとしても知られる女子サッカー選手のMFガブリエラ・ハウエルが、性差別的な誹謗中傷について持論を語った。イギリス『ザ・サン』が伝えている。 現在22歳のハウエルはイングランドのロンドン・サウスイースト地域女子リーグ1部のサットン・ユナイテッドに所属。サッカー選手としてプレーするかたわら、派手なライフスタイルをインスタグラム、ツイッター、ティックトックで公開し、多くのフォロワーを抱えている。 これが原因でサッカー以外の部分に関する荒らしコメントが後を絶たないという。中には「女子サッカーの厄介なところだ。才能よりもルックスで選ばれている」との声もあったようだ。 しかし、ハウエルは「サッカーができるし、ハイヒールを履くのも好きです」と落ち込む様子はなく、アンチからのコメントもあえて削除しないと告白。その理由を説明している。 「私は自分のプロフィールに(憎しみの
清水エスパルスGK権田修一が試合後のスピーチでファン・サポーターにお願いをした。 清水は最終節、引き分け以上でJ1残留が決まる状況だった。前半35分にオウンゴールでC大阪に先制を許しながらも、同アディショナルタイムにDF鈴木義宜、後半6分にMF西澤健太がネットを揺らして2-1の逆転勝利。自力でのJ1残留を決めた。 試合後、キャプテンとして権田がマイクの前に立った。「最後まで残留争いに巻き込まれ、申し訳なく思う。申し訳ありませんでした」と謝罪。その後、仲間への思いを語った。 「華麗なプレー。それはサッカーのとても素晴らしい部分だと思う。ただ、絶対に最後まで諦めない姿勢、1対1で負けない強さ、一人ひとりが仲間のために走ること。試合に出ている選手だけでなく、ベンチの選手、スタンドの選手まで、皆が声を出してチームのためにやる姿勢、そこをエスパルスはもっと評価してほしいクラブだと思っています」 続け
5月6日、丹羽大輝はスペイン4部リーグのSESTAO RIVER CLUB(以下、セスタオ)との契約を発表した。以前から夢の1つに描いていた『スペインでのプレー』を叶えようと、日本を旅立って約4ヶ月。様々な逆境に直面しながらも、すべてのことをポジティブに受け止め乗り越えてつかんだ、新天地だった。 夢の実現のために丹羽が海を渡ったのは、FC東京でのキャリアをルヴァンカップ優勝で締めくくった3日後の1月7日のこと。新型コロナウイルスの蔓延を受け、首都圏を中心に今年最初の緊急事態宣言が発令された当日だった。 「スペインはオフシーズンなどに家族旅行で何度か足を運んだことのある大好きな国。以前から、いつかこの国でプレーしたいと思っていました。ただ、自分の年齢やポジションを考えるとFC東京との契約が満了する今回がラストチャンスだろうなと…ってことを去年の夏頃から考え始め、以来、現地の知り合いを通じてチ
これまで国際舞台やJリーグのピッチに立ち、多くの試合を裁いてきた家本政明。プロの審判となってから今季で16シーズン目を迎える。正当なジャッジを志しながらも、勝利を揺るがした判定や退場者を誤ったミスジャッジにより、時に罵声を浴びながら、たった1つの笛と共にその仕事に向き合ってきた。自ら「日本一嫌われた審判」と振り返るその半生を、本人の筆でつづってもらった。 【第1章 評価と競技規則の奴隷/2005年~08年】 はじめに――。 19歳のときに始めた審判活動も、今シーズンで29年目を迎えます。この間、国内外合わせて1200試合以上の公式戦を担当してきました。 最近では「名前を聞いて安心できる審判」「選手と一番コミュニケーションをとる審判」「今一番面白い試合をする審判」という声をたくさん聞くようになりましたが、それはひとえに、誰よりも数多くの失敗を経験し、批判と失敗に向き合い、改善に改善を重ね、常
このたび、川崎フロンターレに所属しております中村憲剛選手が、今季限りで現役を引退することとなりました。 誰よりもケンゴのことが大好きだった「あの方」の想いをここに…。 #ケンゴありがとう #OnefourKengo… https://t.co/njGtanJ2rU
レアル・マドリードのセルヒオ・ラモス 写真提供:GettyImages レアル・マドリードのスペイン代表DFセルヒオ・ラモスが、4-0で勝利したリーガ第13節エイバル戦のゴールを、眼の病気のためにサッカーを諦めざるを得なかったファンの少年に捧げたという。10日、スペイン紙『マルカ』が伝えた。 日本時間10日に行われたエイバル戦の前に、ラモスのツイッターに1人の女性からメッセージが届いた。そのメッセージは「16歳の弟ヘススが眼の病気にかかり、1週間前に手術を受けた。医師からはサッカーは諦めなさいと言われた。彼はあなたのファンで彼に夢と勇気を与えてあげてほしい」というものだった。その直後、ラモスは前半20分にチーム2点目となるゴールを決めている。 エイバル戦後にラモスは、女性に以下のメッセージを送った。 「ヘスス君、僕のゴールをあなたに捧げて祈ってるよ。頭を下げず、きっと良くなって、夢を諦めな
昨季まで横浜の中心選手として活躍した中町。ザンビアではどのようなプレーを見せてくれるのだろうか。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部) 画像を見る 2月4日、横浜F・マリノスを昨シーズン限りで退団した中町公祐がザンビアプレミアリーグの『ZESCO United F.C』と契約した。 中町は群馬県の高崎高から2004年に湘南へ加入。4年間プレーし、2007年に退団した。そして翌年から当時在学していた慶応義塾大でサッカー部へ入部。2010年に福岡へ加入してJリーグに復帰し、以降はレギュラーとして活躍した。 横浜では2012年から7年間プレーし、攻撃と守備をつなぐボランチとして躍動。そのなかで1月2日に双方合意の上で契約を更新しないことがクラブから発表されていた。 異国の地でプレーする道を選んだ中町。2013年から自身の大学時代の同級生が代表を務めるNPO法人を通じてアフリカにサッカーボー
J2降格が決まったV・ファーレン長崎の代表取締役社長である高田明氏が、クラブ公式サイト上でファンに向けた声明を発表した。 17日、J2リーグは最終節を一斉開催。すでにJ1で17位以下が決まっている長崎は、J1ライセンスを持たないFC町田ゼルビアが自動昇格圏内に入れば、J1残留の可能性もあったが、松本山雅FCと大分トリニータのJ1昇格が決まり、長崎のJ2降格が確定した。 高田社長は「V・ファーレン長崎にとって、初めてのJ1の舞台となった今年、多くのファン、県民、関係者の皆さまに応援をいただいた中でのJ2降格に、悔しい思いでいっぱいです」と素直な気持ちを述べると、「今季はこれまで、たくさんの方々から叱咤も激励もいただきました。アウェイチームのファンの方々も多く長崎に来ていただきました。新しくV・ファーレン長崎のファンになっていただいた方も大変多いです。そして、これまで長くV・ファーレン長崎を支
2017年7月28日、群馬。車を停めて外に出ると、むっとした空気が襲ってくる。 暑さに辟易しながら、引き戸を左に引くと、一息つく涼しさと香りに安堵する。花で埋め尽くされた一室では、水槽の亀がのそのそと動いていた。 「ふたつにわけますか?」 花屋の女性店員が確認する声に、「お願いします」と返事をした。対に生けられるように、お墓参りでは常識なのだろう。大菊、スプレー菊、りんどう、そしてカーネーション。カーネーションのピンクが賑やかで、引き立っていた。お線香もそこで調達し、車でさらに坂道を上って、山の中腹のような場所に着いた。高台で木々に囲まれているため、ひっそりとしている。その静寂が墓地にふさわしい気がしたし、彼には静かすぎる気もした。手桶に満たす水が、じょろじょろと音を鳴らす。日に焼けたひしゃくはプラスチック製だった。 自分をさらけ出し続けた異才 2011年8月4日、松田直樹(当時、34才)
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