タグ

災害と歴史に関するsugimo2のブックマーク (3)

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

  • 【転載】宮城資料ネット・ニュース98号(2011年3月27日) - ユメノツヅキ

    宮城資料ネット事務局から、首都圏ネットMLに投稿していただいた記事を転載します。 皆様のご活動に頭が下がります。 地図(転載許可をいただきました。ありがとうございます)の位置は、 添付していただいたWord版を基にブログ管理者が入れました。 ブログはなるべくデータ量を軽くして、携帯からでもアクセスしやすいように メール文を転載させていただいております。 宮城歴史資料保全ネットワークHPは http://www.miyagi-shiryounet.org/ ※更新情報(3/27 20:52):文末が見づらかった(一部文字が欠損)ので、適宜改行しております。 見づらい等は対応しますので、コメント欄にご意見をお願いします。 - 宮城資料ネット・ニュース98号(2011年3月27日) - 東北・関東大震災 津波浸水域図を見て - 宮城資料ネットの平川新です。 ■津波浸水域図を見て 2年ほど前に

    【転載】宮城資料ネット・ニュース98号(2011年3月27日) - ユメノツヅキ
    sugimo2
    sugimo2 2011/03/30
    ”江戸時代の街道は大津波を想定して宿立ての場所や街道の道筋を選んだのではないか?”というお話。
  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

  • 1