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呟きに関するtweakkのブックマーク (179)

  • 晴れ - finalventの日記

    今日は天気がよくなるようだ。昔から長時間没頭してものを考えるということがあまり苦にならない人なのだが、最近はふとレストすると、思考でぐたっと疲れることがある。老化ということかな、あるいは、体のコンディション調整がこのことろおろそかになったからなと思う。まあ、もう少し。今年も終わりそうだ。 夢は覚えていない。大仏殿が出てきたような気がする。 このところ、七瀬ふたたびとキバとTV物語を2見ている。こうした映像の物語に付き合うのもくたびれるものがあるな。というか、物語というのはそれなりに精神のタフな物でもあるな。 NHKのラジオでIBMでそれとなく退職を勧められたとされる51歳の人の話が出てきた。まあ、IBMだしと思いつつ、ふと幾人かの顔を思い出す。どうしているだろうかね。そういえば某氏は早々に辞めて今では有名な翻訳家になっているか。 私の年くらいになると、みな先が見えてくるようになる。組織

    晴れ - finalventの日記
  • 増田の意見 - finalventの日記

    ⇒日っていうコミュニティも放っといたらこういう死に方をするんじゃないかな、とか。 その疲弊の中で、ゲームのプレイの質も低下してくる。活気がなくなることはもちろん、人の少なさは個人のミスを拡大して見せてしまう。また、それまで積み重ねられ継承されてきた情報が受け取る人間のいないまま消える。常連たちはコミュニティの存続するかどうかって問題に対する危機感と苛立ちを作り出し、伝染させる。 ブログもそうだと思うな。 「ブログを語るブログ」や「アルファブロガー(笑)」を必要とするブログというのは、「ブログは終わった」ではなく、なにか異質なものが始まったように思える。というか、すでに終わった地平の向こうの世界であって、書き手の側のブログの意味自体は変わらないし、「アルファブロガー」は単に一部の人がそう呼称するというだけで、実際の書き手の問題ではない。「ブログを語るブログ」は無だし、「アルファブロガー(笑

    増田の意見 - finalventの日記
  • 雨 - finalventの日記

    晩秋。昨晩は寝付かれず。坐禅、瞑想ともにダメ。静かな音楽を聴いているうちに眠くなった。夢は覚えていない。 いろいろ物思いをしているのがいけないのだろうと思ったが、心が思うことは思うことなのでそれを追っていく。50歳になってみじめな自分というものがあり、そしてこれはあと生きていてもただその減衰でしかないのだろう。あと10歳、20歳若かったらなと夢想した。もちろん、その反面の心で、もうあの時代は十分というのはある。そして、今の自分のありかたは十分神の恵みではないかとも思う。ただ、もし気力があれば何をするだろう。何を学ぶだろう。それは少し思った。やはり答えは出なかった。今でも無力だが20歳のころの無力の自分を思った。未来があった。今のその未来に到達した。

    雨 - finalventの日記
  • 珍しく熟睡したので早く起きる事ができた。 熱いシャワーを浴びて、ほどほ..

    珍しく熟睡したので早く起きる事ができた。 熱いシャワーを浴びて、ほどほどの暖房の利いた部屋で しっかりとアイロンの当ててあるシャツに袖を通し 淹れたてのコーヒーをたっぷりと飲みながら、朝刊を読む。 実に爽やかで幸福な朝だ。 少し惜しいのはそれを共有してくれる人が居ない事だ。 よって殺伐とした増田たちに押し売りをしたいと思う。 幸福な人間というのは常に余計な事をしたがるものなので、 笑い飛ばしてくれるととても嬉しい。

    珍しく熟睡したので早く起きる事ができた。 熱いシャワーを浴びて、ほどほ..
    tweakk
    tweakk 2008/11/12
    なんというハルキムラカミ
  • 晴れ - finalventの日記

    冬の空気ではない、晩秋の朝だなという感じだが、まだ紅葉は早そうだ。 夢は。詳しくは覚えていないが、なにかの騒動でそこにいた赤ちゃんを背負っていくというもの。赤ちゃんくらいどうってことはないだろうと背負うのだが、これが重たい。人間の重みかとか思っている自分がいる。 このところ、エキササイズ量が減っていかんな、やや風邪気味というのもあったりするなと思いつつ、奇妙に感性が若くなっている部分がありそうだ。老化の過程というのは単純に減衰していくのではなく、ある部分は補償的に鋭くなるのだろうか。 私は悔いの多い人生だし、青春もまあそれなりに悲惨だったが、さすがに若い頃の経験は他人事のような乖離感はある。が、逆にその乖離感ゆえにその感覚が純化されているような感じはする。 では現実的に、ゲーテとまではいかないが、あるいは西洋男性の初老にありがちな恋心みたいな心があるかというと、そこは微妙というか。現実問題

    晴れ - finalventの日記
  • ブログを書いていてときおり思い出す山本七平の言葉 - finalventの日記

    人間はカネにならんことを一生懸命やっている限り堕落しないと私は信じているのだ。 しかし、このカネにならない仕事を長期間継続することは、相当の決心と持続力がいる。問題は「餓え」より安易につきたがる心情だろう。 私は常に楽観的なのだ。いずれ人びとはそれに気づき、自らを少しでも貧しくするため、「金にならないことは何でも」一心に行い、それで心の空白を満たすようになるだろうと思う。それは根拠なきことではない。江戸時代にはそういう人はいくらでもいたのだ。 父と息子の往復書簡―東京‐ニューヨーク: 山 七平, 山 良樹 安い⇒「父と息子の往復書簡―東京…ニューヨーク: 山 七平, 山 良樹: Amazon.co.jp:

    tweakk
    tweakk 2008/10/29
    沁みる
  • とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事- finalventの日記

    良い人である。誠実である。人間としてのバランスが変(大きな欠点がある)。 いわゆる神レベルの人にはこのような共通性があると感じる。 inspired by とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事 - ひげぽん OSとか作っちゃうかMona- 追記みたいに言うと。 「とびっきり優秀な人」って、この人、この世にいなくてもいいんじゃないのっていう、なんか不思議な空白感がある。 美男美女にも、この空白感は感じる。 世界にとって、まるで枯山水の岩みたいに、こういう人はあったほうがいいんだろうし、もしかすると世界というのはそいう人がないとやってないのかもしれないけど。 この人たちは、「自分」というものを獲得できないというか、あるいはその欠損の代償として優秀であったり、美人であったりするんじゃないだろうか。 なにも、卑屈なルサンチマンで自己意識を持てというのじゃなくて、この世界の奥深いなにか意味

    とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事- finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2008/10/20
    春樹風味わい
  • あまり文献にそって考えているわけではないが - finalventの日記

    最近、自分が20年以上考えてきた、哲学的な問題にちょっと解決が見つかりそうなので、ときおり考えている。どういう問題なのかというのを説明するのがめんどくさいし、哲学をプロパーにやるとすでに終わっているよその問題ということにもなるのかもしれない。 ま、でも、ぶっちゃけ言うと、主観の根拠性と、世界の齟齬の理由はなにか?ということ。 まあ、独我論なんだけど。 大森荘蔵から少しづつ自分も離れつつあるのか、しかし、結局独我論というのは抜けることができない前提なんだというとき、独我の中に現れる他者や世界とはなんだろ? ここで最近考えているのは、予測とルールということ。 はてななんかでも前期ポパーと言っていいかと思うけど、科学的言説の基準に、反証可能性が一人歩きしているっぽいけど、反証可能性というのは、まあ、それなりに役立つ。 で、この場合、世界にはベルクソン的な時間は存在しない。つまり、反証可能性という

    あまり文献にそって考えているわけではないが - finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2008/10/07
    わっふるわっふる
  • 楽しい日記

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 楽しい日記

  • 青春をやり直したいとは思わない。まったく思わないわけでもないのは後悔は山ほど。で... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]

  • 子の心

    うちは母と祖母(嫁と姑)の仲が悪く 母は、祖母と自分の旦那を憎み恨み 精神もどんどん病んでいって 家庭の実態は崩壊していた。 今なら、病という言葉も普通にきくようになり 精神が追い込まれてる状態に対する理解もできるが 子供だった当時 鬼のように荒れる母を目の前にして 恐怖するしかなかった。 子供というのは、純粋に親が好きだ。 私を責め、ときに殴る母に対して 子供の私は、 自分が悪いんだ 自分は嫌われているんだ と自分自身をせめていた。 その結果、社会適応能力が著しく下がるのだが それはおいておく。 成長し、ある時、それは小5くらいだったが 自分を責め、自分をたたきのめす母親が 憎くなった。 そこから私の心も 憎しみや怒りで埋められて行く。 親に対してだけそう思っていたが やがて、他人に対しても 親と同じ面をみつけたとたん許せなくなる。 その怒りと対峙していく人生もしんどいが それもおいて

    子の心
  • 既婚子持ち無職鬱増田2

    眠れない。またODしちまった。とにかく夜は寝たいんだ。 昼間いくら動いて疲れてても眠れないのは厳しい。それが続くと腰痛、肩こり、口内炎、口角炎と、ふらふら。 しかし、OD続けたら脳が萎縮するらしいな。もうしてるかもしれん。 ああ、俺がうつ病になった時のあの教授、あの研究室、あの同僚、あの街、あの駅のホームに流れる電車の到着音、安かったマックとほか弁、2リットルの紙パックの酒、気が狂わないように無数に借りた映画、深夜と早朝の電車の音、斜向かいにあった薄汚いソープランドの入り口、激安で広かったあのアパート、窓の下には臭いどぶ川、そこにゴミを放り投げる階下の住人。昨日のことのように思い出す。臭いとか音とかふと聞く地名とかで記憶がすぐに蘇る。 記憶を消したい。あるいは糧にできるものなのか。

    既婚子持ち無職鬱増田2
  • コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ

    あかいくるまにガキ二人を乗せて大手スーパーに。息子が明日から部活の合宿なので、細々とした買い忘れたものを買いに。 で、ふと「あそこ、左折するぞ」と。いや急にその角を曲がると「サンジャポ商品を売ってるコンビニ」があったな、と。あの変な宣伝のポテトを買って行こうぜと。 コンビニ入って、商品にべたべたと印刷された変な宣伝写真を見ながら息子ときゃーきゃー言ってて。娘もケラケラ笑ってて。そのとき、店の向こうの隅で、じゃばじゃばと液体が一気に流れる音がした。 小さい男の子が、じゃばじゃばと一気にゲロを吐いてた。慌てる母親。あの調子だとまた来るぞ、と思ったら、再度じゃーっと吐いた。 「すみません、子どもが吐いてしまいました」と母親が店の人に言う。様子をうかがいながら、店の人に言った時点でこれは出る幕ではないな、と判断しようとしてたんだけど。 「ゴム手袋じゃない? 必要なの」「モップを出さなきゃねえ」と。

    コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ
  • 川田亜子という人

    ちょっとした事情があって、『E娘!』という番組を毎週録画していた。自分が観ていたのは、期間にすると1年くらいだろうか。TBS時代の川田アナと、青木裕子アナがゲームや原稿読みで対決をし、勝敗を競うという、深夜らしいゆるいバラエティだった。その記憶をつらつらと書く。 (自分は他に、川田アナの代表的な番組をほとんど見たことがない。継続的に見たのはこれが唯一と言ってよい。) この番組を観る限り、川田アナも青木アナもはつらつとしており、毛色はかなり違ったけども、2人ともにいい意味での度胸があった。テレビ勘、とでもいうのだろうか。 場の空気を跳び箱とするなら、川田アナは跳び箱を思い切りよく跳ぶタイプ、青木アナは跳び箱の根幹を揺るがすような正面ぶちかましをするタイプだったように思う。 美貌もあり、学もあり、テレビ勘もいい。両人とも資質に恵まれていた。 番組内の一(いち)コーナーとして、原稿を読む対決が頻

    川田亜子という人
  • 基本っていうか - finalventの日記

    そういえば私が子どものころ、祖父が風呂に入りながら壺坂霊験記のさわりをうなっていたことを思い出した。そういえば風呂屋でも一節うなっている爺がよくいた。いつからか、爺はみんな戦後生まれになって、そういう風景を見なくなった。 ああいうのは基っていうのは違うのかもしれないけど、あの情感がわからないと、戦前に繋がる日というものの感覚はわからないではないだろうか。 たぶん、団塊の世代の人たちは、記憶を丁寧に思い出せばあの世界を再獲得できるというか、できないわけはないのに。

    基本っていうか - finalventの日記
  • 僕は自殺というのは自己分裂じゃないかと思っている - finalventの日記

    自分は生き延びているから違うかもしれないし、自殺というのは結果であって、プロセスは多様かもしれないし、それをいうなら同じプロセスでたまたまダセーで生きていることもあるかもしれない(俺っぽい)し。 でも。 僕は自殺というのは自己分裂じゃないかと思っている。 「僕は死ぬ」というのじゃなくて、分裂した自分が「死ね」と言っているのだと思う。そのボリュームを下げるとなんとか生きられるというか、そもそも他者が示した死を僕は確信できないんだよね。 分裂した自分というのは、いちおう無意識といってもいいのだろうと思うけど。 けどというのは、ネットとかやっていて、死ね死ねよく言われるのだけど、それも、結果的には自分の無意識と同質のプロセスなんじゃないかと思う。 ある人は別の人の死の分裂を引き受けるというか。 引き受けさせてしまった私のカルマは深いというか。 生きるというのは、してみると、ダセーでなければ、統合

  • 2ちゃんねる実況中継(裏) 上京

    20 名前:名称未設定 sage 投稿日:2008/04/15(火) 23:29:57 ID:bjjz5xea0 上京するとき、ちょっと面白いと思って MacBookを運ぶのに津軽リンゴの箱に入れた。 でもその箱を開くとき、周りには誰もいなかった。 いっしょに笑ってくれる人を捜すのが、東京で生きるということなんだと思った。 関連商品:

    tweakk
    tweakk 2008/04/24
    10数年前を思い出した
  • どうでもいいといえばどうでもいいけど - finalventの日記

    政治分野以外で外信から日を見ていると日ってほんとんど理想的な国だな、これでも。そして海外に出ている日人がまたほとんど理想的。かつ文化もそう。これじゃ、なんか理由をつけて叩きたくもなるかなとか思えてしまう。 幸せってそれが失われたときに気が付くものなんだろうけど。

    どうでもいいといえばどうでもいいけど - finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2008/04/16
    そういうもんでしょうか
  • 言論の自由について - 内田樹の研究室

    言論の自由について思うことを述べる。 繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。 言論の自由とは 私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。 その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。 ただそれだけのことである。 だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。 私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。 「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。 それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。 それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。 「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言い

    tweakk
    tweakk 2008/04/05
    言論の自由:前段は防御権、後段はエシック
  • なんというか - finalventの日記

    若い頃、自分はバカだったなと思う。今でもそうだけど。 そして、愚かさゆえに人に迷惑をかけたし、自分もダメになっていった。これも、今でもダメだけど。 運も悪かったかなと思うこともあった。が、それは運のいい人を見てそう思うのだけど、もっとひどい運の人もいろいろ見た。 人の生き様というのは、けっこう運というのに支配されている。そして、これはオカルトでもなんでもどうとなるものではない。ただ、そういうものだということ。 そして、もうちょっと生きてみると、およそ物を思う人はみなそのことに気が付き翻弄されてきて、そういう運不運にどう向き合うか、基はきちんと書き残している。 それなりに幸せに生きることが可能ならそれを選べばいいし、そうして生きてみると、意外と人生の全貌というのの仕組みがわかる。それは、金銭的な成功とか、世界征服みたいなそういう欲望の地平とはかなり違うものだ。 男なら一人の女を愛する、女な

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