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  • 黄金の6年間 1978-1983:ゴダイゴ「銀河鉄道999」にみる作家性と商業主義の両立

    リマインダーの人気連載「黄金の6年間」が待望の書籍化 音楽テレビ映画、文学の各分野がクロスオーバーを始め、新しい才能が芽生えた1978~1983年。この「黄金の6年間」になぜエンタメ界が進化し、優れたクリエイターや話題作が次々と生まれ、今につながるスタンダードになり得たのか。その深層を読み解いていくリマインダーの人気連載が書籍化されました。 『黄金の6年間 1978-1983 ~ 素晴らしきエンタメ青春時代』は、全国の書店、電子書籍にてお買い求めいただけます。今回はその中から一篇を紹介します。ぜひお楽しみください(Re:minder 編集部)。 クリエーティブの能力を発揮しやすくする “制約” 作家性と商業主義は両立できるか? ―― クリエーティブの世界で、終生つきまとうテーマである。映画にしろ、テレビドラマにしろ、あるいは音楽にしろ、常にそのテーマはつきまとう。スポンサーの意向は無碍

    黄金の6年間 1978-1983:ゴダイゴ「銀河鉄道999」にみる作家性と商業主義の両立
    umaken
    umaken 2023/02/20
    “僕は今に至るまで、これほどカッコいい映画のエンディングを見たことがない。断言する”
  • 『ベストヒットUSA』40周年記念:小林克也インタビュー <第一回>『ベストヒットUSA』が生まれるまで

    『ベストヒットUSA』40周年記念 小林克也インタビュー第1回:『ベストヒットUSA』が生まれるまで (構成・インタビュー:田隆) 『ベストヒットUSA』40周年を記念して小林克也さんにインタビュー! 放送開始当時、ラジオ、CM、スネークマンショーと多忙を極めていた克也さんがVJを引き受けるまでの経緯や、逸話、そして、80年代洋楽黄金期のミュージックビデオクリップや、現在のアメリカンチャートについてなど、長きに渡り第一線で活躍する音楽の伝道師ならではの盛りだくさんな内容のロングインタビューになりました。現役VJならではの鋭い視点と深い考察。そして周囲を包み込むような懐の深いお人柄。克也さんはやはり憧れの人でした。 放送開始前、ラジオDJやCMのナレーション、そしてスネークマンショーと多忙を極めた70年代 ―この前もZEPP Hanedaのアニバーサリーイベントを観させていただいて、ものす

    『ベストヒットUSA』40周年記念:小林克也インタビュー <第一回>『ベストヒットUSA』が生まれるまで
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    umaken 2021/06/25
  • フィギュアとロックの素敵な関係、町田樹が表現したクイーンの名曲

    クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開になりましたね。クイーンに真っ先に目をつけたのが日のファンって言われてるくらいですから日での公開、嬉しいですねー。皆様、もうご覧になりました? ところで、映画の公開イベントにはプロフィギュアスケーターの村上佳菜子ちゃんが出席されたようで、フレディの王冠&マントコスプレが可愛かったです。なんでフィギュアスケーターが? って、思った方も多いと思いますが、フィギュアスケートにロックの曲、良く使われているんですよ。 羽生結弦くんのソチオリピックでの金メダル曲があのゲイリー・ムーアの「パリの散歩道(Parisienne Walkways)」なのは有名ですよね。あの泣きのギターは羽生くんの演技を更にマチュア(円熟)へと引き上げてくれていたような気がします。羽生くんのフィギュアを観てゲイリー・ムーアのアルバムを聴いてみたよという方も多かったようで嬉しい

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    umaken 2018/11/24
  • 18歳の夏とラフィンノーズ、僕がホンモノのパンクスになれた瞬間

    近頃は SNS の普及にあやかって、僕もツイッターやインスタグラムを通じて、いろいろな出会いがあった。そこで仲良くさせてもらっている人もたくさんいる。いわゆる、ツイ友からリア友になっていった人たちだ。 そんな人たちと初めて対面する瞬間、なんていうのか、あの得難い瞬間―― はじめはお互いぎこちない笑顔と挨拶から始まり、共通する経験や音楽の話をきっかけに、言葉は口から泉のように溢れてくる。お互いがもう何十年来かの友達のような笑顔になるまで、1時間とかからなかったりする。何度か経験したそんな時間の流れ、どこかで感じたことがあったぞ。いつのことだったろう…。 SNS はおろか、携帯やパソコンの普及もまだまだ先だった80年代。そんな同じ趣味や価値観を持った人と知り合う手段は音楽雑誌の読者ページだった。「売ります、買います」や「バンドメンバー募集」「お手紙ください」など雑誌を通じて読者同士がコミュニケ

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    umaken 2018/11/21
  • ソフィー・マルソー主演映画「ラ・ブーム」主題歌はピンクのハート型レコード

    ガールフレンドのような雰囲気がたまらないソフィー・マルソー 1981年の高一男子は全員ソフィー・マルソーが好きだった。 とまあ、言い切ってしまったが、当にそうだったかどうかは覚えていない。てか、そんな訳ないか。でも人気だったことは事実だし、みんな結構な勢いで彼女に夢中だった。 1980年にフランスで公開されたソフィーのデビュー作『ラ・ブーム』が日にやってきたのは82年の3月。自分に例えると高一から高二になる春休みのこと。ぼくは誰かに覚られるのが恥ずかしくて(いや、自分だけで噛みしめたくて)、この映画を一人で観に行った。 ストーリーなんてそっちのけ、彼女の表情が全てだった。フランス人なのに同級生のガールフレンドのような雰囲気がたまらない。スクリーンに映し出されるひとつひとつの仕草に目を奪われる。だから一人で行ったのは大正解。パンフレットはもちろん、写真集も2冊買って帰った。 家に戻ると、

    ソフィー・マルソー主演映画「ラ・ブーム」主題歌はピンクのハート型レコード
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    umaken 2018/11/18
  • 詩人 遠藤ミチロウ、ザ・スターリンの歌詞にみる美しい言葉たち

    遠藤ミチロウ率いるパンクバンド、ザ・スターリン 中央線は、夕日に向かってまっすぐ走る。オレンジ色の車体がそれと同化する。郊外へ運ぶのは帰宅を急ぐ人たちの喧騒だ。中央線沿線に住んでいた当時、時間のあるときはホームに立ってぼんやりと、せわしなく行き交う人々と列車を眺めていた。 そんな僕のBGMは、意外かと思われるだろうがザ・スターリンだった。 遠藤ミチロウ率いるパンクバンド、ザ・スターリン。デビュー当時、そのスキャンダラスさ(豚の臓物が投げられる、ミチロウが全裸になる… などなど)のみが喧伝されたようだが、僕はそれをやDVDで観て知っているだけだ。後追いの僕がセックス・ピストルズ直系の音に乗せられた歌詞に、自然と集中できたのは特権だろう。 例えば僕を “惚れさせた” 一曲、「STOP JAP」を見てみよう。 おいらは悲しい日人 西に東に文明乞 北に南に侵略者 中央線はまっすぐだ おまえは

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    umaken 2018/11/15
  • 80年代女子高生の恋愛事情〜レベッカ「76th Star」できらめいて

    とりあえず都心の女子校に進学すれば、恋も友情も勉強も、充実した高校生活が送れると思っていた。 友情や勉強は、まぁ、いい。 やっかいなのが「恋」。 出会いって難しい。 でも、1980年代といえば、空前の女子大生ブーム。女性向けファッション誌では、ゴージャスな装いの女子大生が大量のブランド品をひけらかし、男性誌では、女子大生の座談会がレギュラー化。 「こんな男がモテる!」や「女性が喜ぶデートコース」、「こんな男には幻滅!」などのテーマの座談会が開かれ、派手に着飾った女子大生たちが勝手きままに語っている。一部の高飛車な意見が、この時代の指標となっていたすごい時代だ。 その影響を少なからず受けるのが高校生である私たち。ただ漠然と共学よりは女子校の方が、きらびやかで楽しい高校生活が送れるのではないか? と錯覚して女子校に進学した人は、きっと私だけではないはずだ。 女子高生たちは女子大生ブームの陰に隠

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    umaken 2018/11/01
  • 人生で一番多く口ずさんだ歌、それは『キン肉マンGo Fight!』

    マイフェイバリットアニメ主題歌がこの『キン肉マン Go Fight!』。 初めて買った単行は11巻。当時の最新刊で、大興奮の「七人の悪魔超人編」の中盤戦を収録していた。魔雲天を倒すも同体で崖に転落したテリーマンが「ただいまキン肉マン」の台詞と共に生還する名シーンも収録。この話がジャンプ連載で初めての人気第1位だったことを知るのは21世紀になってから。 幸か不幸か、大ファンになるに十分な熱量の洗礼を受け、小遣いの使い道がガンプラから『キン肉マン』の単行集めに変わり始めた。そんな中、待望のアニメが始まった。 日曜午前10時に鳴り響く『キン肉マン Go Fight!』。歌うは串田アキラ。この時点では大好きだった特撮『太陽戦隊サンバルカン』の主題歌や、静岡県民にはお馴染みの『富士サファリパーク』のCMソングと同じ人だとも気付いていない。 初めて観たアニメのオープニングは、キャラクターデザインが

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    umaken 2018/10/17
  • W浅野「抱きしめたい!」これぞ日本版「セックス・アンド・ザ・シティ」

    皆さん―― トレンディドラマって覚えてます? 80年代後半、オシャレな街を舞台に、今を時めく若手俳優たちが、カタカナ職業(この表現自体が80年代ですナ)に扮し、独身なのに豪華デザイナーズマンションに住み、ブランドの服に身を包んで、夜ごと流行りのカフェバーに繰り出しては、仲間内で好きだの惚れたのやっていたライトコメディ風の群像劇である。出演者の一人にコメディリリーフで布施博がいたりして――。 オンエアの翌日には、彼らが身に着けていたファッションや劇中で使われた音楽が話題になるなど、“カタログドラマ” とも呼ばれた。 世はバブル景気真っ盛り。そんな時代の高揚感ともマッチして、トレンディドラマは大ブームになった。一例を挙げると――『君の瞳をタイホする!』、『意外とシングルガール』、『君の瞳に恋してる!』、『ハートに火をつけて!』、『湘南物語~マイウェイ、マイラブ』、『オイシーのが好き!』、『愛し

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    umaken 2018/07/07
  • 80年代ユーミン ー 珠玉かつ最高のクリスマス・パンチラインとは?

    はい。クリスマスということで、我々世代的には、クリスマスといえばユーミン。そこで、この2017年のクリスマスに、80年代ユーミンの珠玉のクリスマス・パンチラインを、今一度味わってみましょう。 パンチラインとは、ヒップホップ用語で、「曲のいちばん印象的な部分」のことです。転じてここでは、「歌詞の中のいちばん印象的なフレーズ」と解釈します。クリスマス・パンチライン、略して「クリパン」でどうでしょう。 例によって、コピーライター風に、四角で囲んで、句読点を足して、級数大きめの画像にして載せてみます。広告コピーを味わうように、読んでみて下さい。 まずはやはりこれ。1980年12月1日発売のアルバム『SURF&SNOW』のB面1曲目。 もう今や、スタンダードと化していますが、よくよく考えたら、この「サンタクロース=恋人」という発想はすごい。一種の「コロンブスの卵」ではないでしょうか。そしてこの発想が

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    umaken 2017/12/25
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    umaken 2017/11/22
  • フロアを熱狂させるアン・ルイス「六本木心中」80年代ディスコシーンの真実!

    ほとんど語られることのない、80年代 新宿・渋谷のディスコシーン 日のクラブカルチャーについて、70年代のヒップな文化人に愛されたディスコ、ビブロスやムゲン、そして90年代のバブル景気の熱を体現したジュリアナ東京や芝浦ゴールドが語られることがあっても、80年代の新宿、渋谷のディスコシーンが語られることはほとんどなかったと思う。 しかし、ここにこそ、ホンモノのユースカルチャーが存在したと断言しよう。 新宿のディスコといえば、82年、ワンプラスワンが舞台となり、未解決事件として時効を迎えた “新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件” や、この事件にインスパイアされて作られたといわれる尾崎豊の「ダンスホール」などからも、暴走族や非行少年といった印象の殺伐とした場所を想像しがちだが、実際に通っていた客層は、僕を含め、なんとか毎日学校に通い、放課後はファストフード店などでバイトをしている普通の高校生が

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    umaken 2017/10/06
  • 奇跡の年【1984】第1回 MTV アワードを揺るがせたマドンナの媚態

    2017年9月9日、奇しくも SMAP のデビュー26周年と重なったその日、テレビ朝日の『SmaSTATION!!』に生出演する香取慎吾サンが、出待ちする数百人のファンの前にサプライズで現れ、神対応したニュースが話題になったが―― 同番組は同年9月23日をもって終了した。個人的に残念なのは、ナレーションを務める小林克也サンの声が、これで地上波のテレビで聴けなくなってしまったこと。 小林克也サンと言えば、やはり原点は MC を務めた80年代の名物番組『ベストヒットUSA』だろう。毎週、全米ヒットチャートや最新のミュージックビデオを、流ちょうな英語とうんちくを交えつつナビゲートしてくれた。奇しくも、同番組はテレビ朝日の土曜深夜23時台の放送―― そう、『SmaSTATION!!』と同じ枠だった。これは単なる偶然だろうか。 思えば、80年代は今よりずっと洋楽が身近にあった。『ベストヒットUSA

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    umaken 2017/09/14
  • 嗚呼!武道館、ミュージシャンにとってやはりそこは特別な場所

    最初は怒髪天だった。 2014年1月12日、結成30周年を祝しての初武道館ライブは見切れ席までぎっしり埋まり、ボーカルの増子直純は感激のあまり終始男泣きに泣いていた。 そして終盤「俺たちは武道館やったぞ! 次は誰だ? フラカンか? コレクターズか? ピーズか? やれよ! 俺に恩返しさせろ!」。 思いがけない一言にざわつく関係者席。 え? え? なに今の? 終演後見に来ていたフラカンの鈴木圭介に「やるの?」と訊くと「いやいや、うちはいいです。とんでもない」。 確かに挙げられたどのバンドも、ふだんの動員を考えると武道館はうかつに手を出せる会場ではなかった。 しかし。2015年12月19日にフラワーカンパニーズが、2017年3月1日にコレクターズが、6月9日にThe ピーズが、それぞれ大成功させたのだ。どのバンドもメンバーの年齢は40代後半から50代。代表曲はあってもヒット曲はない。それでも30

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    umaken 2017/07/27
  • 最近よく聞く「不謹慎」爆風も米米も聖飢魔Ⅱもいい具合に不謹慎だった

    前回爆風スランプ(昔の表記)のことを書いていて思い出したのは、当時のソニーには他に米米CLUBと聖飢魔Ⅱも在籍しており、イロモノトリオのような扱いを受けていたことだ。 米米CLUBはバンドというよりエンターテイナー集団で、初代ギターの博多めぐみちゃんは今でいう女装男子だがあくまでも “女子” の設定。聖飢魔Ⅱは言わずと知れた “悪魔”。ものすごく頭のいい悪魔。 3バンドに共通するのはボーカリストがステージパフォーマーとして天才的だったことと、衣装や演出の奇抜さだけで人々の記憶に残るのではなく、それぞれきちんと今も歌いつがれるヒット曲を出していることだ。 80年代のアーティストは皆、いい曲を書き、そしてそれを売ることが目標だと隠さなかった。インタビューは自分たちのやりたいことを主張する場か、徹底的にふざけ倒して相手を煙に巻く場で、音楽業界の現状など語っている人は誰もいなかった。 インタビュー

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    umaken 2017/07/27
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    umaken 2017/07/23
  • レベッカの「フレンズ」と「MOON」NOKKOも描いた母娘の確執

    ママが目撃!神社の境内で彼氏とキス 高2の時、デートの帰り、遅くなったので彼氏に送ってもらって、家の近所にある神社の境内でキスをした。向こうから誰かがやってきたので、彼氏の肩越しに目を開けて見ると、母だった。 その距離、2メートルくらい、キスをしている私と目が合うと、「何をやってるの?」と冷たく言った。そして、そのままくるりと後ろを向いて、帰ってしまった。「ママだ!」と言うと彼氏は、「一緒行って、謝ろうか?」と言ったが、「何を謝るの? 大丈夫」と言ってひとりで帰った。 しかし、大丈夫ではなかった。その日から1週間、母は口をきいてくれなくなった。学校に持っていくお弁当も作ってくれなかった。学でパンを買う毎日、味に飽きたしお金も尽きてきた。最初は「キスくらい何が悪い」と思い抗戦体勢の私だったが、生活に不便が生じ、そして今までにないくらい母が「ガチ」で怒っていることが怖くなり、自分から話しかけ

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    umaken 2017/07/16
  • 田中泰延が会社を辞めたほんとうの理由、迷走王ボーダーとブルーハーツ

    昨年末、24年間勤めた会社を辞めた。 僕は、誰かが会社を辞めたとか、海外移住するとか聞いたとき、理由を尋ねたことがない。「そうしたかったんですね」としか言わないのだが、世の中はそうではなかった。人に会うたび、必ずなぜ辞めたのですかと訊かれる。 話すと長いので「なんとなくです」としか答えないのだが、ここに当の理由を書いておこう。 このアルバムと、この漫画のせいである。 『THE BLUE HEARTS』は日のロック史に残る名盤中の名盤だ。恥ずかしながら、僕は高校生時代にバンドをやっていたのだが、このアルバムを聴いて、バットで頭を殴られたような衝撃を受け、バンドを解散した。自分たちがやる意味がないと思ったからだ。 そして、もう一つ。『迷走王 ボーダー』。原作は狩撫麻礼、作画はたなか亜希夫。1986年から4年間、双葉社の『漫画アクション』に連載された。 物語は、中東を旅する主人公、蜂須賀の

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    umaken 2017/02/12
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