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人生とblogに関するyachimonのブックマーク (8)

  • asahi.com(朝日新聞社):遺された妻のブログ、書き込み続ける娘との日々 - 社会

    手のひらの上で豆腐を切る安武はなちゃんと見守る父信吾さん=福岡市、溝脇正撮影安武千恵さん  小さな手のひらで豆腐が揺れる。柄がピンクの包丁を、そっと下ろした。  小学1年生の安武はなちゃん(6)は福岡市のマンション12階の台所で、みそ汁をつくっている。踏み台の上から父信吾さん(45)に聞いた。「なべに入れていいと?」。1年4カ月前の5歳の誕生日に始めた朝の日課だ。  母千恵さんから教わった。「みそをこした後のかすも入れてね」「野菜は根もべると体が強くなるよ」。材を丸ごと使う技も母譲りだ。  母は08年7月11日、33歳で生涯を終えた。その78日前、幼い一人娘への文章をブログにつづった。  〈心の準備はしている。ムスメには、できることは何でも自分でさせようと思っています。一人でも強くたくましく生きていけるように。〉     ■  千恵さんは福岡教育大大学院で声楽を学んでいた。コンサートの

  • 答えちゃったらトラップるけど - finalventの日記

    ⇒id:ekkenを快く思わない人に質問です http://q.hatena.ne.jp/1243598560 - 人力検索はてな 越健さんはユーモアセンスのある人だし、あれで、変質的な雰囲気を文体に漂わせるタイプの人でもないのだけど。 もひとつ選択肢。 趣味の幅を広げるべき かな。 一般論だけど。 ブログはシングルイッシューのほうがよいという意見もあるけど、私はその人の中の多様性が開花できて、その多様性において多様な人とのつながり、同意、反発という多元的に構成できる場であるとよいと思う。 特定の個人をどうこうするという発想じゃなくて、つまり、その個人がどんな思想とか信条を持っているとかを問題化しないようなほうがよいと思う。 いつも威勢のいい糾弾型のブロガーさんが、振られて落ち込むとか、親子関係に悩んでいるとか、たまに見かけると、ザマミロじゃなくて、ああ、みんなそれなりに多様な自分というの

    答えちゃったらトラップるけど - finalventの日記
  • 昨日の件についてのお詫び - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    昨日の記事の件につき、あらためて関係各位、タケルンバ卿日記をいつもご覧になってくださる方々、そして偶然目にしてしまった方々にお詫び申し上げます。どうもすみません。私の文章で多くの方々を傷つけてしまったようです。いかなる弁解もできません。あらゆる責は私が負います。 すべては私の浅慮。想像力の欠如。無知に起因しております。人の心をわからない、愚かさに起因しております。 ああいう記事を書くとどうなるか。その発想がなかったとしか言えません。まして、私ひとりで生きているならともかく、こうして人のつながりの中で生きているわけですから、方々への迷惑や、皆さんに与える心の痛みを想像してしかるべき。そういうことがわからないという時点で失格。偉そうなことを書く資格がありません。 今回、様々なご指摘を頂戴しました。「気にするな」というフォローも頂戴しました。が、今回は「気にする」を選択させていただきました。「気

    昨日の件についてのお詫び - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
  • ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記

    増田⇒文章が書けなくなりました 記事を書いていても楽しくない。 書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。 ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。 そういうのもあるかも。 孤独ということかな、つまりは。 ブログとかはけっこう党派性みたいなものが出てくるものだなと思うのは、書くほどに孤独になってくるから、なんとか同じネタで、そしてそれが正義ならなおよし的に、群れざるをえなくなるからだと思う。 人が当に書いたら、当に孤独になるし、当に孤独にさせられる。単純に考えても、個人と個人は思想において対立するものだもの。 趣味とか正義とかそうした共同性において孤独から逃れようとしたらその時点で、ブログは地獄に堕ちていると思う。 まあ、話がそれたな。 こじつけでいうと、ブログは、テーマをもたないことだよ。 自分であり続ける、病気の。

    ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記
  • Web媒体に対するモチベーション - 花見川の日記

    あまりにも「そう!それなんだよ!!」とか共感しまくったので、もう1エントリ。 ・満たされることで無くなるもの - 敷居の先住民 今はもう、そのへんに関してはTwitterやオフ会等でほぼ満たされています。いくらでも話せるし、僕が話すよりも話を聞いているほうが面白い人も近くにたくさんいる。もちろんブログに何かを書く理由ってのはそれだけじゃないけれど、大きなモチベーションのひとつがほぼ消えたのは事実なわけで、実際その影響はけっこう露骨に出ています。いやもう、ニコ部の日記とか復活してから三ヶ月近く書いてないんですが、その随分前から「ニコ部書き始めた当初は全然アイマス動画紹介サイトって無かったから書き始めたんだけど、今やもう敷居さん然り、カズマさん然り、おっホイさん然り、サクラバさん然りと紹介系サイトも数多くあるから、もう俺別に頑張らなくて良くね?」とか思ってて、4月の引っ越しを機にネットが繋がら

    Web媒体に対するモチベーション - 花見川の日記
  • 学校裏サイト記事で知り合った「はてな村の若者20人」と飲んでみた:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ

    「私の学校裏サイト記事を茶化した(disった)「はてなブロガー有村さん」の記事にコメントしてみた」 の続きである。 既に、多くの方がこの飲み会についてブログに書いてくれているが、「けんじろうさんの視点でのレポート」を期待している声があったので、私の行動を中心に書きたい。 <飲むことについて> 今回は、はじめて「はてな村」の若者(たぶん)たちと飲めることになった。メンバーは有村さんのブログサイトを愛用している3人の女性を含む20人と飲んで語りあうことが出来るのだ。それも、マッチョ対はてな軍団ではなく、ほぼ全員が初顔合わせだ。 私は毎日のようにIBM以外の人と飲んでいる。 仕事上の付き合いのある取引先はもちろんだが、ミクシーやWizliなどのSNSのコミュニティや仕事でメールでやり取りした人、私が住んでいる近所の人、子供達の学校や部活で知り合った人、そして、月に1回だが当社の社員と取引先の社員

    学校裏サイト記事で知り合った「はてな村の若者20人」と飲んでみた:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ
    yachimon
    yachimon 2008/06/26
    けまらしい!とかいうだけではなくて、こーゆー関係が築けるような人間になりたい。
  • ブロガー死してブログを残す――ネット空間に生き続ける“友人”たち - 日経トレンディネット

    ブログが更新されないだけでは生死までは分からない SNSやブログなど、ネットを介した人とのつながりが増えてくるにつれ、リアルの生活では知り得ないほど多くの人生を見ることになる。 先日起きた愛知県のバイク事故。国内で年間6000人の死者を出す交通事故の1つにすぎないのだが、事故による死亡者が「はてなダイアリー」のユーザーで、「Twitter」でも広く発言していた方だった。このため、多くのネットユーザーが関心を持ったようだ。 実は彼は、私にとっても「Twitter」から“半径ワンクリック以内”の知人だった。最近、彼の発言を見かけないと思ったら、お亡くなりになっていたと知って驚いた。 そう言えば私の「マイミク(mixiの友人)」にも1人、すでに亡くなった知人がいる。リアルでお会いしたことはないが、パソコン通信時代を含めると10年以上の交流がある方だった。死因はがん。病状は人も理解し、死も覚悟し

    ブロガー死してブログを残す――ネット空間に生き続ける“友人”たち - 日経トレンディネット
  • まなめはわるいひと - 304 Not Modified

    先日、うみねこがなく頃にというゲームをプレイしたのですが、その中に「チェス盤をひっくり返す」という表現が頻繁に出てきます。簡単に言ってしまえば、相手の視点に立って考えるということ。将棋なんかでも、攻められているときにどうやって守るかを考えるだけでなく、相手の立場になって-将棋盤を180度ひっくり返して-自分ならどう攻めるかを考えると全然違ってくるものです。 こういう話だとどうしても人狼BBSの話になってしまうのですが、人狼BBSの場合は一日たった20発言の中で、自分が人間であることのアピールをしつつ、村の中から人狼を探さなくてはなりません。なので、「この発言は人間っぽい」と思っても、“チェス盤をひっくり返して”考えると、人間だから人間っぽい発言をしたのではなく、人狼だからこそ人間っぽい発言をしているのだともとれるのです。 そんな心理戦を愉しみすぎたせいか、今でもブログを読んでいて「この人は

    まなめはわるいひと - 304 Not Modified
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