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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (7)

  • 思考と視覚表現の共犯関係についての考察を続けよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の記事「多義から一義へ:絵から図が分裂した17世紀」で紹介したジョスリン・ゴドウィンの『キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢』を読み終えました。 図版と思考の深い関係性について自分が考えていることがどれだけ的を得ているかを知りたいという興味から17世紀ヨーロッパに目を向け、手に取ったでしたが、読み終えたことでよりいっそう思考と図版を含む視覚表現との関連性についての関心が大きくなりました。それでいまは、もっとこの時代の図像と思考の共犯関係を明らかにしたいという気持ちからホルスト・ブレーデカンプの『芸術家ガリレオ・ガリレイ―月・太陽・手』を続けて読みはじめています。 ホルスト・ブレーデカンプは、前に書評記事でも紹介した、キルヒャーと同時代を生きた年下の哲学者・数学者で

    yuyol
    yuyol 2013/09/07
  • なぜ目に見えない青が写真に写るのか?:情報と感覚についてのちょっとした考察・前篇: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、ひそかに続けているのは夕刻の暗くなる時間を写真に撮ることです。 別に被写体はなんでもいいんです。その時間に写真を撮るのが目的です。いまのところ思い出した時に撮ってるので時間はバラバラですし、写真を撮るのを忘れてしまうこともあります。 何がおもしろくて、そんなことしてるかというと、その時間に写真を撮ると目には見えてない青が写真に写るからです。 綺麗な青を探してそんなことをしてるわけですが、いまのところ、京都で撮ったこの青が一番好きかな。 偶然撮れたこの色が撮りたくて、こんなことを続けてるんですけど。 ところで、こんな風に目に見えない青が写るだけじゃなくて、それとは逆に、写真って「あっ、この風景きれいだから撮ろう」と思っても、実際撮ってみたらイマイチってことありますよね。

    yuyol
    yuyol 2008/04/26
  • デザイナーであると同時にスタイリストであればいいのかも: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ちょっと前に「ライフスタイルの提案力をなくしたデザイン」に関連する話でちょっと思いついたことをメモ。 そこで書いたのは、 「誰もが他からの強制(力)を受けることなく、自らの生活様式を決定し、自由なデザインを使うことができるのだという前提を条件のひとつにして」「理想的生活や環境へのプロジェクトとしてあった」近代デザインという大きなプロジェクトは、「今日ではほとんど忘れられている」状況で、もはや何のライフスタイルの提案も生活環境の提案も行われることのない状況になっているわけです。 ということ。 僕の感覚ではどうもいまの世の中的に、デザイナーはモノのデザインはするけど、それが生活のなかでどう使われていくのかということが考えられずに、モノがデザインしているように思えてならないのです

  • 会社の外でどれだけのことができるか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 風邪が長引いています。とにかく喉がひどくて咳がとまらないのがやっかい。昨日も眠ったと思ったら咳が出て起きてしまったり、そのせいか熱も上がったり下がったりで、なかなか体調がよくならない。 今日は観念して午前中病院に行って喉の薬を吸引したら、喉はすこし楽になった。それでも外出してたら熱が上がってきたので、そのまま直帰してきました。そろそろ治ってくれないとつらいです。 ところで、話は変わって、webdogのジェット☆ダイスケさんのこの話にはすごく共感できたのでご紹介。 タイムカードを押して会社を出たあとも、コスト意識を持ち続けている。特に技術職ともなると、社外のプロジェクトをやるか飲み会に出るか、数年続けていれば差は歴然としてくる。 だから上司と酒飲んで愚痴を聞いたりしてる場合で

  • 自分の基盤を考えながらつくること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」に関連した話ですけど、勉強をするのにも、情報収集するのにも、自分の基盤となるものがないとダメだと思っています。 普段からどれだけ自分なりの問題意識をもって物事を考えているか、何かをインプットする場合に自分の基盤になるものと照らし合わせてそれがどのような関係にあるか、ということです。 基ができていれば、同じようなことを考えているほかの人のアウトプットをみた場合でも、どのような考えでそういうアウトプットをしたのかがパッと見でもなんとなくわかります。絵が浮かぶはずです。 即座に絵が浮かぶから、それをベースに応用することもできる。つまり、アウトプットが早いんです。 もちろん、その時点では借り物ですので、それを再度自分のものにする

  • 情報設計の重要性、わかってますか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ひさしぶりにユーザビリティの話です。 ただし、最初に言っておきますが、Webの話じゃないのであしからず。 ユーザーインターフェイスのサイズと情報の構造化情報設計を行う際には、情報をその内容に応じて、階層構造化します。 この情報の構造化が意味をもつのは「生きていることの科学/郡司ペギオ-幸夫」でも書いたように、情報量(コンテンツ量/機能の種類など)とユーザーインターフェイスの物理的なサイズとの関係から「部分情報問題」が起こりえるからです。 このように問題を定義するならば、これからのインタフェースは「部分情報問題」になるといわざるをえない。なぜならば、インタフェースにかかわる情報はより複雑化して増大する傾向にあり、ユーザーがこれらの多くの知識を個々の機械に対して把握することは容

  • 「わかる」ためには引き出しを増やさないと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 年末に「創造性を高めるために必要なもの」というエントリーを書いたときにも言いましたが、記憶の引き出しが多いってことがいかに大切かってことを最近身に染みて感じています。 なんで身に染みるかはまたおいおい書くことにしますが、ここで明確にしておきたいのは、自分の記憶の引き出しが多くないと、どんなに「わかる」機会を与えられても「わかった」という結果を得る確率が高まりませんよってことです。 そんなことをあらためて書こうと思ったのは、今日、会社の後輩に、問題解決と問題の定義の効率について質問されたからです。 「ある問題があったときにパッと解決案が出てくるのはなんでですか?」 「引き出しにある過去の経験から引っ張ってくるから」 「でも、どの解決案が適切かを判断するためには、相手が何を問題

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