一般に、本は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。 「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。 1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。 男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。 事
クトゥルー神話って日本でどう広まったの?『デモンベイン』が安心感を与え、現代怪奇としての『クトゥルフ神話TRPG』がニコニコ動画にマッチし、『ニャル子さん』がブーストさせた【インタビュー:森瀬繚】 2017年でクトゥルー神話は誕生100周年を迎えた。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品に始まったその世界は、彼と彼の友人を繋ぐコミュニケーションツールとして広がり、やがてその世界は神話となった。 (画像はH. P. Lovecraft – Wikipedia より) こと日本では、アナログゲーム『クトゥルフ神話TRPG』や、テレビアニメ『這いよれ!ニャル子さん』の影響が大きく、クトゥルー神話自体には詳しくなくとも、「SAN値」というワード、あるいは「ニャルラトホテプ」といった名前などを一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。 (画像はクトゥルフ神話 TRPG (ログインテーブルトーク
1980年代後半~90年代前半を中心に、現在「ライトノベル」と呼ばれている若年層向けエンターテインメント小説が誕生していく過程を、ライトノベル史に名を残す雑誌『ドラゴンマガジン』とその周辺状況に着目しつつ、著者が収集した多数の資料と同時代を経験した人物のインタビューから描き出す。 *『ドラゴンマガジン』とは… 富士見書房から1988年に創刊され、現在も若年層向けエンターテインメント小説を扱う専門誌の一つであり、出版社が同じ富士見ファンタジア文庫の刊行作品やその関連情報を中心に掲載している。〈ライトノベル雑誌〉の先駆的存在としても知られ、2018年には創刊30周年を迎えようという老舗雑誌である。 はじめに 第1章 『ドラゴンマガジン』創刊前後の状況 Ⅰ 〈ライトノベル雑誌〉への注目 Ⅱ 創刊から躍進までの軌跡 Ⅲ 雑誌・文庫レーベル・新人賞の関係性 Ⅳ 創刊号にみるビジュアル重視の姿勢 第2
ついに発表! 「銀河英雄伝説」実写映像化、いよいよ始動です。https://t.co/c8xqqNzc5Q— 安達裕章 (@adachi_hiro) 2017年11月1日 https://ginei.club/infoDetail.php?iKey=100 …中国の気鋭の映像制作会社、稼軒環球映画会社により、待望の実写映像化が実現することになった。 稼軒環球映画会社の総裁、銭重遠氏は、20年以上の経験をもつベテラン・プロデューサー。手がけた映画は、代表作「狼图腾」(Wolf Totem)のほか、「大海啸之鲨口逃生」(Bait 3D )、「最爱」(love for life )など、ドラマを含めると40タイトル以上にのぼる。また、20年来の『銀河英雄伝説』ファンであり、この作品の実写映像化に並々ならぬ情熱を傾ける。 稼軒環球映画は、中信、国美と中国を代表する大手企業グループの傘下にあり、今回
私的なことをいえばポプラ社に「SF教室」(筒井康隆)「推理小説の読み方」(中島河太郎)という大大傑作があり、これで自分もそのジャンルを読み始めたようなものでした。そういう本は途切れず出版されていると思ったのですが―。こういう子供向け入門や、名作のジュブナイル化は、次代の読者を育てるために「意図的に」作るべきではないか?という問題意識は、自分も持っているけど、プロ推理作家の芦辺拓氏も問題意識…というより危機感が強いようです。 カテゴリは「エンタメ」の「その他」に。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @ashibetaku @keep9_ @sayakatake @kenjisato1966 @shimojo334 @SagamiNoriaki @hidemotoNakada @eizenstppp @shima_usa96 @Pm2010Aje @jgagtgm
上村雅之・細井浩一・中村彰憲 著「ファミコンとその時代」。 1998年に実施された産学公のゲームアーカイブ・プロジェクトをもとに記された研究書。推進者である山下晃正・現京都府副知事の名も明記されています。 MIT界隈で開発されたゲーム技術が米国でブームとなり、アタリショックを経て任天堂が20年の覇権を築く。Vブッシュのmemexやエンゲルバート、アランケイやパパートから紐解くデジタルの進化史が描かれます。 実に面白い。 ゲーム史は、モノ・技術と、コンテンツ・文化とを掛けあわせ、ビジネスや社会を作ったワクワク感とゾクゾク感の蓄積です。これは超級の資料であり、メディア論の教科書にぼくは認定します。 AppleやAmazonやGoogleはなぜ日本から生まれないのか?と聞かれることがあります。いやいや、それらはみな任天堂の真似をしてるんです。技術とコンテンツを押さえ、流通を制したモデルです。その
【書評】『ミュシャ財団秘蔵ミュシャ展 展覧会カタログ』2000円(「ミュシャ展」は新潟県立 万代島美術館で開催中) 【評者】大塚英志(まんが原作者) ジブリ美術館がこの間まで、イギリス十九世紀末の挿画の宮崎駿への影響を自ら検証する展示会をしていたり、海野弘がバルビエなどのアール・ヌーヴォーの挿画や、イギリスのいわゆる“挿絵の黄金時代”の画家たちの作品集を次々刊行しているのを改めてみても、この国の少女まんが的な絵柄(ジブリの現在の絵は「少女まんがの絵」である)の起源がヨーロッパの世紀末やアール・ヌーヴォーあたりにあることは、改めて確認できる。 ぼくは手塚的な絵の起源を「ミッキーの書式」としてディズニーと1920年代のロシア構成主義に求めたが、もう一つ、「ミュシャの書式」とでも言うべき作法が少女まんがの成立史として検証されてしかるべきだと考えてきた。 ミュシャというとキャッチセール画廊の定番
十六世紀初頭から十七世紀末にかけて、神聖ローマ帝国=ハプスブルク家は強大なオスマン帝国の侵攻を撃退し続けた。フランスのように絶対主義体制の構築ができたわけでも、イギリスのように四方を海に守られていたわけでもなく、宗教戦争と度重なる国際戦争で疲弊し分裂した神聖ローマ帝国に、なぜオスマン帝国からの防衛が可能であったのか。その大きな要因として本書は、ハプスブルク家における実証主義的政治の誕生を挙げている。 『本書のテーマは単純で、オスマン帝国から国を守るという極限状況がハプスブルクに強いた、理想を追わず現実を直視するという心性が、十六世紀的な、世界を客観的、数量的に把握し分析するという技術と出会い、そこに強力な、説得力のある実証主義政治が生まれたというものである。脱魔術化しているという点において、この政治はすぐれて近代的な政治である。』(P229~230) この分析がとても面白い。もちろん、みん
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