「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。 私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ… https://t.co/KBNpLzEOmu
突然の「幼女への声かけ事案」 ところが、その夕刻、不当なことに私は警察官に職務質問を受けてしまうのです。何ということでしょう。聞くと、早朝にアロハシャツを着て短パンを履いた見ず知らずの中年が、母娘の登園時に声をかけたという、声かけ事案があったので調べているというじゃないですか。 アロハシャツを着て短パンを履いて挨拶をした中年は明らかに私です。 アロハシャツを着て短パンを履いた山本一郎氏 しかし、それは本質ではありません。問題の論点がずれています。善良な千代田区民が住民と挨拶を交わすという美しい行為が「幼女への声かけ事案」と疑われ、あろうことか不審者が街中をうろついているかの如く通報されたという、このわたくしに対する重大な人権侵害行為であります。挨拶しただけじゃん。誰だ、通報しやがったのは。人を見た目で判断してはいけません。私のような品行方正で穏やかで豊かな人間性に溢れた人物に対して、疑いの
本当に不思議なことが言われ続けている。これに、誰か、分かりやすく答えられるのはいるのだろうか? 母親が子供を殺したら、必ず「子育ての大変さ」を言うのが出てきて「父親が悪い」となって、男社会を叩きだし、子供を殺した母親よりも父親叩きになることがある。そして、やがては、「育児が世の中で最も大変」かのような口調で育児の大変さを語りだして、もうそこには子供を殺したという殺人行為がどこかに飛んでしまっている。 なるほど。大変なことであれば、人殺しでさえも相対化する方向で行くわけだね。 そもそも、世の中には「たかが育児」よりも大変なことなんか腐るほどあるわけだが。「たかが育児」って、これにキレるのか?そして、女性差別とか言い出すわけ? 少しだけ考えてみようか。 母親の子殺しでの健常者の女性の育児。世の中を生きて行くのは、健常者よりも障害者のほうが比較にならないくらいに大変だよね。健常者の女性の育児より
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