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30歳を超える前に「金のエンゼル」を作る 「30過ぎたら利息で暮らせ」とブログに書く内容をTwitterにメモしておいたら思いのほか拡散したので、いくつかの補足をしたい。元ネタは『エンゼルバンク』という『ドラゴン桜』の外伝漫画であり、事実上の続編で出てきた台詞である。本作は転職エージェントについて描かれている。 「30歳過ぎたら利息で暮らせ」 「利息?」 「どれだけ多くの利息を取って暮らせるか……そのためには何が必要か」 「必要なのはしっかりとした元金だ……金のエンゼルだ……」 エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(1) (モーニングコミックス) 作者:三田紀房講談社Amazon 転職者にとっての「金のエンゼル」を明確化し、その「金のエンゼル」が欲しい企業に引きあわせることで良い条件の転職をさせるのが転職エージェントの仕事。転職者の契約年収が転職エージェント自体への報酬に直結するので必死だ。ここ
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)を投稿させていただいたものです。 ちょっと苦しい思いを吐き出したいがためにこちらのダイアリーを使わせていただきました。 予想以上に反応をいただきまして自分でもビックリしています。 コメントも読ませていただきました。 未熟者にたくさんの意見をいただきまして本当に恐縮です。 コメントを読んで、ぼんやりと言いたいことが浮かんできましたので、 また書かせていただきたいと思います。 勢いで書いた、長い、まとまっているか不安、の三拍子なんで、 お付き合いいただける方だけ、どうぞ。 徒然なるままにってやつです。 さて、前回の記事の前置きとして二つの事柄に触れておきたいと思います。 私をメンヘルとご指摘くださいましたが、その通りです。 もうひとつの記事でも触れましたように、私は精神病を患っています。 そのため、そ
誰でも死体をグロテスクに思うわけだが、このおぞましく湧き上がる感情こそが、人類共通のマニュアルなのである。 参照できてこそマニュアルというのであるから、ここまで自分と一体化した感情はマニュアルとさえ言えないかもしれないが、どちらにせよ死体はグロテスクにしか思えない。 そもそも生きている人間が開腹しているところだって見たくはないし、内臓はグロテスクであると決まっている。 われわれは素肌に美しさを求め内臓に嘔吐することになっている。 もし仮に死ぬと水蒸気のようになって消えて無くなるとしよう。 そうであれば、死のイメージはかなり変わるはずだし、気軽にも思える。 だが、そうであるなら、その水蒸気のように消えることをグロテスクに感じるように設定されるかもしれないし、やはり死というのはネガティブな感情と紐付けられるのであろう。 われわれはこの設定を自分で決めているのではないが、この感情というものを夾雑
僕は一時期、禅や仏教のいうところの「悟る」という事について強い憧れを抱いていた。 いったい悟りを開くということは何なのか、開くとどうなってしまうのか、そもそも悟りってなんなんだ。同じような疑問を持っている人は結構いると思う。 今では個人的な様々な経験と知見により、悟りがどういう事なのかわかっている。 実は現実社会ではみんなが知らないだけで悟り一歩手前に近いような事をやっている人は結構いる。端的に言い切ってしまうと、あれは苦しみという肉体的負荷を利用したある種の脳の認知の捻れを体得し、そして超える事なのである。 古くから人は苦しみを抱えてきてきた。人は生きているだけで苦しいという事を言ったのは仏陀で、彼はそれを四苦(生・老・病・死)と、これに社会生活を営む上で逃れられない四つの苦しみ加えて八苦と現した。 驚くことに、人の苦しみの原因はなんと紀元前に既にもれなく無駄なくMECEされてしまってい
自分は自他共認めるコミュ障だが先日ブログを始めたところ文章を書くときでさえコミュ障であることが判明した。具体的な症状を挙げると読者との距離感が分からない。なので敬語や平語を筆頭に口調がめちゃくちゃになってしまう。さらに相手の理解度が分からない。説明のための説明などで文章があらぬ方向へ飛んでしまう。おまけに説明力が無い。出来事を書こうにもどこから話したらいいものだか分からずくっどい文章になってしまう。学生の頃は国語の成績はかなり良かった。だが詰問ではなく自由に書けとなるとこの有り様である。このヘッタクソな文章もかれこれ1時間半掛けて書いている。なぜみんな息を吸うように上手い文章が書けるんだツイートする
人を殴れる人間と殴れない人間が世の中にはいるが、自分は殴れない人間だ。 これまで一度も人を殴ったことはないし、 学生時代のある時かなり侮辱されて頭に来たことがあったがその時も手を出すことはなかった。 もちろん、人を殴れない人間の方が常識的に考えれば良いに決まっているのだが、 でも俺は殴れる人間の方が得だと思ってしまう。 もちろん、無闇矢鱈に暴力をふるうようなハラスメント野郎とは違う。 俺がなりたいのはいざというときに人を殴ることができる人間だ。 例えば、自分の尊厳がひどく傷つけられた時や自分の大切な身内が危機にあったとき、 そんな場面でも殴れない俺ならおそらく一方的に傷つけられるままにその場を誤魔化して終わりだろう。 でも殴れる人間ならいざという危機の時に抗うことができる。 そしておそらく悔いが残らないのは殴ることができる方だ。 まあこんな場面に遭遇するのは一生に一度あるかないかだろうが、
やめて!もう私のメモリーは0よ! ぐへー、しくしく。 なんて。 あのさ、私のPSPのそのメモリカードがいっぱいなので そりゃ、Mr.ドリラーのエディットモードで1000mステージ何個も作ってたら いくらメモリーがあっても足りないわよね。 で、新しいメモリーカードを買ったの! いいでしょ! しかも、他と間違いないようにって赤いメモリーカードにしたの! それでさあ、 昔にメモリーカード買ったときと今の私の性格って一緒じゃない。 PSPメモリーカード入れ替えようとして開けたら 赤いメモリーカードが入っててビックリ! 私って昔と変わってないのね! ハロー!昔の私! って、笑っちゃったわ! 今日の朝ご飯は黄色いタマゴサンド。 デトックスウォーターは パプリカ、トマト、スイカの赤シリーズ。 やっぱり野菜臭いので 野菜のデトックスウォーターは 最初は控えめなのがいいわね。 すいすいすいようび~ 今日も頑
バーに行けるようになったら大人です。 バーの椅子は座りにくいように出来ています。 椅子に座るには姿勢を崩さないように、背筋をグッと伸ばしてバランスをとります。 そうすると、本人からしたらただのやせ我慢でも、外からみると立派な大人達が並んでるように見えるのです。 大人になるのではなく、大人という状態になるのです。 それが大人の正体です。
40歳になった。 20代のはやいうちに結婚もして、子供も作った。 子供が大きくなる頃に離婚して、ひとまわり以上歳下の女と付き合い、別れ、を繰り返した。 食いたいものを食って、世界中旅して、仕事もして、稼いで、税金も払った。 やりたいようにやっていたつもりだけど、なんか人生の楽しみはもうネタ切れかと思ってる。 女を見ても昔のようにときめいたりしない。 口説いてやろう、とも思えない。 遊び飽きたゲームのように、ワンパターンで、驚きや発見というものがない。 40歳は不惑というけれども、気がつくと生きる活力を無くした抜け殻になっているだけだった。 惑わないのではなく、選択肢がなさすぎて惑えないのだ。 これからまだ20年、ひょっとすると40年、同じように時間が過ぎていくと思うとつらい。
今日高校の同級生とあってきたんだけど、そのうちの一人が雰囲気美人だった。 正直な話、顔の造形だけを取ればその子より私の方が整っているんだけど、どうかんがえてもその子の方がモテそうなんだよな。 私はモテてるとは言い難いし、モテても処女厨とかDV男とかなので、男に下に見られているんだと思う。言うこと聞きそうというか、はっきり言って芋っぽい。 黒髪ボブで化粧も薄くてサブカルになりきれないみたいな格好しているからダメなんだろう。 大学のゼミでも同じようなことを思ったことがあった。二人の女の子の後輩がいて、一方の方がどう見てもかわいい顔してるのに、もう一方の方が断然モテそうだった。 かわいい顔している方は髪の毛も気を使ってる感じはないし、服装も田舎の中学生でももうちょっとおしゃれしてるよという感じ。 モテそうな方はきちんと手の入ったショートにシンプルでカジュアルなんだけど清潔感と清楚さを感じさせる格
もうね、ミニマリストとかどうでもいいんだけど、いくらかのものを読んでて思ったのは「世界に一人だけの私という個人」という価値観は人類には荷が重かったんだよってことだなあ。 社会ってのもそうだし、大きくても小さくてもコミュニティってのはそうなんだろうけど、結局のところみんながいて私がいて、美味しいものはたいていの人は美味しいと思い、カッコイイものはたいていの人がカッコイイと思うわけで、そうじゃなかったら価値観が共有できなくてつまんないし、自分だけの何かを見つけて満足している自分が自己満足に思えてきた時が精神崩壊の危機だと思うんだよなー。 で。 そういうところで相対的に自分に特有の価値観で満足感を得たかったらそりゃあ少数派だけど分かる人には分かるカッコイイ私というシナリオしかないわけで、そうするとそれを満足させるためのサービスとかが現れるわけで、ありゃアレだ、サクラしかいない結婚相談所と大して変
なんかさ、メシマズの話題になる度に 「男はなにもしないで文句だけ言う」 「文句をいうなら自分で作れよ」 みたいなコメントが並ぶんだが、嫁姑問題に疎いんだろうな、といつも思う。 それが悪いとは言わない。想像力が足りないとも思わない。 女性でも当事者にならないと想像しづらいし。 ちょっと想像して欲しいんだが、オマエさんが職人だったとするな。 壺を作るとか、漫画を描くとか、なんだったらiPhoneアプリ作るんでも良いよ。 一日のウチ、かなりの時間をその作業に費やす職人だ。 良い仕事をしたいと思ったらどうする?そう、環境を整えるな。 ろくろの位置、ペン軸の太さ、使うエディタのショートカット。 で、ある日、「オマエの仕事に文句があるから、俺にやらせろ」ってヒトが入ってくる。 引き継ぎじゃ無いんだよ。廃業しろと迫るわけじゃない。ちょっと代われって感じ。 それさ、代わる?自分の神聖な作業場に他人が入って
日本の就労者のうち、サラリーマンは80%を超えるらしい。 確かに、駅やお店、街中などどこにでも必ずサラリーマンはいる。 私はサラリーマンではないが、毎日毎日サラリーマンの疲れきった顔とだらしない身体を見てるだけで寒気がする。 中には居酒屋や電車で横柄な態度を取り、「おれ様は働いてるんだー!」といわんばかりに周囲に迷惑をかけるおじさんも。 あのね、大人になったら誰だって働いてるんだよ。いつからサラリーマンがヒエラルキーの頂点になった? 会社のストレスや鬱憤を関係ない人にぶちまけるなよ。 そのくせ仕事や役職に不満たらたらで辞めたいだのどーだの言う。さっさと辞めて好きなことすればいいじゃん。 どうでもいい自尊心と老いていくうちに消えた羞恥心をその顔や身体、オーラで表現するサラリーマンがうざい。 まずは身なりを整えてください。
情熱が立ち消える。 行動派な方なので何か新しい事をしようとするととてもワクワクして、念入りに調査をしたり計画を立てたり準備をする。 たとえば旅行の計画をしていると物凄く楽しい、毎日決行日が楽しみになる。あそこに行きたい、ここに寄りたい、時間が許せばここも回りたい。 同行者とのスケジューリングも綿密に織り込んで、アイツはここに連れて行くと喜びそうだ、コイツにはこれを食べさせたい。 だが旅行の2日前位から急に全く興味が無くなる。 最終的な荷物のパッキングなんか当日の出発前にやる事が殆どだ。 当日天候や道路の混雑などアクシデントが発生してどうしようか、という時だけ妙に元気が出る。 旅行に限らず、仕事でも遊びでも、恋愛でもそう。 好きな人が出来て落とそうと権謀術数を尽くしている間は楽しいのだが、イザ状況が整うと途端に立ち消える。 計画を頑張りすぎて燃え尽きたとかではなく、前触れも無くふっと吹き消す
医療従事者や、身近にそうなった人がいて病院に通っていた人なら判るように、老人は簡単に認知症になる。 ヒトのように見え、ヒトのように行動するなら、それはヒトなのだ。 でも、認知症は、病気ではなく症状で、治らない。元には戻らない。 そうすると、ヒトに見えるのに、ヒトとして扱えなくなる。 認知症の老人が居たとして、その老人が食事がとれなくなったりする。点滴だけで生かされている。 その老人が生き続けるか死ぬかは、家族が決める。本人にはもう決められないからだ。 老人は簡単に認知症になる。 当然、病院にはとても沢山の認知症の老人が居る。基本的にはある程度の期間で死ぬ。 そして、老人本人にとってはどう死ぬ事になっても結局同じだということは、理性では判っている。 もはや自分のことが誰だかもわからない、下手すると目で動くものを追ってるだけ。 そんな老人は、家族が泣いてくれようが、事務的に処理されようが、何の
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