僕にとって受験は、人生からの脱出ゲームだった。しかし、大学に入ってすぐに周囲との大きなギャップに気付いた。進学の意味づけ、ライフコースの解像度が、全然違う。自分にとって自由の始まりだった大学は、多くの人にとって整備された手順の一つだった。
先週、東京出張で那覇空港から羽田へと往復しましたが、どちらのフライトも、ほぼ満席。那覇空港のロビーは写真のように大混雑していました。春休みの観光シーズンが到来したようです。この光景は久しぶりです。 パンデミックの影響で海外旅行も難しくなりましたので、春休みの家族旅行や卒業旅行で沖縄が選ばれるようになっているそうです。首都圏の緊急事態宣言が解除されたことも、解放感を高めているかもしれません。 しかしながら、コロナは人の移動について回ります。すでに、沖縄県は、新型コロナウイルス流行の第4波へと入りました。直近1週間の人口10万人当たり陽性者数は5.21人/日で、宮城県の5.85人/日に次いで全国で2番目となっています(図1)。 なぜ、これほど流行が繰り返されるのか・・・、沖縄県で感染症医をしていると、しばしば質問されますが、明確に根拠をもって説明することは難しいです。少なくとも、「観光客が多い
はじめに 「【転職エントリ】Googleに入社します|Lillian|note」という、医師から未経験で Google のソフトウェアエンジニアになった記事があります。 note.com 私は、この記事に出てくる「とある元 Google のソフトウェアエンジニア」で、面接の対策を立てました。 記事が出た当初から大反響で、私もそれなりの反応を見まして、いろいろと誤解されているなあ、と思う一方、アドバイザーはあくまでもアドバイザーだから、アドバイザーとして知りえた情報については、口をつぐむべきだと思っていました。 ただ、あまりにも誤解されており、悪影響が大きく、犠牲者も多くなってきたと思ったので、許可を得て簡単に背景を書いておこうかと思います。 これはあくまでもアドバイザー側からどう見えていたかを書いておくものですが、医学部卒だけでも3,4人 Google や Amazon に入っていったおぼ
居場所をなくし、孤独と恐怖に苛まれ ――『女子少年院の少女たち』を書くに至るまでに、さまざまな経験をされたかと思います。まずは中村さんが女子少年院に送致されるまでの経緯を教えてください。 中村 子供の頃は家にいたくなくて、同じ気持ちを持った子たちと知り合ってからはどんどん悪いことを覚えていきました。中学2年生のときに暴走族の仲間と出会って、家にも学校にも居場所を感じられなかったけど、そこが居心地のいい場所になって。 “チームを大きくしたい”というやりがいも見つけて、仕立てた特攻服をみんなお揃いで着るのも、今で言うコスプレ感覚で楽しかった。中学校卒業の時期に、まわりが進学するなかで“私は暴走族として生きる”って決意して、卒業から半年後には暴走族の総長になっていました。 そうなったら今度はもっと暴走族を極めたくなって。その結果、傷害事件で少年院送致になりました。ただ、そこでは全く反省していなく
全国に9か所ある女子少年院。犯罪に手を染めてそこへ入ることになってしまった少女たちは、“普通”が何かわからないという。 「自分も同じ思いだった」と語る中村すえこさんは、自身も少年院に入院したという経験を活かし、ノンフィクション『女子少年院の少女たち ―「普通」に生きることがわからなかった』(さくら舎)を上梓した。 中村さんが著書出版に至るまでの経緯を教えていただいた前編に続き、後半では取材を重ねた女子少年院の少女たちの実態について詳しく伺った。(全2回の2回目。前編を読む) 性的虐待を受けても「お母さんが幸せそうだったから言えなかった」 ――少女たちを取材していて印象的だったエピソードをお聞かせください。 中村 「幸せになるのが怖い」、「幸せを感じたことがない」、「少年院に入った自分が幸せになっていいのか」、そんな言葉を何度も彼女たちの口から聞きました。そんな思いを抱えるに至るまで、今まで
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