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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (24)

  • 『史学概論』遅塚忠躬(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 歴史学とはやっかいな学問である。いくら説明しても、なかなかわかってもらえない。それは、だれもがよく知っている歴史の延長線上に、学問としての歴史学があると勝手に思って、わかろうという気もないからである。世間一般の人びとが認識している歴史と、学問としての歴史学は、似て非なるものであることに気づく者は、それほど多くない。そして、それをわかりやすく説明できる歴史研究者は、数少ない。そんな数少ないなかのひとりが、著者の遅塚忠躬である。 冒頭の「はしがき」で、著者はつぎのように書き出している。「歴史学に従事している人びとは、その従事する学問の性質について、大筋では共通の見解をもっているかといえば、けっしてそうではない。そこには、雲泥の差が見られ、ときには正反対の見解が対立している。したがって、私には、「公平な」史学概論を書くことはできない」。だから、著者は、「はしがき」で「読者に

    『史学概論』遅塚忠躬(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    contractio
    contractio 2021/11/05
    早瀬晋三(2010)「『史学概論』遅塚忠躬(東京大学出版会)」 書評空間、紀伊國屋書店
  • 『国家貴族』Ⅰ、Ⅱ ピエール・ブルデュー(藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 →紀伊國屋書店で購入 「鮮やかで華麗な手際」 作家や思想家などの知識人と政治家や官僚・財界人のテクノクラートとでは、ハビトゥスも活動する社会空間=界も大いにちがう。そのせいだろうが、知識人を研究する者はテクノクラートの研究をしない。テクノクラートの研究をする者は知識人の研究をしない。しかし、テクノクラートを合わせ鏡にすることで知識人界の特質がわかり、知識人を合わせ鏡にすることでテクノクラート界の特質がわかるはずである。知識人とテクノクラートの研究は分業ではなく、一人の人間が両方おこなうことが大切であるようにおもわれる。権力の社会学は知の権力性をあばくが、テクノクラートについて研究しなければ、権力作用の解明に片手を突っ込んだだけといえる。 そんなことから、ほんのとっかかりにすぎないが、拙書『丸山眞男の時代』(中公新書)の第三章(「絶妙なポジショニング」)では、ロイック・

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    contractio
    contractio 2018/04/16
    2014年3月の記事。
  • 『ならず者たち』デリダ,ジャック(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「デリダの理論の深みをうかがわせる」 帯によるとデリダの「晩年の主著」である。この書物は二つの講演で構成される。一つはスリジィの恒例の一〇日間にもおよぶ講演とセミナーでの長文の記録「強者の理性--ならず者国家はあるか」であり、もう一つは「来るべき啓蒙の〈世界〉--例外、計算、主権」である。 最初の講演ではデリダは、アメリカ合衆国が一部の諸国を告発するために使った「ならず者国家」という概念をとりあげて、そのいかがわしさを暴き出す。ここまではチョムスキーと同じだと思われるかもしれないが、問題は政治的なものに限られない。主権と理性の問題であり、生の自己保存としての免疫と、それが生そのものを滅ぼしてしまう自己免疫、「死の欲動」(p.299)の問題でもある。アクチュアルな政治的な問題を哲学の根問題にまで引き戻す手腕は、アガンベンとデリダの二人の思想家の際立ったところだろう。

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  • 『マルクス 資本論の思考』熊野純彦(せりか書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「時間のエコノミー、時間のテクノロジー」 今どき七百頁余のマルクス論を書き下ろす。しかもカントやハイデガーの主著の翻訳を完成させる片手間に、である、いや、ひょっとすると『純粋理性批判』や『存在と時間』の訳業のほうが片手間かもしれず、『資論』解釈こそ命かもしれない。著者はそんな自分の仕事ぶりを、「おそらくほとんど正気の沙汰ではない」と評している(「あとがき」)。そんな「錯乱」(同上)する哲学者の出現を、われわれは長らく待ち望んできた。 いよいよ熊野哲学の全貌が姿を現わす。書を手にとった瞬間、そういう期待というか、畏れが心をよぎった。ヘーゲルにメルロ=ポンティ、レーヴィットにレヴィナス、いや古代から近代、現代までの西洋哲学史の総体をも、ひいては和辻哲郎、埴谷雄高までも、自分の中に深く摂り入れた、オリジナルな思考がここに展開される。――そんな光景がこの国で繰り

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    contractio 2016/11/04
    嫌味が芸として昇華されておる。
  • 『反コミュニケーション』奥村隆(弘文堂) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「「よい」コミュニケーションをイメージする功罪」 「私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない・・・・」。こんな意外な(あるいは、図星を突いた)言葉で、このは始まります。著者の奥村隆さんは、立教大学社会学部教授。以前、私が千葉大学文学部に助手として勤めていたときに同僚(先輩)としてたいへんお世話になった方です。「あとがき」によると、このは、立教大学での「自己と他者の社会学」および上智大学での「コミュニケーションの社会学」という講義に論文を織り込んで作られたものです。コミュニケーションが嫌いで仕方のない(でもコミュニケーション抜きには生きていけない)著者が、さまざまな社会学者や思想家などを訪ねて歩き、議論してまわるというユニークな設定が施されています。 このような設定であるため、おおよそ一章ごとに一人な

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    contractio 2014/01/29
    「ニコラス・ルーマン」いただきました。
  • 『哲学の起源』柄谷行人(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「イソノミアの再発見」 書では、ハンナ・アーレントの革命論、なかんずく「イソノミア」論が取りあげられている。アーレントに入れあげてきた私のような者にとって、その哲学者の中心問題に、著名な批評家が注目してくれるのは、喜ばしいことだ。 売れ筋のを紹介するのは欄の趣旨にそわないが、「哲学の起源」というタイトルを掲げて古代哲学史の書き換えを迫る著者の挑発につい乗せられて、やぶへび覚悟で応答するのであれば、それはそれで構わないだろう。古代哲学や政治思想史の専門研究者には慎重居士が多いので、専門分野に殴り込みをされてもはかばかしい反応は期待できない。書に飛びつくのは、生半可なアーレント読みにふさわしい役回りというものだろう。 先日行なわれた2013年度センター入試の科目「倫理」に、アーレントの用語法についての出題があった。『人間の条件』がつまみい的に引用され、そこで語ら

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    contractio
    contractio 2013/02/04
    いつか使う:「その入試問題を見たときに感じた違和感と似たものを、つまり、それはないだろうとの思いを、」
  • 『世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』辻田 真佐憲(社会評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「あの麻木久仁子氏もtwitter上で所望した貴重な網羅的資料集」 はじめに、で書かれているように、書は「軍歌の標」となるべく、「世界各国の軍歌をひとつの素材として取り上げることで、各位の興味や趣向にあわせて随意に翫賞してもらうこと」を目的としたものである。 よって取り上げる素材に比して、おどろくほどその内容はイデオロギッシュなものではない。国粋主義的な視点からそれを称揚するのでもなく、左派的な視点からそれを批判するのでもない。 それゆえにこそ、バランスよく多様な軍歌がちりばめられた書は、まずもってその網羅的な資料集としてのハンディな価値を評価すべきなのだろう。 だが、ある意味で筆者の意図したとおりに、その資料集は私(=評者)の社会学的な問題関心を幾重にも刺激してやまないものであった。 以下、箇条書き的にいくつか感想を記してみたい。 まず書を通して、軍歌という

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    contractio 2012/08/24
    本日ご教示いただいた本。
  • 『両インド史 東インド篇』ギヨーム=トマ・レーナル著、大津真作訳(法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 →紀伊國屋書店で購入 書を、わたしはどのように読んだらいいのだろうか。書の出版されたフランス革命前夜の研究なら、それなりの読み方があるだろうが、17世紀の東南アジア史研究のために書を読むとなると、どのように読んでいいのかわからない。18世紀後半の著者の目を通したものであるから、原史料ではない。近現代の研究者のような客観性もない。1字たりとも引用することはできない。しかし、18世紀後半のヨーロッパ人知識人が、どのような「東インド」観をもっていたのかはわかる。それも、16世紀からの連続性のなかで、理解することができる。書を自分の研究に活用できないのは、明らかにわたしの未熟さによる。 書は、レーナル編纂の『両インドにおけるヨーロッパ人の植民と貿易の哲学的・政治歴史』全19篇のうち最初の5篇を訳したものである。初版は1770年に出版され、何度も版を重ねている当時の

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  • 書評空間 : 書物復権2012

    岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の8社による<書物復権>共同復刊事業は、ベストセラーや文庫、新書に押され、書店の店頭から消えていくことの多い人文系専門書の普及策として、品切のまま重版できずにいる古典や基書を、読者のリクエストをもとに、よみがえらせようとする企画です。1997年の初回開催以来、復刊された品切書は600点以上にのぼります。 成田共助[法政大学出版局] 恒例の〈書物復権〉8出版社共同復刊もおかげ様で第16 回目を迎えます。小部数の専門書を、もう一度蘇らせるこの事業は、多くの読者に支えられ、継続した企画として評価を受けるようになってまいりました。 近年の出版業界は売上高において漸減を続けており、20 年前の市場規模に戻ってしまったと言われています。活字メディアの環境変化、購読スタイルが多様化しつつも、復刊を求める読者の

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    contractio 2012/01/26
    書物復刊!リクエスト締め切り 2012年2月29日(水)
  • 『アドルノ伝』シュテファン・ミュラー=ドーム(作品社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「最強のアドルノ伝」 格的なアドルノ伝。ロ-レンツ・イェ-ガ-の『アドルノ ― 政治的伝記』が「政治的な」という但し書きをつけたのが、少しわかる。こちらは研究者がじっくりと調べた伝記で、あまり楽しい逸話はないとしても、アドルノの思想的な動きが詳しく追跡されているのだ。現在のところ、最高のアドルノ伝と言えるだろう。 たとえばウェーバーの跡を継いだ音楽社会学的な構想は、クシェネクとの対話のうちで、練り上げられる(pp.174-185)。作曲家でもあったアドルノにとっては、音楽とその批評は他の哲学者の誰にも負けない領だったが、音楽批評の方法は同時にアドルノの方法論を決めるものでもあった。 アドルノは、大作曲家は、「まさにその外見上の主観主義のなかで客観的な社会的要請のメガフォンとなる」(p.176)と考える。このようなイデオロギー的な批評方法を採用することで、アドルノは

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    contractio
    contractio 2011/12/08
    「アドルノはどんな女性とでも、席を同じくするすぐに口説き始める」「誰でもいい」「一人一人の女性の個性に対して〈色盲〉のようだった。どうも〈女性それ自体〉が自動的に彼に火を点すらしい」(p.72)
  • 『可視化された帝国-近代日本の行幸啓』原 武史(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「想像の共同体」ではなく「可視化された帝国」」 「目からウロコが落ちる」という言葉があるが、私にとって、書を読んだ時の感想もそれに近いものがあった。 書の骨子は、ベネディクト・アンダーソン流の「想像の共同体」論を、近代日の実情に照らし合わせながら、批判していくところにある。 アンダーソンの『想像の共同体』は、近代史や歴史的な文化研究を志す者にとって、いわばバイブルの一つだが、その内容とは、国民国家の成立にメディアが果たした役割を指摘したものといえるだろう。 すなわち、それまで時空間的に独立していた国内の各地方が、新聞や書籍といった出版メディアが登場したことで、共通の言語を用いて、あたかも一つの問題関心を共有するような感覚を覚えるようになり、それが国民国家としての統一につながっていった、というものである。日においても、明治期の近代国家の成立過程を批判的にとらえ

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    contractio 2011/05/30
    「近年ではメディアといえば情報を伝達する手段と捉えられることが多い」が「「人々を結びつける技術的な手段」という点においては、鉄道もメディアの一つである」「マクルーハン『メディア論』の冒頭にも、鉄道が」
  • 『妄想少女オタク系』紺條夏生(双葉社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「女子も男子も楽しめるマンガ~少女文化のゆくえを考えるヒント」 面白いマンガである。しいてジャンル分けをするのならば、少女マンガというカテゴリーに位置づくのだろうが、およそそうした既存のカテゴリーを大きくはみ出した作品である。 恋愛や性をテーマにしたマンガでありながら、女子が読んでも男子が読んでも楽しめるというところに、この作品の最大の特徴がある。そうしたマンガは、これまでなかなかありそうでなかったように思われる。その理由はマンガがジェンダーディバイドの最もはっきりとしたメディアの一つだからであろう。稀有な事例として克亜樹氏の名作『ふたりエッチ』などが思い浮かぶが、それであっても、男性向けと女性向けは別々のシリーズとして刊行されている。 これは、いわゆる「お色気サービスシーン」がどちらに対しても用意されているというだけではない。性愛をめぐる様々な関係性のパターンが面白

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  • 『偶有(アクシデント)からの哲学-技術と記憶と意識の話-』ベルナール・スティグレール(新評論 ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「スティグレールの哲学の巧みな要約」 書は、スティグレールの技術と時間についての著書の内容について、フランスのラジオ番組での連続インタビューで要約したものである。これまでスティグレールの著書は何冊も訳されてきたが、彼の特異な前歴もあって、周辺的な話題に注意が集まってしまう傾向があった。書では彼の思想の筋が、短いインタビューのうちで巧みに語られている。 スティグレールはデリダの指導のもとで技術論を研究してきたが、ときにメディア論とも近い形で展開される彼の技術論は、哲学的にも興味深い観点をいくつも提供している。『技術と時間』の第一分冊ではとくにハイデガーの技術論の考察が展開されたが、ハイデガーと同じようにスティグレールも、古代のギリシアの哲学のうちに、技術論と哲学の深い関係をみいだす。 ただしプラトンに始まるこの関係は負の関係性として描かれる。プラトンはソクラテスの

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    contractio
    contractio 2010/11/02
    「本書は、スティグレールの技術と時間についての著書の内容について、フランスのラジオ番組での連続インタビューで要約したものである」
  • 『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「教会の歴史からみる中世史」 ウェーバーは、組織をアンシュタルトとセクトに分類した。アンシュタルトは人々が生まれ落ちるように加入させられる組織であり、セクトは人々が自主的な意志をもって参加する組織である。アンシュタルトの代表的な組織が教会と国家であるが、書は教会と国家が一体的なアンシュタルトであった中世を通じて、教会の歴史を(ということは国家の歴史ということだが)追跡する。「近代国家が逃れようのない社会であるのと同様に、教会も[中世においては]逃れようのない社会であった」(p.7)ためである。 中世の教会は、国家であった。それは国家のすべての装置、すなわち法律、法廷、税金、徴税人、巨大な行政機構、キリスト教世界の市民と内外の敵に対する生殺与奪の力を備えていた(p.8)。 しかし問題は教会には警察権力がそなわっていなかったことである。人々を罰することができるとしても、

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  • 『物乞う仏陀』石井光太(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「恐るべき才能をもったノンフィクション作家の誕生」 石井光太。いまもっとも勢いのあるノンフィクション作家だろう。 書は、石井光太のデビュー作である。 アジアの身体障害者、乞を取材。取材したエリアは、カンボジア、ラオス、タイ、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ネパール、インド。長期取材である。ときには障害者の物乞いとともに生活して、その肉声を取材している。 これまでの日人ノンフィクション作家の常識を越えた取材内容である。貧困地域の取材記録をした作家はいる。その多くは、一瞥した、数日一緒にいた、というごく常識的な取材の厚みだったのではないか。石井光太は、ともに暮らし、おなじものをべて話を聞いている。しかも若い。1977年生まれ。とんでもない才能が出てきた。 若いが故にできることがある。それは、差別された人間の苦しみを想像することができないことだ。取材当時25歳。健

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  • 『性同一性障害のエスノグラフィ――性現象の社会学――』鶴田 幸恵(ハーベスト社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「医療化とカテゴリー、アイデンティティ」 自らの性別について何らかの違和感を覚え、「男/女」の間を越境して、自分にあった性の状態を求める人がいます。このような人たちのことは、かつては「異性装趣味」とか、あるいは「変態」といった言葉で名指されていましたが、近年、「性同一性障害(Gender Identity Disorder、略称GID)」という言葉が人口に膾炙するようになり、以前に比べるとよく知られるようになってきています。この背景には、1990年代以降、性適合手術(sex reassignment surgery、略称SRS)を合法的に行うことができ、場合によっては戸籍変更も認められるようになった、という社会変化があります。つまり、かつては逸脱ないし異常として見られるだけだったのが、医療の監督のもとで、きわめて人にとって重い問題であると判断される場合にのみ、身体に

    『性同一性障害のエスノグラフィ――性現象の社会学――』鶴田 幸恵(ハーベスト社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    contractio
    contractio 2010/07/30
    鶴田本書評。
  • 『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』野口雅弘(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ニーチェの視点から読み直すウェーバー」 ウェーバーについて伝統的に語られている八つの通説にたいして、その反論を計画したもの。一読すると個別の論文を集めたもののような印象があるが、明確な計画のもとで書かれたドイツ語の博士論文をみずから邦訳したものらしい。まとめがうまいので、そのまとめ(p.180-183)を紹介することにする。 (一)通説ではウェーバーの理論の哲学的な基礎は方法論、すなわち「科学論」にあるとされているが、著者はニーチェの遠近法がウェーバーの方法であることを指摘する。遠近法であるからには、多元性と相対性が了解されているのであり、科学的で客観的なスタンスが求められているわけではない。 (二)ウェーバーの権力政治的な理論と近代西洋合理主義は、機能分化という観点から説明できると考えるのが通説であるが、著者は西洋の合理主義を、中国の儒教やインドのカースト制度に基

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  • 『「ひきこもり」への社会学的アプローチ――メディア・当事者・支援活動――』荻野達史・川北稔・工藤宏司・高山龍太郎(編著)(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「社会問題を無条件に「解決すべきもの」ととらえるのではなく、かといって支援に無関心でもいられない」 近年「ひきこもり」という言葉を頻繁に耳にするようになってきました。例えば、数年前にニート支援を卒業論文のテーマにした学生が、ある支援機関へ聞き取り調査に行ったときのこと、その学生は、利用者にはいわゆる「ひきこもり」の人が多いらしい、という報告を持って帰りました。「ひきこもり」というと、何となく「部屋にこもって誰とも会わない」というイメージがあるけれど、改めて考えてみると一体何だろう? それは「ニート」とは違うの?――何かすっきりとしないまま、とりあえずその学生には「ひきこもり」という用語は用いずに「ニート」に統一して卒論を書くように、と指示したのでした。 その後、このの編著者の一人であり、私が現在勤めている富山大学人文学部のお隣にあたる経済学部に所属されている高山龍太

    『「ひきこもり」への社会学的アプローチ――メディア・当事者・支援活動――』荻野達史・川北稔・工藤宏司・高山龍太郎(編著)(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    contractio
    contractio 2010/03/16
    「何か実体的な状態としてとらえるのではなく」みたいな表現は 50年ほど禁止してみてはどうだろうか。
  • 『東京骨灰紀行』小沢信男(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 大阪市立大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ : 『人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて』竹沢泰子編(人文書院)

    →紀伊國屋書店で購入 書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 以前にも書いたことがあるが、基的に論文集は、単著であっても編著であっても、この書評ブログでとりあげないことにしている。全体に一貫性がなく、ひとつの書物として、読んで学んだことがまとめにくいからである。しかし、書は違った。著者の問題提起に、各執筆者が応え、まとまりのあるものになっており、読んで学ぶことが多かった。 書は、京都大学人文科学研究所の共同研究会「『人種』の概念と実在性をめぐる学際的基礎研究」を基に、ふたつの国際シンポジウムの成果をまとめたものである。この「基礎研究」と銘打ったところに、書の成功の鍵があるようだ。書の執筆者の多くは、すでに個々の研究において、まとまった成果を単行として発表している。基が充分にできて

    大阪市立大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ : 『人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて』竹沢泰子編(人文書院)