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mentalに関するfootnoteのブックマーク (7)

  • 習慣化7つのコツとは?失敗しないポイントも徹底解説

    習慣化とは、同じ状況のもとで繰り返し行われた行動がやがて定着し、(意志とは関係なく)自動化されて行われることです。 習慣化には、人生そのものを大きく変える力があります。習慣化のコツさえつかめば、自分が思うように生きることが可能になるでしょう。 しかし、実際には習慣化が苦手で、挫折してかえってつらい思いをしている人が後を絶ちません。当にもったいないことです。 そこで記事では、思い通りの人生を実現するために欠かせない「習慣化」を、苦手な人も成功のイメージがつかめるような徹底攻略版で解説します。 記事のポイント 失敗しづらい習慣化の基テクニックが身につく 成功率を上げるポイントを徹底解説 習慣化のおすすめアプリも紹介 「習慣化について知りたい」 「習慣化に成功できる自分になりたい」 …という方におすすめの内容となっています。 この解説を最後までお読みいただければ、「習慣化の基」はもちろ

    習慣化7つのコツとは?失敗しないポイントも徹底解説
  • 子供に不寛容だった俺が寛容になった話

    思わず長文になったけどタイムリーな話だし書きたくなった。勘弁して。 2年ほど前、新しいマンションに引っ越しをした。3LDK。 なるべくしっかりした作りのマンションを選んだつもりだったけど 意外に天井・床が薄かったのか上の階の、おそらく子供のものと思われる足音がすごいのなんのって。 「ドスドス」っていう普通に歩く音じゃなくて「ドダダダダダダ!!!」みたいな。 どうやったらそんなリズムで音でんの?みたいな。しかもそれが20分とか30分とか続くんだよ。 さすがにイライラして仕事にも集中できないし、ハズレ部屋引いたなー、とか もっとよく下調べしときゃよかったとか、最悪もう一回引っ越すかまで考えてた。 そんな中、数週間くらい経ったかな。イライラもそろそろピークで もう数日も騒音が続くようなら管理会社にクレーム入れようと思ってた頃 友人夫婦が新居お披露目ということで遊びに来た。 長年の友人で、下世話な

    子供に不寛容だった俺が寛容になった話
    footnote
    footnote 2018/08/15
    長すぎ。けど、なるほどね。増田は子供に対応しない親に怒ってたんだね。そして、そのような親が存在していない(実際には対応している)と信じられることで怒りが消えたんだねぇ。
  • メンタルが安定していると思う人が共通して言う言葉に納得の声「人間関係の悩み9割くらいは解決しそう」

    𝐲𝐮𝐤𝐢 𝐤𝐚𝐧𝐚𝐢𝐭𝐬𝐮𝐤𝐚 @kyukirrs 最近まわりで特にメンタルが安定していると思う人が共通してよく言う言葉が "基、他人には期待しない"。 一見冷たい印象だけど言ってる人はむしろ面倒見良くて慕われていることも多い "人をどうしよう"とか"人にどうしてもらおう"という考えを捨てるだけで、人間関係の悩みの9割くらいは解消しそう 2018-08-13 01:06:14

    メンタルが安定していると思う人が共通して言う言葉に納得の声「人間関係の悩み9割くらいは解決しそう」
  • 新人でも、実力不足でも、自分を守るために怒っていい|はせおやさい

    激務とストレスによって仕事を辞め、そのときの心情や状況を『逃げろ、そして生き延びろ』とブログにしたため、大きな話題を呼んだ、ブロガーのはせおやさいさん。はせさんが当時のことを改めて振り返り、「あのときの自分に送りたいアドバイス」を言葉にしてもらいました。 社会人デビューして以降、上司からのどう喝に心を閉ざしていた頃 社会人デビューして以降、自分は仕事で存在意義を発揮できていない、と焦るばかりの日々でした。 20代半ば、キャリアアップのために異業種へ転職するも、運悪く入社した会社がブラック企業。土日出社は当たり前で、営業職で入社したわけでもないのに、無理な販売目標を設定され……。「これはおかしい」と思いながらも、それでもその目標に応えられないのは、能力が低いからだ、と自分を責める日が続きました。こうした自責の念から死にものぐるいで働いた結果、心身の不調を訴えて退職。地獄のような休養期間を乗り

    新人でも、実力不足でも、自分を守るために怒っていい|はせおやさい
  • 「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠

    togetter.com 昨年末に、「今の世の中では怒りをコントロールすることに高い価値が置かれている」というtogetterを見かけた。@marxindoさんの投稿を中心に、怒りの表出が困難になった現代社会についてあれこれ書かれている。 marxindoさんの投稿は私もリアルタイムで読んでいて、以下のようなツイートを書かずにはいられなかった。 今の人、怒りをコントロールしているっていうより怒りを遠ざけているだけだな、と感じる。もちろん昭和の人々が怒りをコントロールできていたとは限らない。しかし社会に怒りの表出が少ないからといって、コントロールできているのか、さっぱりわからない。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年12月27日 怒りをダイレクトに表出するのは、現代社会ではタブーとなっていて、そういうことをやると、やれトラウマだハラスメントだ虐

    「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠
    footnote
    footnote 2018/08/03
    前半について、ほんとそのとおりだと思った。職場でキレても大したこと起こらない。このことを、みんな学んだほうが良いと思う。「大したこと起こらない」にはたくさん条件があってすべて列挙はできないけど。
  • 自分を売り込むことにおこがましさを感じる

    自己アピールなり、自己推薦なり、自己紹介なり、自分を売り込むときが必ずある。 そんな瞬間がたまらなく辛い。 自分には堂々と出来るような実績も、証明も、肩書きも無いからなのだろうか。 それだけじゃない、「自分でこれだけの事をやった」と言い切るような気持ち自体に不快感がある。 結果が出ること自体、タイミング次第で変わったりするもので、それを自分の実力だと言い切れる確信すら得られない。 周囲の助けがあったり、環境の変化、時勢柄、理由を挙げたらきりが無い。 そんな点が繋ぎ合っているだけの現状を、「自分はこんな結果を出した!」と言い切れる事ができない。 通り魔に刺された被害者を横目に、「自分は日頃の行いが良かったから助かった!!!」と誇らしげに語っている様でならない。 たまたま助かったことをさも「自分の実力」と胸を張ることと同じような感覚に陥ってしまう。 自分にとって結果と行動のバランスはそんなもの

    自分を売り込むことにおこがましさを感じる
    footnote
    footnote 2017/04/05
    自分を低く評価しすぎているのか、高く評価しすぎているのか、わからないこの感じ、嫌いではない。でもね、みんな同じように思って生きてるんだよ。成長して、安定した自意識を獲得できるといいね。
  • 自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話

    2014-08-20 自分と他人の区別がつかない人の話 このブログでしばしば「自分と他人の区別がつかない」という表現をしているけれど、それがどういう意味で使っているのか書いたことがないので書いてみる。 よく家庭板とかで見るトラブルママ報告を見るたびに「この手の人はいてもおかしくない」と肝に銘じるくらい、自分はそういう人に絡まれやすい。両親いわく「お人よしで何でも言うこと聞いてくれそうな顔だから」だそうだ。実際2ヶ月に一回くらいのペースで道を尋ねられる。「地元っぽい顔」「何でも知ってそうな顔」らしいけれど、さすがに学生時代初めて池袋に着いてキョロキョロしているとき「西口はどっちですか」っておばあさんに聞かれた時はビックリした。「初めてなのでわかりません」としか言えない。今でもたまにそういうことがあるけど、さすがに慣れてきている自分が少し嫌だ。 タイトルに戻ると、「自分と他人の区別がつかない人

    自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話
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